有事法制問題

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「有事法制」問題を考える

有事法制問題を考える

 

一人ひとりが「有事法制」を自らの問題として理解するためには、論点を明確にし、平和との関連を学んでいくことが大切です。眞田芳憲中央大学教授に『庭野開祖に学ぶ平和の行動』という観点から語って頂きます。

眞田氏

庭野日敬開祖に学ぶ平和の行動 中央大学教授 眞田芳憲

現在の国際情勢と「有事関連3法案」を合わせ考えることにより、私たちはそこから、自らの平和に対するスタンスを確認することができます。まず、アメリカの動きとの関係から見てみたいと思います。
昨年の9・11同時多発テロは、アメリカのみならず世界に衝撃を与える大変凄惨な事件でした。民間人を巻き込む卑劣なテロ行為は決して許すことはできません。しかし、犯人探しのみに終始し、報復攻撃を行ったアメリカのやり方もまた、大きな問題を残しました。本来なら、真っ先に議論となるはずの「なぜテロが起きたのか」ということが、正義の報復の声にかき消され、全く検証されませんでした。アフガニスタンには空爆の傷跡が残り、人々は今なお脅威を感じています。
そして、今また、アメリカによるイラク攻撃が危惧されています。アメリカにとり、イラクを攻め落とすのは、それほど難しいことではないでしょう。しかし、それで彼の地に親米的な民主国家を建設できると考えるなら、それは大きな間違いです。イスラームには独自の文化、国家観があり、アメリカ的な価値観や様式を押し付けても、とても受け入れられるものではありません。反米的な分子による報復があることは、想像に難くありません。
イラクを攻撃するとなれば、アフガニスタンの場合と同様に、当然、民間人の無辜のいのちが失われることは必定であり、新たな報復の連鎖が生み出されることになります。ブッシュ大統領は、同時多発テロから1年のテレビ演説で「すべてのいのちは神によって与えられた贈り物であり、尊いものである」と言っていますが、この「すべて」の中にはイラク人は含まれていないようです。ブッシュ政権が信じているのがそのような自国に都合のいい神だとすれば、宗教者からそれを指摘する声が上がって然るべきでしょう。
東西冷戦終結後、唯一の超大国となったアメリカが、その力を背景に、国際マーケットにおけるグローバリゼーション、一国覇権主義を推し進めていることに対しては、各国から批判が浴びせられています。このようなことを鑑みたとき、アメリカの国策に追随する形で、国民的な深い議論もないままに、わが国で「有事関連3法案」の成立が目指されていることに、私は深い懸念を覚えます。日本の外交はアメリカ追随の色が濃厚であり、この問題でも独自の外交政策としての位置づけがなかなか見えてこないのです。
現在の法案の内容を見る限りにおいて、武力行使を目的とした法整備になりかねないと憂慮します。武力、武装というものは、人のいのちを奪うものですから、憲法との兼ね合いを論ずるまでもなく、宗教者の立場からすれば、いかなる形にしろ武力行使には疑問を投げかけざるを得ません。
開祖さまは、1978年の国連軍縮特別総会で「危険をおかしてまで武装するよりも、むしろ平和のために危険をおかすべきである」と述べられました。身をもって、そのお言葉を行動に表された方でした。
79年、イランで学生による米国大使館占拠・大使館員人質事件が起こりました。開祖さまは翌80年に真剣な覚悟を胸に現地へ飛ばれ、ゴドブザデ外相に「私自身を含め、立正佼成会には人質の身代わりになってもいいという志の者が多数いる」と伝えられたのでした。このような行動は、イスラームを専門に研究する私どもから見て、無謀とも思われることでしたが、実際にはイラン政府から高く評価され、勇気ある支援と認められました。
私は、ある座談会での開祖さまのお言葉を忘れることができません。
「私が会を創立したのは仏さまの本願を実現するためです。『あの人はこうだ、この人はああだ』などと人を裁いている暇はないのです。人を仏道に導こうと真剣になったら、何度も何度も、約束を違えられたり裏切られたりして、がっかりさせられる。しかし、それを大きな心で包んで、辛抱強く待つことができなくては、人を救うなどということはできません」
「みずからの行によって自分が変わり、それによって相手にも変わってもらい、社会をも変えていく。そうした努力を積み重ねて、この世界全体に真の救いをもたらしていくことを目ざすのが立正佼成会の柱であり、佼成会員の修行の道であるといっていいと思います」
このお言葉こそが、私たち立正佼成会の会員が平和について考え、行動する指標でありましょう。
とかく、宗教者は理想主義に走り、現実に即した対応ができないと言われることがあります。しかし、本当にそうでしょうか。開祖さまの言行に照らして考えると、宗教的な祈りや願い、信念に基づいた行動こそが、まさに現実的な対応そのものであると思えるのです。
例えば、政府レベルで行っているODA(政府開発援助)と、民間レベルの対外援助活動と、どちらが有益な成果を上げているでしょうか。たしかに、大規模なインフラや公共施設などはODAでなければつくれません。しかし、本当に現地の人のニーズに沿い、心の通った援助を行っているのは立正佼成会などの宗教NGO(非政府機関)をはじめとした民間の組織ではないでしょうか。この草の根の、地に足の着いた活動こそが、まさに最も現実的な対応ではないでしょうか。テロの温床とも考えられる世界の貧困や不正、閉塞感の解消にも、その立場から十分に取り組んでいくことができるはずです。
「有事関連3法案」を推進する立場の人も、はじめから武力行使を望んでいるのではありません。まず必要なのは、予防外交を含めた国際的な信頼の醸成であり、平和的な解決手段を模索することです。その意味では、私たちにとっては、宗教協力を基盤としながら、長期的な展望に立って平和活動を推進していくことこそが何よりも大切だと言えるでしょう。その活動の成果を周囲にしっかりと伝えていくこともまた重要なことであろうと思います。