有事法制問題

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「有事法制」問題を考える

有事法制問題を考える

 

松原通雄外務部長は『平和に対する宗教的な視座』と題して、いのちの尊さに目覚めること、内省すること、といった庭野会長の指導を踏まえながら、「有事法制」問題から学んでいく会員の姿勢を語っています。

松原氏

平和に対する宗教的な視座 立正佼成会外務部部長 松原通雄

「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」。そう書き記したのは、詩人で童話作家、法華経の熱心な信奉者であった宮澤賢治です。「みんなとともに幸せになりたい」とは、宮澤賢治のみならず、すべての人間の願いであろうと思います。誰一人として争いごとを望む人はいない。他人の不幸を見て喜ぶ人はいない。誰にとっても争いごとは悲しい出来事と言わざるをえないのです。
にもかかわらず、昨年9月の米国同時多発テロ事件は、世界中の平和を希求する人びとの心を弾けさせました。一部の国の過激な人々が世界一の経済力、軍事力を誇る国を相手にした非人道的事件に、人びとは強い衝撃を受けたのです。
それによって、「暴力」の連鎖も拡大しています。アフガニスタン空爆とそれに対する報復攻撃、イスラエルとパレスチナの限りない紛争、インドとパキスタンの対立、現実化するイラク攻撃、そしてわが国に関連していえば、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による核疑惑や拉致事件、不審船問題など、不幸な現実が起きています。
そのような状況下で、わが国では『有事関連三法案』問題が浮上してきています。ある面では国民的関心事でありながら、憲法とも絡むこの問題はなかなか議論が深まろうとしていません。そもそも「有事とは何か」という規定さえ曖昧です。国民の安全と人権はどうしたら守られるかも大きな課題です。
言うまでもなく、政治にとっても宗教にとっても、生命の尊厳と人権の尊重、そして平和はその最大目標です。そのことに密接にリンクする有事問題は極端に分かれた議論ゆえに多くの国民は不安感を募らせるのです。
開祖さまは、1978年の国連軍縮特別総会において、世界の政治指導者に対して「危険をおかしてまで武装するよりも、むしろ平和のために危険をおかすべきである」と訴えられ、国内外の多くの人びとから共感を得ました。そして、「有事」といった事態が起こらぬように、宗教を通じて平和への環境作りを醸成することの大切さを説いてこられました。
このような視座に立って、グローバル化した今日、わが国はいわゆる『有事法制』を議論する以前に取り組まなければならないものがあるのではないでしょうか。それは平和主義に徹しての「政府の外交と、民間による幅広い草の根の交流」「官民一体となった開発援助」「非政府組織による支援活動」といった形での『国際的な信頼の醸成』ではないかと考えます。特に、私たち宗教者は、開祖さまが示された宗教対話・協力による平和活動は大切な責務と認識されます。
仏教は「一切衆生悉有仏性」と教えています。人間はもちろん、生きとし生けるものすべてが、等しく尊い〈仏のいのち〉であり、この世界をひとつの生命と見る〈永遠のいのち〉と考える思想です。そうであれば、民族間の対立、宗教間のいがみ合い、国家間の戦争は、すべてこの〈永遠のいのち〉に目覚めていない人間の愚かさゆえの所業と言わざるをえません。
会長先生は、米国同時多発テロ事件が起きたとき、宗教者としてのメッセージを出されましたが、その中に「まことに、怨みは怨みによっては消ゆることなし。怨みは怨みなきによってのみ消ゆるものなり」という『法句経』の一節を盛り込まれました。仏教の平和・社会活動の基底には「内省」「懺悔」による許しと和解が必要不可欠との認識からです。
『有事法制』問題を考える場合、善悪・正邪といった対立的構図を超えて、そうした宗教的な智慧の立場で見つめなおすことが、世界で唯一の被爆国の国民としての視座でなければならないのではないでしょうか。