『経典』に学ぶ

HOME  >   信仰   >   『経典』に学ぶ

私たちは、自分の心の持ち方を見つめ、教えに示された考え方に合わせることによって、人生を前向きにとらえなおそうとします。特別な修行や出家するのではなく、在家、つまり家庭や職場、地域社会で個々の生き方を学びます。
「経典」は、立正佼成会がよりどころとしている法華三部経(無量義経・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。宇宙の絶対の真理・法の働きや、この世の成り立ちについて説かれています。


PDF
道場観

道場観には「すべての場所が道を求める道場」と説かれています。この道場観が経典の最初にあることには、深い意味があるのです。

PDF
三帰依
仏・法・僧の三宝に帰依することは、釈尊ご在世当時から、仏教教団に入る第一の条件として大事にされてきました。

PDF
勧請
勧請とは、仏さまがいつでもこの世におられて衆生を教え導いてくださっていると、 自覚することができるようお願いすることです。

PDF
開経偈
開経偈は、お経を読誦させていただく前に唱える偈(詩)文です。

 

PDF
無量義経十功徳品第三
無量義経は、釈尊が妙法蓮華経(法華経)をお説きになる直前に説法された教えで す。法華経も無量義経から入ってこそ、ほんとうによく理解できることから、法華経 の開き経と呼ばれています。

 

PDF
妙法蓮華経方便品第二
「妙法蓮華経(法華経)」とは「人間が現世に生活しながら、迷いにとらわれないりっぱな生活ができることを説いた、この上もなく尊い教え」という意味です。
この「方便品第二」は「法華経」前半の説法の中心となるもので、「仏さまがこの世に出現されるただひとつの目的(諸仏出世の一大事因縁)」が説かれています。

 

PDF
妙法蓮華経譬諭品第三
釈尊が「三車火宅の譬え」によって衆生を仏の境地へ導く手順を説かれます。「今此の三界は。皆是れ我が有なり」と経文にあるように仏の悟りを得、真理を悟ったものにとっては、この宇宙全体が「わがもの」になります。しかし、この言葉は「宇宙は自分のものだ」という所有権を主張するものではありません。反対に、自分が宇宙に溶け込んでしまったと感じることなのです。小さな我を捨てると、宇宙のすべてに生かされている自分を発見できます。

 

PDF
妙法蓮華経法師品第十
法師とは、出家、在家を問わず、法華経を世に広めるために努力する人のことをいいます。法華経を世に広めるとは、言い換えれば、生かされていることに感謝する心と、思いやりを伝えていくことです。
釈尊は「衣座室(えざしつ)の三軌(さんき)」という、法華経を説く者の心構えを示します。

 

PDF
妙法蓮華経提婆達多品第十二
提婆達多(だいばだった)は釈尊の弟子でしたが、釈尊が仏陀として人々に仰がれているのを妬み、釈尊のお命まで狙った人です。しかし、釈尊は、提婆達多を善知識(善き友)と呼ばれました。提婆達多のおかげで、釈尊ご自身がますます悟りを深めることができたのだと感謝されているのです。すなわち、自分の都合の悪いことや辛い出来事(逆縁)に遭遇したとき、それを人間的成長の糧としていくことの大切さを教えてくださっているのです。

 

PDF
妙法蓮華経如来寿量品第十六
釈尊は『如来寿量品』で、仏の本体と仏の力(はたらき)について明らかにします。
仏の本体とは無限の過去から無限の未来まで、宇宙に満ち満ちている大いなるいのち(本仏)です。本仏がすべてを生かす力はいつでも、どこでも変わることなく永遠に存続するということです。
釈尊は、自分の本当の姿がこの本仏であり、無限の過去から無限の未来まで永遠に存在していることを打ち明けたのです。
これは、私たちのいのちも永遠であることを示しています。なぜなら私たちは、皆本仏の現れであり、本仏と一つのいのちにつながっているからです。さらに、人間ばかりでなく生きとし生けるものすべてと一つのいのちを生きているということができます。このことを心の底から確信できたとき、「肉体の死」という根源的な苦悩から解き放たれます。そして、心を成長させ、世のため人のために尽くす人間になることを迷わず目指せるのです。釈尊の願いもまさにそこにあります。仏は、深い慈悲の心で私たち一人ひとりを案じ、どうしたらより良く成長向上できるかを念じています。よろこびや悲しみ、苦しみもすべてが私たちを成長・向上させるための導きです。

 

PDF
妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十
常不軽菩薩は、出会う人々に対して「あなたは仏になる人です」といって合掌・礼拝しました。私たちは、一人ひとり独自の個性をもちながら、大きな一つのいのちに生かされている尊い存在です。常不軽菩薩が仏性礼拝行に徹したのは、そのことに気付いて欲しいという呼びかけです。
また、常不軽菩薩は、仏性礼拝行によって法華経を悟り、今度は人のために広く教えを説きました。その功徳によってますます多くの仏(法)に遇うことができ、さらにその教えを説くというくり返しによって、ついに仏となりました。このことは、常不軽菩薩の生き方が、真っ直ぐに仏になる道であることを示しています。私たちは、その確信を持って人と触れ合い、学んだ真理・法を伝えながら、また、その中からさらに学んでいくという積み重ねが大切です。それが人格を向上させていくばかりでなく、多くの人に法の縁に触れて頂く功徳となります。

 

