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●庭野日敬開祖論文 「国家」より「国民」へ
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私たちは慰霊に反対しているのではなく、国家権力の介入に反対しているのです。
●靖国神社問題の経緯
靖国神社問題は、新生日本の誕生とともに始まりました。 昭和20年、敗戦とともに進駐してきた連合軍は、日本の旧来の体質を一掃し、民主化を図るために「言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は、確立されるべし」というポツダム宣言の実施を強く要望し、いわゆる「神道指令」を発して国家神道を国から分離して、神社神道を本来の宗教的形態に戻したのであります。 昭和22年に新憲法が施行され、また26年にはサンフランシスコ講和条約が締結されて、日本の独立が国際的に認められました。日本は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を柱とする新しい国づくりをこの時から開始したのであります。とりわけ新憲法20条と89条は、近代日本の犯した歩みの反省に立って制定され、思想・信教の自由と精神の自由を保障するために、きわめて厳格な政教分離の条項となって確立されました。 招魂社にその源を発し、陸海軍所管の別格官幣大社として、明治以来の戦没者を合祀奉斎してきた靖国神社が、大きな宗教問題となった発端は、実にこの新生日本の誕生と共に生じたわけであります。 中国で嵐のような文化大革命が始まり、アメリカ軍による北ベトナムの爆撃が本格化する昭和40年代の前半、日本では高度経済成長が頂点に向かっていました。この頃に靖国神社問題が表面化してきたのです。 自民党遺家族協議会の靖国国家護持小委員会から村上私案がまとめられ、これをひき継いだ政調会・内閣部会の靖国小委員会において山崎私案が作成されました。昭和44年、この山崎私案を再検討して根本私案がまとまり、この根本私案が「靖国神社法案」となって自民党から議員立法で上程されたのです。この「靖国神社法案」は国会に5回上程され、各界の反対によってすべて廃案となりました。そこであらたな主張として、靖国神社は宗教法人のままにして、天皇、閣僚などの公人や外国使節団による公式参拝を可能にする「表敬法案」が提案されました。その少し前には、靖国神社が宗教法人なるがゆえに憲法上の制約をうけるわけですから、いっそ靖国神社を非宗教化してしまう、いわゆる民法34条でいうところの祭祀法人に移行させるという、「靖国神社民法法人移行論」といわれるものが提案されました。 昭和50年に入りますと、靖国神社の国家護持をすすめる人々は、国民運動として「英霊にこたえる会」を結成し、「公式参拝の実施」と「戦没者追悼の日制定」を強く訴えるようになったのであります。
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