スピーチドキュメント平和への声

国際ムスリム共同体会議
開会式におけるスピーチ(12分)

2018年5月8、9の両日、アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビで「国際ムスリム共同体会議」が開催されました。同会議はUAE寛容省の呼びかけで行われたもので、宗教的少数派の権利の擁護、暴力からの子供たちの保護など、少数派ムスリム(イスラーム教徒)が非ムスリム社会で直面する問題を共有し、異なる宗教や文化を持つ人々への寛容と共生を国際社会に働きかけるためのものです。会議には世界140カ国から諸宗教代表者、政治指導者、研究者ら550人以上の人々が参加しました。

この映像は、同会議に招待された立正佼成会 庭野光祥次代会長が開会式で行ったスピーチです。

 

『スピーチ原稿』抜粋

 宗教指導者、各界指導者、兄弟姉妹、そして友人の皆さま、私は在家仏教運動・立正佼成会の庭野光祥と申します。

この度、シェイク・ナヒヤーン・ビン・ムバラク・アル・ナヒヤーン寛容大臣閣下の主催により、異なる宗教と文化に属する人々の平和と寛容を促進し、ムスリム少数派の子供達を暴力から守り、宗教的文化的少数派の人々の権利を擁護することを目的にこの会議を開催されたますことに、心からお祝い申し上げます。

(中略) さて、記録によりますと、日本にイスラームが到来したのは19世紀の終わり。1980年まで、日本には2つのモスクしかありませんでした。その後、仕事を求めて多くのムスリムが来日した結果、日本のムスリム人口が急激に増え、現在では、日本全国に90以上のマスジド(モスク)とムサラー(一時的な祈りの場所)があると言われ、日本人ムスリムも増えつつあります。

しかし残念なことに、相次ぐテロ事件の発生により、平和的に生きている日本のムスリムの方々は、イスラームは「過激な宗教」というイメージの中にいます。

少数派の問題の解決は、その多くを多数派の寛容性に委ねられると言われますが、日本の宗教界では、多数派の宗教が少数派を抑圧するというようなことはありません。日本ムスリム協会の前会長・樋口美作先生はこうおっしゃっています。

「日本ムスリム協会は、15年前から日本諸宗教連合体のメンバーとして招致され、宗教対話を通じて年間の諸活動に共に参画し、相互理解を深めている。この平和的関係は、日本の宗教者の寛容性によるものと確信している。こうした諸宗教対話は日本国内に限らず、今やグローバル化している。」

私は今回、日本人ムスリマである河田ヤスミン先生とご一緒しておりますが、河田先生も日本の諸宗教連合体––世界宗教者平和会議日本委員会––の女性部会のリーダーとして、諸宗教の仲間と一緒に活動してくださっています。

世界宗教者平和会議は1970年より始まった世界最大級の諸宗教対話運動で、世界90カ国以上に国内評議会がありますが、中でも日本委員会は活発な活動を展開しております。残念ながら日本政府は、政策として移民や難民をほとんど受け入れません。そこでRfP日本委員会ではシリアから毎年ムスリムを中心とした5~6名の青年を留学生として受け入れ、諸宗教の仲間がこぞって彼らの勉強面、生活面で相談に乗り、宗教面では彼らが信仰生活を無理なく続けられるよう、微力ながら支援をしております。

さて、ここで少し仏教の視点でのお話しをさせて頂きます。

仏教では「縁起」を説きます。それは「すべての物事は出会う縁によって生起する」と言うこと。つまり世界を関係の中でとらえます。それも固定された関係ではなく、常に変化する動的な関係です。例えば仏教徒である私はUAEでは少数派ですが、日本ではムスリムが少数派です。自分が多数派に属するのか、少数派なのかも、変化する関係の中にあります。それを実感するためには、自分がいかに多くのものに支えられて生かされているかを知り、自分が自分以外の全ての存在によって生かされていることを実感し、全てのものと「ともにある」ことに目覚めることが大切です。

たとえば私は‥、私の体は毎日私が食べたもので出来ていますが、私が今朝、朝食で食べたバナナは、フィリピンの大農園で働く貧しい子供たちが収穫したものかもしれません。そうだとすれば、その子供のおかげで、彼に支えられて今、私は存在しているのだといえます。私の命の中に、そのフィリピンの貧しい子供が共に生きています。人間は皆そのようにして存在しています。

また、私が仏教徒であるのは、仏教徒以外のムスリムや、キリスト教徒、ユダヤ教徒がいるおかげです。もし世界中が仏教徒だったら、仏教徒という呼び名は必要なくなります。つまり、他の宗教を信じる人がいるおかげで自分の宗教が存在している。何教であろうと、何人であろうと、他者の存在によって自分が存在している。これが仏教的な考え方です。

ですから仏教では初めから悪い人間も、初めから良い人間もいないと考えます。誰もが内面に善き心と悪しき心を共に具え、出会う縁によって変化する、弱い存在なのです。

そういう視点で見れば、どんな人も初めから悪人、そして絶対的な悪人もいません。私が今、平和を求める仏教徒としてここにいるのは、私が初めから平和的な人間だったからではなく、私がこれまで出会ったすべての人々のおかげです。

モーゼは十戒で「殺す事なかれ」とし、預言者ムハンマドもブッダも欲望の抑制を説きました。あらゆる宗教は不殺生を説き続けています。放っておけば暴力や欲望を増大させてしまう可能性のある弱い存在だからこそ、いつの世も欲望のコントロールこそが私たちの取り組むべき課題だといえます。

人類は、何千年もの時間をかけて、暴力によって問題の決着をつけるという習性を身につけました。それを変えるには大変な努力が必要です。ですから人間が人間の欲望をどう制御していくのか。それが宗教者に問われていて、ひいてはそれが少数派の保護にも繋がっていくのではないかと考えています。

私たちはまず、自分の中に潜んでいる暴力性と向き合い、その上で、神仏の願われる善き心、寛容の心を自らの中に育てていく。そして、暴力によって自らの主張を訴えている人々を、単に否定し、排除するだけはなく、彼らをどうやって本来の神仏の教えに導き、みな共にこの地球で生きていくにはどうすればいいのかを考えることが大切なのではないかと思います。

私は現在、サウジアラビアのアブドゥッラー前国王のイニシアチブで始まったKAICIIDの理事や、RfPの国際共同議長など様々な諸宗教の対話に参加させていただいておりますが、その中で大切なことは、私が仏教徒として仏教徒を助け、仏教の教えを証明することではなく、それ以上に異なる宗教を信じる人々をこそ助け、証明することが大切な役割だと信じています。

今回この会議に参加させていただいたことで、今後はこれまで以上に、日本の社会の中で少数派として生きているムスリムの友人たちを助け、イスラームを証明し、かれらと「ともにある」ことの豊かさを大切にして生きていきたいと思います。

世界は多様です。多様性は豊かさでもあると同時に、私たちに困難も与えます。この多様な世界の中で、私たちは多様性に耐えて生きていかなければなりません。多様な人々が、このたった一つの地球の上で、平和に生きていける世界を築かなければなりません。そのために微力ながらも私は、他者のために何ができるのかを自らに問いつつ、これからも行動していきたいと考えています。

皆さま、ご静聴ありがとうございました。