仏教のすすめ

遥かなる東へ
【第4回】母の村をめざす最後の旅

釈迦涅槃像

「自灯明・法灯明」の教えを残して

 ブッダ八十年の生涯の、特に忘れられない後半生の節目が、次々に脳裏に浮かぶ。

 まず、母マーヤの死であった。ブッダが今は亡き母のために三十三天に登り説法したとされるが、想像するに、父の葬儀に参列し、帰路、ラーマ村の母の墓に立ち寄り、墓前で母に語りかけたことをさすのではないか。

 ブッダの生まれ故郷カピラ城が、隣国の強大なコーサラ族のヴィルーダバ王によって、皆殺しにされてしまったことの衝撃もただならぬものであったろう。これは、ヴィルーダバの父王パセーナディの妃選びに端を発する。王はシャカ族の女を希望した。が、シャカ族の掟では混血を許さず、かといって弱小なシャカ族はおそろしい権力者に反発することもできず、奴隷の女を王一族と偽り差し出す。そして誕生したのがヴィルーダバ王子であった。

 ヴィルーダバ王子が、母の国に遊んだとき、シャカ族の人が、お前は奴隷の子とののしり嘲った。その怨念の火は鎮まることなく燃え盛り、王となったヴィルーダバはシャカ族のすべてを捕らえ虐殺したのである。

 ブッダは、その晩年に、舎利弗、目連などの高弟に先立たれた。まさに、両手をもぎ取られたような思いがしただろう。『雑阿含経』に、この二人はよく人々を説法し、諌め、教授し、説いて満足させたと讃えている。また、財施と法施があるが、法施はこの二人によることが大きかったと続けている。ブッダの無念がにじみ出ているではないか。

 ブッダは長年住み慣れた王舎城を出ることにした。母の村をめざして、最後の旅に出ようとしている。さすがの偉人ブッダも、八十歳という高齢には勝てるはずもなかった。大樹は大枝からまず折れるものだし、宝山も大岩から崩れていく。仏教教団も、舎利弗、目連といった高弟から涅槃に入るものだ。自分の涅槃は当然予感していただろう。ブッダは、阿難一人を連れて霊鷲山を下りていく。「阿難よ、如来もまた、久しくして、また過ぎ去るべし」と、高弟二人との惜別に漏らした言葉を繰り返していたに違いない。「如来滅後は、自らに帰依し、法に帰依するのだ」とも確認してのことであったろう。

 ブッダは西へ西へと向かっていった。パータリプトラ城を出、ガンジス河を渡り、ヴァイシャーリー城を去ったあたりから、痛みがブッダの背中を襲いはじめたのである。やがて、歩行が困難になってきた。それでも、西へと歩いていく。

 パーヴァー村で、鍛冶工のチュンダから接待を受けたブッダは、中毒になった。激しい下痢と腹痛をおして西へと向かっていき、ついにクシナガラの沙羅双樹の林の中で倒れた。阿難に「頭を北に、顔を西に」と命じて。その時はすでに自身で自分の身体を動かすこともできなかったことを知る。全身全霊を使い切っても西に行きたかったのは、なぜか。

 クシナガラのブッダ入滅の地の夕陽を眺めながら、なぜブッダが西にこだわったのかが判ったのである。あと、百キロ弱で、母の眠るラーマ村があるのだ。ブッダはラーマに一生を納めたかったのか。ちなみに、生まれ故郷には帰れない。ヴィルーダバ王によって全滅されてしまっていたからである。

 ブッダ入滅後、阿難を中心に弟子たちが結集し、経典が編纂されていく。ブッダの教えを後世に繋げていく心意気だ。大枝が折れても、芽をふき、花を咲かせることを忘れてはならない。弟子たるもの、師の恩に報いていく。まさに、身を粉にしても、だ。

文・松原 哲明
写真・福島 一嘉

ヴァイシャーリーの遺跡故郷をめざしての旅チュンダの村ガンジス河の夕景クシナガラの涅槃堂