生命倫理

HOME  >  活動   >  取り組みと提言   >  生命倫理

●「臓器の移植に関する法律案」に対する見解 (1994.6)

「臓器の移植に関する法律案」に対し、1994年6月1日、中央学術研究所生命倫理問題研究会から教団内外に公表された見解書を以下に示します。

●「臓器の移植に関する法律案」に対する見解書

平成6年4月12日、「臓器の移植に関する法律案」(以下「法律案」という)が今国会に提出されました。
この「法律案」は、平成4年1月に出された、政府「臨時脳死及び臓器移植調査会」(以下「脳死臨調」という)の最終答申を受け、超党派の議員からなる「各党協議会」での検討の末、議員立案として提出されたということであります。
ところで、各党協議会のメンバーの中には、国会での十分な審議を条件として「法律案」の提出に同意した議員、あるいは提案者に加わらなかった議員もいると伺っております。また政党によっては、「法律案」の持つ性格や内容から、党議拘束をはずして議員一人ひとりの判断にゆだねるという、異例の方針をとっているところもあると聞いております。
これらのことは、脳死・臓器移植問題がきわめて難しい問題であり、かつまた、各党や議員間においてまだ十分な議論が行われていない状況を示したものと思われます。
立正佼成会では、昭和62年以来、中央学術研究所において生命倫理問題の研究を行っておりますが、「脳死臨調」に対し、平成3年12月「中央学術研究所生命倫理問題研究会」名をもって「意見書」を提出し、脳死と臓器移植についての種々の問題点を指摘した経緯があります。しかし、今国会に提出された「法律案」は、私たちが指摘した問題点に対し、十分考慮されているとは思えません。
いままさに、「法律案」が国会において審議されようとしている時にあたって、私たちは「法律案」の問題点をあらためて指摘するとともに、脳死・臓器移植問題に関する見解を表明するものであります。
願わくは、全国会議員が、「法律案」の審議にあたっては国民各層の多様な意見を十分に反映させ、国民の合意形成に向けて必要な論議を積み重ね、国民全体の福祉実現に向けて尽力されることを希望いたします。

【記】私たちは、医学的知見である「脳死」をもって、「人の死」と規定し、それによって臓器移植を推進しようとする「法律案」には賛成できません。

はじめに

私たちの宗教的信念にしたがえば、この世における生命個体は、それぞれが唯一のものであり、固有のものであり、有限のものであり、神仏からの所与のものであります。また、生命現象は、瞬間瞬間に生滅を繰り返しつつも根源的には連続しているものであり、その営みを生命と呼ぶのであります。
また、人間は本質的に平等であり、したがって個人の身体的、精神的機能の如何によって左右されてはならないものであります。
また、人間は本質的に尊厳なものであり、死をも含めて互いに尊厳をもって扱われなければならない、と私たちは考えます。

1、人間の「死」の概念について

私たちは、生命個体としての人間の「死」は、法律的な「死」の時点も含めて、従来通り自然死(三微候死)をもって見るのが、社会的には最適であると考えています。全脳の機能死は、その器質死においても同様に、人間の死の過程に過ぎないと考えます。
私たちは、「脳死」状態が、限りなく「死」に近い状態であることを認めますが、たとえ人工的操作によるものであっても、他の臓器が機能し、体内に血液が循環して身体が生かされている限り、これを「死体」と見なし、「死体」として扱うことは許されないと考えます。ただ単に医学的知見からのみ人間の「死」を決定し、しかもこれを法律で定めることは、多様な価値の共存を阻害することにもなりかねません。
生物医学的な「死」とともに、宗教的・文化的・社会的な「死」という現実とも向かい合う必要がある、と私たちは考えます。
このような意味において、人間の「死」を法律で規定することの意味および影響を十分に考慮すべきであります。

2、「脳死」および脳死判定について

私たちは、医学概念としての「脳死」の存在については、これを否定するものではありません。
しかし、脳死判定は、脳死状態であることを判定する根拠にはなり得ても、人間の「死」を確定する根拠にはなり得ない、と私たちは考えます。
しかも「脳死」の判定基準は、まだ現代における医学の発展段階の仮説にほかならないと思います。
ただし私たちは、「脳死」状態をもってみずからの「死」と受容できる人の意思を、否定するものではありません。したがってその場合にのみ、脳死者を「死体」として扱うことができるものと考えます。

