仏教のすすめ

遥かなる東へ
【第2回】初転法輪と布教の旅

サールナートのダメーク塔

「一乗道」の悟りと布教伝道

ブッダガヤーの菩提樹下で悟りを開いたブッダは、さらに二十一日間、禅定を深めていった。それは悟りの一つ一つを確かめるためであった。

すべては因縁による。原因という因があって、それが縁に随って結果という果を生む。つまり、生まれたという因があるから老死の果にいたると。因から果まで十二段階があり、ブッダはそれを「十二因縁」と名づけた。そのほかの悟りの内容についても確認を怠っていない。

二十一日が過ぎて樹下に独座したブッダは思惟をめぐらした。「一乗道」という言葉がある。別名「四念処」。まず、身体は汚いものと見る。この世は苦しみだと見る。そして、心は無常である、すべての事物は無我であると見る。この四つの観法によって、人間は迷い苦しむことがなくなるとした。人の死をいつまでもひきずって苦しむことがなくなる。また、心は本来清らかであり、法は真理そのものと信ずることになる。この道に乗っていけば、あなたも悟りを得るとした。

さあ、これら真理の教えを伝えていかねばならぬ。世の中は善人だけではない。邪法を楽しんでいるものもいる。だからといってひるんではいけない。蓮華でも、水中に潜ったまま、顔を出せないのもある。彼らを暗黒の世界から救い出すために立ち上がろう。

ブッダは鹿野苑に向かっていった。土埃舞う灼熱の大地およそ二五〇キロを歩いていった。そこには、ブッダを捨てて去っていった五人の比丘がいた。どうしてもブッダは彼らに真理の教えを伝えなくてはならなかった。五比丘はブッダを迎える気はなかった。しかし、ブッダの姿を見て立ち上がって出迎えた。悟りを開いた人のみが持つ気高さがそうさせたのだろうか。いま、この地に迎仏塔が立ち、仏教聖地巡礼者を迎えてくれる。

五比丘にブッダは説いた。人生苦しむのは、苦しみを集めるからだ。どうしたら苦しみを滅することができようか。それは八つの正しい道を行わなければならない。苦集滅道の「四諦八正道」というブッダ仏教の法の輪を初めて転じた。よって「初転法輪」という。

さらに続いて、四苦八苦も説いた。四苦とは生苦・老苦・病苦・死苦である。昔、シッダールタが四門遊観し、老人・病人・死人を見て、人間はなんにもしなかったらただ老・病・死を待つだけで終わってしまう。ならば、出家して自己を見つめようと決めた若き時を思い出していたのかもしれない。

また、「三毒」もここで説き明かしている。むさぼり・いかり・ぐちである。これらはみんな自分の根本から生まれ、自分を苦しめる。よって、八正道を踏めともいわれた。そして、五比丘に、自己の六根を清浄に五感の眼・耳・鼻・舌・身も清浄に、心は無心で、行動も意識も真摯であれと結んでいる。

また、耶舎という者には、六波羅蜜・三帰・五戒の教えを与え、弟子としている。この頃から、ウルビラ・カーシャパ、ナデイ・カーシャパ、ガヤー・カーシャパの三迦葉の教団もブッダのもとに結集。ビンビサーラ王の帰依、阿難・難陀らの入門、大迦葉や目連・舎利弗といった高弟の参集、須達多長者による祇園精舎の提供などにより、教団は大きく膨れ上がり、やがて法華経の王経へと教えは帰属していく。

ここを旅し歴史の遺構の跡に立つと、ブッダや弟子たちの生の声が聞こえるようだ。ブッダの教えは遺構の下になお、いきいきと生きていた。

文・松原 哲明
写真・福島 一嘉

祗園精舎ベナレスの沐浴場ブッダガヤーの仏足跡初転法輪像