急がず、休まず

HOME  >  急がず、休まず  >  いじめ・不登校の問題は 親や先生の人間観が根本

いじめ・不登校の問題は 親や先生の人間観が根本

親の側、先生の側も、それぞれの親から、いろいろと強く育てられてまいりました。そうした構造がずっとあったと言えます。その根本として考えなければならないのは、人間のいのちをどう見るかという人間観ではないかと思います。
人間は、神仏からの授かりものであり、みな尊い--親や先生が、そのような人間観、人生観を持っているかどうかということが、子供さんに対する言葉の中にも表れます。
上の者が下の者に優しく、何かものを言う時は、ニコニコしながら優しく説明をして、理解をしてもらう。そうしたことを親がしていく、あるいは教師、先生がしていく中で、本当の意味の優しさが、子供さん、生徒の中に伝わっていくということです。
最近のいじめは、陰湿な面があると言われ、悲しいことに、自殺に追い込んでしまうことにもなりかねないということであります。
佼成会の信仰をする者、仏さまの信仰をする者として、個々の家庭が、子供さんにとって、本当に居心地が良い場所であれば、最悪の状態である自殺という所まではいかないで、再び立ち上がる方向に向いていくと思います。いじめの問題は、単なる社会現象ではなく、私たち一人ひとりの家庭の問題、一人ひとりの心の問題につながっているわけです。
万葉集に、山上憶良(やまのうえのおくら)という方の有名な歌があります。
「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も なにせむに まされる宝 子にしかめやも」
この歌は、子供を、本当に授かりものとして尊んでいると思います。こうした精神であれば、いじめなどなくなっていくと思います。子供に対して親が、敬意を表し、畏敬(いけい)の念を持っています。山上憶良は、とても大事な歌を残してくださったように思います。
つまり子供、弱い者に対して、親や教師が、強圧的に命令をしたりしている限り、いつまでも不登校、いじめの問題は絶えないということです。

『佼成新聞』より