3、「脳死」を「人の死」と認める社会的合意について

政府「脳死臨調」は、「脳死」を「人の死」と認める社会的合意(根拠:世論調査の結果)形成があるという見解を示しましたが、私たちの経験では、「脳死」を「人の死」とすることの意味(医学的、文化的、社会的な意味を含む)を考え、理解している国民はきわめて少ないといえます。
社会的合意とは、単に世論調査による多数決で決められるものではなく、社会的な理解の深化を基本に成立するものであります。したがって医学的な概念としての「脳死」および脳死者を「死体」として扱うことの意味について、国は多角的かつ客観的な情報を国民に伝え、十分な論議を尽くして社会的合意を図ることが肝要である、と私たちは考えます。これまでに国が社会的合意形成にむけて十全の努力を尽くしたとは認められず、「脳死」を「人の死」とする社会的合意がこの国に存在するとは、私たちには思われません。

4、重要臓器の移植術について

私たちは、脳死・臓器移植が行われている諸外国の現状を見るとき、わが国においても、将来とも慢性的な臓器不足が解消される見込みのないことや、公平な臓器の分配がきわめて困難な状況になると予想されることから、移植医療を普遍的な医療とは認めがたいと考えています。
また、生命個体のもつ免疫機能を考えるとき、生命個体の保持に必須である免疫機能を人為的に抑制・管理しなければ成立し得ない現代の移植術は、確立した医療とはいえないのではないでしょうか。
その意味で私たちは、現状における重要臓器の移植術は、緊急避難的な過渡期の医療であると考えています。

5、重要臓器の授受について

私たちは、「脳死」をみずからの「死」と容認する人で、文書によって臓器提供の意思を表明している場合に限り、その人が臓器提供者(ドナー)になることを否定いたしません。
同様に私たちは、脳死患者から臓器の提供を受け、健康の回復を願う人(レシピエント)の意思を否定するものでもありません。
したがって私たちは、「法律案」に示されている「遺族の承諾」による、あるいは「法律案」の運用で検討されている「本人の意思の忖度」による臓器の摘出・提供を認めることはできません。家族の概念も不明確であり、移植医療の乱用につながる危険性をはらむものと考えられるからです。
そしてさらに、ドナーの意思表示については、これを確認するための法的要件、およびその制度のあり方を十分に審議・検討する必要があると考えます。

6、臓器移植にともなう諸条件の整備について

私たちは、脳死・臓器移植をこの社会に受容することの問題点として、脳死・臓器移植術の普遍化により、社会的弱者がさらに抑圧され、差別される社会が到来することを最も憂慮しています。
また、人体を医療資源として利用するような非人道的な思想・風潮が広がることを懸念しています。
諸外国の例を見ても、人体を医療資源と考え、死体を断片化し、これに対価を表示し、商品として陳列売買する社会を、私たちは現に目の当たりにしています。
そこで私たちは、脳死・臓器移植が実施されるにしても、以下の諸条件が十分に満たされるべきであると考えます。
(1)まず、脳死判定基準についての合意形成と、厳格な脳死判定が実施される必要があります。
(2)また、臓器の授受・斡旋が公正に行われるための基準づくりや、移植医療機関から独立した第三機関としての、移植ネットのシステムの整備とその制度化に向けて、国および医学界が万全の努力を払う必要があると考えます。
(3)さらに、臓器の斡旋が不当に行われたり、臓器の売買が行われたりすることのないよう、法律に基づいて公的機関が厳正な指導・監督を徹底する必要があります。

おわりに

私たちは、他者の臓器移植によってしか、治療・延命の道がない医療の現実を、悲しい現実として直視せざるを得ません。私たちは、レシピエントの苦しみ、ドナーの苦しみ、あるいは家族の苦しみに思いをいたします。
古代より人間は、生・老・病・死の苦脳の克服を願ってきました。私たちは、現代医療がさまざまな病気の治療・延命に成果を上げてきたことを認識しております。
しかしながらそれぞれの民族や国家には、それぞれの思想や文化的・社会的な伝統があります。その意味において私たちは、脳死者からの臓器移植による治療法は、わが国の文化的・社会的伝統とは必ずしもなじまない点があると考えております。
人間の生や死の問題は、医学の問題であると同時に、文化的・社会的な問題であり、ことに優れて人間の根源的かつ究極的な信仰や哲学の問題であることは言を俟つまでもありません。
私たちは、「法律案」の成立によって日本の宗教的・文化的・社会的伝統と価値観が根本的な変容を迫られることを憂い、かつまた、さまざまな社会問題が誘発することを危惧するものであります。
私たちは、国と医学界に対し、本「法律案」の成立に努力を傾注するよりも、臓器移植によらない治療法の一日も早い開発と確立への努力を切望してやみません。
政局の混迷が続いている現在の状況下で、「法律案」の取り扱いや審議が安易に行われることのないよう、議員各位の慎重な対応を切に要望するものであります。

以上

平成6年6月1日

東京都杉並区和田2丁目4番16号

中央学術研究所
生命倫理問題研究会

座長 天谷 忠央