スピーチドキュメント平和への声

ハイレベル諸宗教使節団会合
スピーチ : 庭野日鑛会長 (10分)

仏教徒が国民の90%という東南アジアのミャンマーは現在、民族紛争など様々な課題を抱えています。2018年5月22日から25日にかけ「ミャンマーにおける平和を支援するためのハイレベル諸宗教使節団」という会合が開かれました。この会合はミャンマーの宗教指導者の招待により実現したもので、 世界各国から仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、イスラームの指導者が出席しました。会合では同国が直面する宗教、文化、政治、社会経済の課題への理解を共有し、それらの課題に対して諸宗教がいかに対応し、平和を促進させれば良いのかという話し合いが行われました。また 海外代表者はミャンマー国内の宗教指導者や政治家、市民社会の活動家との対話も行いました。会合後には、諸宗教からミャンマーの人々へ向けた手紙というかたちで綴られた声明文が、アウン・サン・スーチー国家顧問に手渡されました。

この映像は「ミャンマーの平和と発展への諸宗教による展望」と題されたセッションにおける庭野日鑛立正佼成会会長、WCRP/RfP 国際委員会名誉会長のスピーチです。

庭野会長はミャンマーの人々の温かさを象徴するエピソードに触れながら、信仰者の個としての主体性の大切さ、平和な心を持つ人々を長期的な視野で育てていく必要性を説きました。

 

『スピーチ原稿』全文

「ミンガラーバー」(こんにちは)

本日、こうしてミャンマーの宗教指導者の皆さまにお会いすることができましたことは、大変光栄なことでございます。

私は、日本の在家仏教教団である立正佼成会の会長を務めております。本会は、私の父である開祖・庭野日敬によって1938年に創立され、今年、80周年の節目を迎えました。生前、庭野開祖は、諸宗教対話・協力による平和実現を目指し、Religions for Peace(WCRP/RfP)の設立、発展などに尽力してまいりました。

現在、私もReligions for Peace(WCRP/RfP)国際名誉会長、日本委員会会長などの役にあり、諸宗教対話・協力に微力を尽くしているところであります。

今回、私は初めてミャンマーを訪れました。ミャンマーと日本は、歴史的に深い関係にあります。

ミャンマーは、東南アジア諸国において、戦後、最も早く日本との平和条約を締結した国です。戦後、食糧難に苦しんでいた日本に、ミャンマーは、大量のお米を送ってくださり、そのお陰で、多くの日本人の命が救われました。

また、第二次世界大戦末期には、ミャンマーの人々に戦争で多大な苦しみを与えたにも関わらず、敗走する日本兵に対して、食べ物を与えたり、かくまったりしてくださったと聞いております。深く感謝を申し上げたいと存じます。

こうした他者を大事にする精神は「良い行いを重ねて功徳を積む」という、ミャンマーに根づいた仏教の教えによって育まれたものでありましょう。

私どもは、法華経を所依の経典としておりますが、仏教徒にとって大事なことは、一人ひとりが菩薩の自覚を持って生きることであると教えられています。

菩薩とは、仏の教えを信じ、理解し、その境地に向かって精進する決心をした人々のことです。いわば、仏の心を我が心として励む人々です。

仏の心とは、慈悲を本体としたものですから、菩薩における生き方の原動力も、慈悲であると言うことができます。

そして、菩薩の場合における慈悲とは、自分が存在することによって、周囲の人々の幸福が増すように、苦悩が減るように、と念願をして生きることであり、これが菩薩の生き方にほかなりません。

また法華経には、菩薩にも「迹化の菩薩」と「本化地涌の菩薩」の二種類があると説かれています。端的に申せば「迹化」とは、頼る信仰であり「本化」とは、自覚と主体性を持った信仰と言えましょう。

「地涌の菩薩」とは、大地から湧き出てくる菩薩のことです。高い地位や権力を持っている人々ではなく、苦悩の多い現実の生活を体験する中で、仏の教えを求め、黙々と精進する名もない人々のことです。釈尊は、この「地涌の菩薩」に娑婆世界の救いを任されました。

このことは、何を意味しているのでしょうか。

人間の現実の問題は、結局、人間自身が解決すべきものであり、誰かが救ってくれると思い、それを待っていたのでは、解決をされないということであります。

自分自身が仏の心を持ち、自分の責任として、社会や国、世界が良くなるように努力する人が、大地から涌き出すように次々と現れ、連帯していかない限り、世の中の本当の調和、平和は、実現しないということであります。

こうした教えは、仏教徒に限らず、社会生活を営む全ての人が、心すべきことではないでしょうか。

とりわけ、次代を担う青少年に対して、慈悲と寛容の精神をもとにした平和教育を施していくことは、共生の社会を築いていく上で、最も重要な要素の一つです。

このことについて、つい先日、先駆的で、大変素晴らしい試みを知ることができました。

本会が母体となって設立された庭野平和財団という公益財団法人がございます。その財団では、毎年、宗教協力を促進し、世界平和の推進に顕著な功績をあげた個人または 団体に「庭野平和賞」をお贈りしています。

ここにおいでのグナール・スタルセット師も「第三十回庭野平和賞」の受賞者であり、それ以前は、庭野平和賞委員会の委員長を務めておられました。

そして、本年の「第三十五回庭野平和賞」は、レバノンのNGOである「アディアン財団」が受賞しました。ご存知のように、レバノンでは、政治的、宗教的な分断が、大きな  課題となっています。

私が注目したのは「アディアン財団」が、個々人の間、コミュニティの間の多様性が、豊かさ、相互理解、創造的発展、持続可能な平和に結びついていく―つまり多様性は 「弱み」ではなく「強み」であることを証明する教育を目指していることです。

しかも「アディアン財団」は、具体的な教育を、レバノンの教育・高等教育省など公的機関と連携し、教科書を作成し、公式のカリキュラムとして実施しているのであります。

中・長期的な視点で国づくりを行うには、人の育成が最も重要であり、またそれがレバノンという大きな困難に直面している国でも実現可能であることを知り、大変勇気づけ られました。

私どもも見習うべき貴重な取り組みであると思います。

時間が限られているため、本日は「菩薩の精神」と「平和教育の重要性」というテーマに絞って、お話しをさせて頂きました。

2年前の4月、Religions for Peace(WCRP/RfP)日本委員会は、日本の東京で、「ミャンマーの宗教指導者を迎えての公開シンポジウム」を開催し、ミャンマーの歴史や現状を学び合いました。宗教上の対立など、諸課題があることも承知しております。

先ほど「地涌の菩薩」について触れましたが、それを象徴するのが、蓮の花であると言われています。蓮の花は、泥水をいとわず、しかも泥水に染められずに、泥水が濃ければ濃いほど、大輪の花を咲かせます。困難な状況があるからこそ、諸宗教者が協力して、努力、工夫を重ねることが重要であり、その中で、おのおのが宗教の本質に帰り、やがては「共に生きる世界」という大輪の花を咲かせることを暗示しているのではないでしょうか。

ミャンマーの皆さまが、一歩一歩前進していかれることを切に願い、私の発表と致します。

「チェーズーティンバーデー」(ありがとうございました)