PDF
妙法蓮華経如来神力品第二十一
『常不軽菩薩品』の最後で釈尊は「真心を込めて教えを説き広めれば、回り道をすることなく仏の悟りに達することができるでしょう」と説かれました。この品では、その言葉を受けて、菩薩たちが「きっと教えを説き広めます」と誓います。すると釈尊は、舌を天高く伸ばしたり、全身から美しい光を出したり、地面を振動させたりと、不思議な大神力を現します。これらは仏の大慈悲心を象徴する現象です。なかでも、世界のすべてが一つの仏の世界になる様子を人々の目に映しだす最後の神力は、究極の理想を表しています。真理は一つであるから、未来において、いつかはすべてのものが一つのレールに乗って完全な調和のある世界を作り上げることができるという意味が込められています。仏の教えを実践すれば、理想は必ず実現するという保障なのです。

 

PDF
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五
如来神力品では、真理・法にそったあゆみを続けるならば、理想は必ず実現するということを学びました。しかし、理想を実現化させるためには、長い時間を要する場合が多いものです。そのために、不断の努力を心がけていても、途中で不安を感じたり、挫折してしまうこともあります。
そこで釈尊は、さまざまな菩薩を登場させ、「この菩薩を手本として、菩薩の行ないをまねて歩んでいけば大丈夫だよ」と、私たちを励ましてくださいます。この品の表題にある観世音菩薩も、私たちが手本として学ぶべき菩薩です。
観世音菩薩は、世間の苦しみや望んでいること(世音)、を察し、それに応じた教えを説いて導きます。また、相手にふさわしい姿となって出現する(普門示現)という徳と神通力を具えています。観世音菩薩の行いに学び手本とするということは、私たちもまた、家庭、職場、地域などで、相手が何に苦しみ、何を望んでいるのかをよく聞き分けて知り、どのように触れ合ったら私たちの声が相手に届くのかを見究めた上で、救いの手を差し伸べていくということです。その行動が、観世音菩薩の大慈悲にほかなりません。すべての人の苦しみを抜き去ってあげたいという観世音菩薩に心を通わせることによって、自己中心の姿に気付くことができ、「まず人さま」の心になれるのです。

 

PDF
妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八
法華経の説法を締めくくる大事な品です。普賢菩薩は「仏さまがこの世をお去りになりましたのち、信仰深い人びとは、どうしたらこの法華経の教えの真の功徳を得ることができましょうか」と釈尊に質問します・釈尊は、どんな人でも実践できる法華経を成就するための4つの条件を示しました。それは、
第1に、自分は仏に生かされているのだと確信すること。
第2に、いつも善い行いをするよう心掛けること。
第3に、いつも正しい信仰者の仲間に入っていること。
第4に、いつも人のために尽くすよう目指すこと。
簡潔に示されたこれらの条件は「四法成就(しほうじょうじゅ)」と呼ばれ、『法華経』の全体をまとめる大事な実践目標です。

 

PDF
仏説観普賢菩薩行法経
法華経を生活に生かすために最も大切な懺悔(さんげ)について説かれています。一つは自分の行いや心の持ち方の過ちを、同信の人や指導者に告白すること。もう一つは仏に対して、教えに照らして間違っていた自分を反省し精進の決意と菩薩行の実践をしていくことです。
さらに、最高の懺悔とは、妄想、執着を離れ、ものごとのありのままの姿を深く想い念じるということです。
第一に、「自分のいのちの本質は仏性であり、永遠のいのちである本仏と一体である」という実相を想い念じることです。
第二に、「目の前の現象はこれからも変わらないだろう」という妄想や「変わってほしくない」という執着を捨て、「すべての存在は互いに関係しつつ変化し、変化しつつ関係し合い、宇宙全体が大きな調和を保っている」という実相を深く想い念じることです。
日々の縁の中で実相を想い、また、実相を想いながら生活することで、心は清められ、不都合な出来事からも大きな学びを得られるようになります。懺悔とはこのように仏の智慧によって生まれ変わることだといってもいいでしょう。

 

PDF
普回向・唱題・回向
「普回向」は化城諭品に出てくる一節で、梵天の王(天上界や娑婆世界などを守護する神)たちが、仏さまにさまざまな供養を捧げながら述べる誓いの言葉です。宗派を超え、ほとんどすべての仏教者が読経供養の結びとして唱える文句であるため結願(けちがん)の文とも呼ばれています。文中に「この供養の功徳を」とありますが、これは供養のなかでもいちばん重要な「行(ぎょう)供養(仏の教えを受持し、修行すること)によって得られる功徳をもって」という意味です。
「回向」の「回」は回す、「向」は向けるということで、回向とは「ふり向ける」という意味です。すなわち、本来自分が受けるはずの功徳を、他へふり向けることです。 『経典』の最後に記された回向は、法華経精神の発露そのものです。それは、「読経供養によっていただける大きな功徳を、自分だけのものとせず、神仏をはじめ宇宙全体のあらゆる存在にふり向けて幸せになっていただこう」という、広やかな大乗精神の表白だからです。このような回向の精神は、深まるほどに行動となって表われます。それは、他者を生かす菩薩行を実践して仏性を磨き、自らを成長・向上させていきます。
「唱題」では、「南無妙法蓮華経」のお題目を十回唱えます。南無というのは、梵語(古代インドの言葉)の音をそのまま漢字に当てはめたもので「帰命」という意味です。「帰命」とは、全身全霊を投げ出して仏さまの懐に飛び込んでいく、すなわち、すべてのものを生かしている真理・法のなかに純粋に溶け込んでいくことです。

※当コーナーは、弊会機関誌『佼成』(佼成出版社)からの抜粋、および『「経典」に学ぶ 釈尊のいぶき』(佼成出版社)を編集し掲載しております。(毎月更新)
このPDFファイルは、印刷できない設定となっております。あらかじめご了承ください。

佼成出版社サイト

 

GetReader

※Adobe Readerを お持ちでない方はダウンロードしてください。