仏教のすすめ

遥かなる東へ
【第1回】ブッダ誕生から成道へ

ブッダ生誕の地ルンビニー 

ブッダの真理のことばを伝えよう

今から、遥かなる二千五百年ほど前、北インドのヒマラヤ山麓――。

のちにブッダの母となるマーヤー夫人が妹のマハーパジャーパティと共に、カピラ城主シュッドーダナ(浄飯王)のもとに嫁したのは、まだ幼いときのことであった。デーバダハ城の王女あるいは王妹ともいわれる嫁ぎゆく二人の姉妹は、村の境を流れるローヒニー河を渡っていく。そこから北二十数キロ先、白山に近いカピラ城に向かっていった。

幼児婚であったから、おなかにシッダールタ(ブッダの本名)が授かるまで二十年近くを要したといわれている。カピラバスト国の皆にとって待ちに待った懐妊であった。妹も臨月の身重であった。インドの風習で実家でお産をする習わしであった。姉妹は、青々と広がるふるさとのラーマ村の大草原に向かっていく。

ところが、道なかばにしてマーヤー夫人は、シッダールタを産んだ。花咲きそろい、鳥歌うルンビニーの花園であった。四月八日の朝、ブッダの誕生である。

しかし、母は、七日にして他界していった。思いもよらぬこの天のはからいを、いったいどう受け取ったらよいのだろうか。ブッダをこの世に授けた天女の降臨だったかもしれない。同じ日に、妹も男の子を産んだ。妹は我が子を乳母に渡し、姉の子に自らの乳を含ませていく。

私は四月の花園を歩きながら思いつづけていた。姉の意識の薄れゆく中で、妹は固い約束を結んでいたのだろうと。そうでなければ、我が子を乳母に任せ、シッダールタにお乳を与えることはしまい。

少年シッダールタはもの思いにふけることが多くなった。やがて青年となり、人は一体何をするために生まれてきたのだろうか。一度しか生まれないということには、何かわけがあるに違いない。それがどうしても判らなかった。それでは、ただ人間として、生・老・病・死を待つだけではないのか。

真剣に考えなくてはならない。人里の雑踏から離れて、前正覚山の修行の林に入って瞑想しよう。そうして、真理を見つけよう。また、自分が、修行する時間のない人に代わって修行して見極めたものを教えてあげよう。シッダールタの出家《大いなる放棄》は、そこから始まった。

山での苦行はすさまじかった。でも、得たものは苦であった。この貴重な体験を無駄には出来ない。遙か麓にネーランジャー河が見える。シッダールタは下山し、河を渡ろうとした。衰弱しきった彼は足をすくわれてしまう。それを見た村娘スジャータは助け起こし、乳粥をあたえている。シッダールタの警護のために出家していた五人の比丘はあきれ果て、鹿野苑へと立ち去っていった。

シッダールタは、ガヤーの村に入り、人気のない場所に行き、菩提樹の下で禅定に入った。それを壊そうと内から湧き上がる煩悩妄想。無心になろうとするシッダールタ。そして七日間の葛藤の末に、ようやくのことで打ち勝ったのである。覚者となった。「ブッダ」と人びとは呼んだ。いわゆる成道である。

万物と我とは同根と見抜かれた。命あるものみんな友達である。だからお互いに共感し共生し、困った人に救いの手を差し出そう。もちろん人間以外の生き物の友達にも。この真理を、すべての人に伝えよう。それは『法華経』をはじめとする経典に広く展開されていることだ。

今、ブッダガヤーの菩提樹の木陰に座って、仏教徒であるわれわれの起点をかみしめている。さあ、もう一度立ち上がろう。ブッダが菩提樹下から立ち上がり、鹿野苑(サルナート)の五比丘に法を説きに向かわれたように。われわれも立ち上がってブッダの真理のことばを伝えよう――。

文・松原 哲明
写真・福島 一嘉

釈迦苦行像カピラ城東門跡ブッダガヤー根本大塔スジャータ村