開祖のあゆみ

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庭野日敬(にわの・にっきょう)開祖は、1906(明治39)年11月15日、新潟県中魚沼郡十日町大字菅沼(現在の十日町市)の農家に五男一女の二男として生まれます。一つ屋根の下に二家族(計14人)が暮らすという家庭環境の中で幼少期を過ごしました。とりわけ人に尽くすことを喜びとした祖父、重太郎との触れ合いは、その後の庭野開祖の人生に大きな影響を与えました。

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庭野開祖の生家(新潟県十日町市)

「なるべく暇がなくて、給料の安い、骨の折れる所へ奉公するように」という父、重吉の言葉を胸に、庭野開祖は16歳の夏に上京します。その後、いくつかの信仰遍歴を経て、恩師である新井助信師にめぐり合い、1938(昭和13)年3月5日には、長沼政(のちの長沼妙佼脇祖)と共に立正佼成会(当時、大日本立正交成会)を創立しました。庭野開祖が31歳の時でした。

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庭野開祖(写真左)は長沼脇祖(写真右)と共に本会を創立した。

「法華経によって人を救い、世を建て直す」ため、庭野開祖は布教に邁進していきます。「真の平和は宗教心の涵養(かんよう)による以外にない」との信念から「明るい社会づくり運動」(明社運動)を提唱。個人の救済だけでなく、宗教による救いの輪を地域社会へと広げていきました。しかし、その取り組みは国内だけに留まりませんでした。庭野開祖は世界の平和を願い、宗教界に「国民皆信仰」と「宗教協力」の実現を呼びかけたのです。

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高松市で開催された第1回「明るい社会づくり運動推進大会」

長年、対立と分裂の歴史を繰り返し、時には争いの要因を生み出してきた宗教者が、手をたずさえることなどできるのか――当時は宗教協力の実現を疑問視する人々もいました。しかし庭野開祖が法華経の真髄に触れ、感得した「万教同根」という理念は決して揺らぐことはありませんでした。庭野開祖はひたすら世界の宗教指導者に理解と協力を求め、宗教協力活動に心血を注いだのです。

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庭野開祖は第20回IARF(国際自由宗教連盟)世界大会で常任理事に就任した

1965年にはローマ・カトリック教会の「第二バチカン公会議」開会式に出席し、ローマ教皇パウロ6世との会見が実現しました。その席に仏教徒が招かれたのは初めてのこと。宗教界を代表するカトリック教会が、ついに他宗教との対話を求め動き出したのです。この思いがけない出来事によって、庭野開祖は宗教協力の実現に確信を深めました。国際的な宗教協力組織として念願のWCRP(世界宗教者平和会議)が誕生したのは、5年後の1970(昭和45)年でした。さらに1976(昭和51)年にはACRP(アジア宗教者平和会議)も新たに創設されました。

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第二バチカン公会議の開会式でローマ教皇パウロ6世と会見する庭野開祖

庭野開祖は世界の宗教指導者と共に、ベトナム難民の救済など非武装、人権、環境、開発の各分野で次々と宗教協力活動を展開していきます。1978(昭和53)年には国連史上初の国連軍縮特別総会が開かれ、庭野開祖はWCRPを代表して演説。世界各国の首脳に法華経の精神を伝え、「危険をおかしてまで武装するよりも、むしろ平和のために危険をおかすべきである」と非武装による平和を訴えました。その後もIARF(国際自由宗教連盟)会長、立正佼成会会長として国連軍縮特別総会に出席し、計3回にわたって平和への提言を行っています。

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庭野開祖はWCRPを代表し、第1回国連軍縮特別総会で演説した

これらの功績が認められ、1979(昭和54)年には宗教界のノーベル賞といわれる「テンプルトン賞」を受賞。そのほかローマ教皇庁の「大聖グレゴリウス勲章」やキリスト教・ユダヤ教国際協議会の「インターフェイス・メダリオン(宗教対話促進賞)」などを受賞しました。

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ロンドン郊外のウィンザー城で「テンプルトン賞」を受賞した庭野開祖

1991(平成3)年11月15日、庭野開祖は「法燈継承式」を挙行し、長男の日鑛(にちこう)に会長位を委譲しました。1994(平成6)年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と共に第6回WCRP(バチカン)に出席。その後も精力的に平和活動を続けていましたが、1999(平成11)年10月4日に入寂。満92歳でした。

著書に『新釈法華三部経(全10巻)』『仏教のいのち法華経』『私の履歴書』『この道』ほか多数。

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ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と共に第6回WCRP(バチカン)に出席