仏教のすすめ

遥かなる東へ
【第3回】法華経と霊鷲山

霊鷲山と説法場

「真実一乗」の教え示す王経

 「是の如きを我聞きき。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい……」に始まる『法華経』の序品第一。王経(法華経)は、王舎城に近い耆闍崛山、別名霊鷲山で、ブッダが八十歳で入滅するまでの八年間に説かれたとされる。

 霊鷲山は、中インド、マガダ国の首都、王舎城の東北にある。玄奘三蔵法師の七世紀の著『大唐西域記』に、ブッダの成道以来、およそ五十年の間、ここに住まわれることが多く、数々の妙法を説かれたとある。当時のビンビサーラ王はブッダの法を聞く人たちのために麓から頂上にいたるまで、歩道を造らせた。谷を跨ぎ巌を越え、石を畳んで階段もこしらえた。山頂に精舎があり、大石が転がっていて、それはダイバダッタ(提婆達多)がブッダにぶつけようとした石である。近くに説法所があって、そこで『法華経』を説かれたとする。

 早朝、古都王舎城の名残をとどめるラージギルのホテルから、霊鷲山に登る。山上で朝日を拝むためだ。途中で、警官たちが私たちのバスに乗り込んできた。いまでも、虎が出没するという。老警護官が「先生。三回目ですね」と話しかけてきた。そう。以前と少しも変わらない。「この前は、お母さんと一緒でしたね」。覚えていてくれることはうれしいものだ。

 まだ薄暗い霊鷲山を登る。右の谷から涼風が吹く。そして、ビンビサーラ王の古道がうねうねといまなお右わきに残っていた。山頂のすぐ下に羅漢たちの数百に及ぶ石窟があったと聞いているが、鬱蒼とした茂みのなかでは判らない。やがて、右に、阿難や舎利子の住んでいた石窟が見えてきた。さらに右にカーブをとれば、鷲の首のような岩をあおぐ。頂上はテラスになっている。

 五世紀初頭、六十歳を優に超えた法顕は、雪山を越えインドに入り霊鷲山に登った。城下で香華・油灯を求め供養している。「昔、仏はここに住み、首楞嚴経を説かれた。自分は生きて仏にあえず、いま、遺跡に立つだけだ」と『法顕伝』に残す。私も、供えられた花と灯火を前に『法華経』をよんでいた。ブッダには会えないけれど、遺跡には来させていただいた。一陣の朝風が吹き抜けて、曙光がテラスの私たちを照らしてくれる。しかし、なんと人々の顔の美しいことか。法悦というのだろうか。

 『法華経』は、比類なきがゆえに王経と言われている。とくに、鳩摩羅什訳の『法華経』は思想的な内容はもちろん、文学的にも価値が高い。だからこそ、信仰篤く、多くの信者を集め、読み・書き・写し・解説などを通じ流布し、翻訳された。この点でも、『法華経』の上にでる経典はない。

 『法華経』の主題は、ブッダの久遠実成といって、永遠無限であり、ブッダの教えの中で「真実一乗」とし、他の教えは方便であるものの、それをも吸収する大きな乗り物というところにある。さらに、巧みな比喩をもってその実行を通じての菩薩行がアジアに多くひろまった。なかでも、中国では『法華経』をもとにした天台宗が、わが国ではその流れをくむ日蓮宗の誕生をみた。

 霊鷲山を下りて、竹林精舎に向かう。カランダカ長者がブッダに土地を寄贈し、ビンビサーラ王が伽藍を建てた。インド最初の寺院である。いつ来ても清々しい。さて、次はいつ来られるだろうか。遺跡に立てるかが問題になってきている。これからは、若くない私にとって、一つ一つが最後の旅になりそうだ。

 ブッダは八十歳になっていた。そして霊鷲山を下りられた。まさに最後の旅が始まろうとしている――。

文・松原 哲明
写真・福島 一嘉

霊鷲山への古道竹林精舎ラージギルの王舎城跡昔と変わらぬ風景