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●座談会 靖国神社公式参拝を問う
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出席者
庭野欽司郎(立正佼成会参務)
眞田芳憲氏(中央大学法学部教授)
末松義規氏(衆議院議員=民主党)
(この座談会は、2001年8月3日、10日発刊の『佼成新聞』より収録したものです) |
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司会 靖国神社への「公式参拝」になぜ反対しているのか。その点から一言ずつお話し頂きたいと思います。
庭野 私は、靖国神社への参拝は自由に行うべきことであり、戦没者の慰霊は真心からさせて頂きたいと思います。 靖国神社問題に関しては、1960年代、いわゆる国家護持法案(靖国神社法案)が、延べ5回、国会に上程されています。国家が、一宗教法人を管理しようとする法案でした。これは、まさしく憲法の定める「信教の自由」「政教分離」の原則に反します。佼成会としても、新宗連(新日本宗教団体連合会)と共に、教団をあげて反対運動に取り組んできました。 そしていま、その延長線上の問題として、首相の公式参拝が議論を呼んでいます。国家の代表者である首相が、一宗教法人に公式な立場で参拝することは、極めて違憲性が高いと言わざるを得ません。原則的には、個人としての参拝ならばよいのですが、一国の首相に、私人と公人の区別がつくのか疑問です。その意味でも、あくまで慎重に対処すべきだと思っています。
眞田 先の大戦では、軍人、軍属、民間人などを含め、400万人にも及ぶ方々が亡くなりました。戦争の犠牲者は、そうした方々の尊い生命ばかりではありません。われわれの自然環境、社会環境、文化伝統も破壊されてしまいました。今日のわが国の平和が、こうした方々の犠牲の上に築き上げられたものであってみれば、戦争の犠牲者を慰霊するのは当然であって、国民としての責務であると思います。 しかし、戦争で亡くなった方々は、皆好き好んで戦争に行ったわけではありません。もちろんすすんで軍人になった人もいるでしょう。でも「赤紙」(召集令状)で、心ならずとも戦場に赴き、亡くなった方もおられます。 私は、そういう方々が、果たして「戦争に行きたくない」と言えたんだろうかと思うんです。例えば、戦前の憲法では、第28条に『日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニオイテ信教ノ自由ヲ有ス』とあります。臣民の義務を尽くすという限りにおいて、初めて信仰というものを持てたわけです。また国民は、治安維持法によって、共産主義や無政府主義思想を持っただけで処罰されました。内心の自由の侵害です。「戦争はいやだ」と言える状況ではなかったのです。国民は、戦争に反対したいと思ってもできず、そういう中で、戦争に巻き込まれていった。だからこそ、良心の自由、信教の自由ということが大事なんですね。 二度と不幸な戦争はしてはならない。戦争の原因は数多くあるにしても、帰するところ、「戦争という国策は間違っている」「戦争は反対」と、本当に言いたいことが言えなかったところにあるのではないか。そういう国民としての反省、民族としての反省があって、戦後、新しい憲法に、19条の「良心の自由」とか20条の「信教の自由」が打ち出されてきたのだと思うんですね。 私が靖国神社の公式参拝に反対するのは、公式参拝が憲法の定める「良心の自由」や「信教の自由」を侵害するものであり、戦前の悪夢をそこに見るからです。
末松 2001年6月20日の国会での党首討論で、民主党の鳩山(由紀夫)代表が、小泉首相に対し、はっきりこう述べています。「私は、戦没者の方々への慰霊や感謝の気持ちは人後に落ちませんが、......靖国神社の公式参拝は、全く反対です。これだけはやってはならない。アジアの国々、まだ痛みから癒えていません。その人たち、合祀の問題があるだけに、また傷口に塩を塗られるのか、大変つらい思いです。でも、それよりも、私はむしろ憲法の問題も取り上げなければならない。憲法20条、国家が宗教活動をしてはならない。(靖国神社の公式参拝は)その疑いが極めて強いと言われている。その中であえて総理が靖国公式参拝、私は決してすべきでない(と考える)」。 明治以降、日本では、国家が宗教(神道)に介入し、一体となってきた歴史があります。それが他の宗教に対する圧迫要因になり、ひいては国民の信仰する自由やさまざまな権利をも害する要因になってきたことは明らかです。 また戦争という道を辿る中で、日本の行為を侵略と位置づけるかどうかは、まだ国民の中で、本当の意味で議論されていない、清算されていないんですね。そこが海外からいろいろ言われるところだし、それに対し、日本人がはっきりとものを言えない原因になっています。 私は、この点を政治の世界できちっとやっておかないと、これからの外交はますます難しくなると思っています。日本人も戦後50年以上経ち、そろそろ「食べる」という意味では生活の不安がなくなってきていますから、ちょうど反省、省みる時なのではないでしょうか。 それから一言申し上げたいのは、政治と宗教が適度な間合いを取っていかなければならない、という点です。政治が宗教に介入することはあってはならないし、逆に宗教団体が過度に政治に介入することも、信仰を持つ者の間で不平等を生んだり、宗教上の命が希薄化することにつながりますから気をつけなければならない。だから適度な間合いをとることが、いま一番重要なのだろうと思います。
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