「ゆめポッケ親子ボランティア隊」に同行して アゼルバイジャン
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3月27日から4月5日まで、「ゆめポッケ親子ボランティア隊」(隊長=中澤孝之浜北教会長)の一行29人がアゼルバイジャンを訪れました。カスピ海西岸に位置し、コーカサス山脈の南麓に広がる同国には、政治不安や民族紛争などの影響で国内避難民やチェチェン人など約100万人が厳しい環境に置かれています。一行は、この国の子供たち一人ひとりに、日本の小・中学生の祈りが込められたポッケを真心とともに手渡しました。 |
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ポッケ配布を前に隊員たちは、現地のNGO(非政府機関)「ハイヤット」の会長らと面会した |
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アゼルバイジャンの首都・バクーに到着すると、整った街並みが隊員の目に映った。高層ビルやきれいに着飾った人々。この地で多くの難民が厳しい生活を送っているとは信じ難い光景だった。 今回、隊員たちを受け入れる現地のNGO(非政府機関)「ハイヤット」のヴサール・ラジャブリ会長(33)は、こうつぶやいた。「好景気の影響で政府も難民支援を始めたが、物質的な支援ばかりで心のケアがない」。 近年、石油価格の高騰に伴ってバクー油田を持つアゼルバイジャンは急速に好景気となった。市民の生活が潤う一方、難民との格差は広がり続けているという。 アゼルバイジャンで暮らす難民は、紛争地域から命がけで逃げてきた。避難後も定職に就けず、収入はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)からの月130㌦(約1万3千円)。母国から持ち出したわずかな家財を売りながらの生活は限界を迎え、未来への希望を持てず、ただ紛争が終わることを願い続けている。 こうした現状の中、「ハイヤット」は、UNHCRなどと協力し、難民の子供たちを対象に支援活動を行ってきた。また、3年前からゆめポッケ配布活動の受け入れを担っている。ヴサール会長はポッケ配布を前に「ゆめポッケの配布活動がどれだけの希望を与えているかは計り知れない」と、隊員に語った。
最初の配布場所となる「クバドリン地区小中学校・ジャブラマ地区第5小中学校」は、国内避難民が多く暮らすバクー市郊外にあった。両校には、6歳から17歳までの子供たちが通う。学校名の「クバドリン」と「ジャブラマ」は、子供たちが避難前に住んでいた故郷の地名だ。 バスが到着すると、グラウンドでは約220人の子供たちが一行を出迎えた。「サラーム(こんにちは)」。隊員があいさつすると、子供たちも大きな歓声と笑顔で応えた。「来てくれてありがとう」「訪問を心待ちにしていました」。子供たちは、口々に隊員へ感謝の思いを伝えた。歓迎のセレモニーでは、伝統的な民族衣装に身を包んだ子供らが古くから伝わる踊りを披露し、多くの隊員の目に涙が浮かんだ。 配布が始まると、隊員は子供たち一人ひとりに「ブユルン(どうぞ)」と笑顔で声をかけた。握手をしたり、抱き合ったりしながら、一人ひとりにポッケを手渡すと、ポッケを手にした子供たちが笑顔になる。友達と中身を見せ合う子、おもちゃを出して遊びだす子、ポッケを抱きしめてずっと離さない子もいた。 「ハイヤット」スタッフのエルシャン・ヴァギーロフ氏(45)は、「ここにいる多くの子供たちにとって、ポッケは生まれて初めてのプレゼントです。子供たちはポッケを通して他者から自分への思いやりを実感し、誰かに愛情を分けたいと思うようになっていく」と話した。 バクーの近代的な街並みを抜けてバスで1時間半ほど走ると、土埃(つちぼこり)のまき上がる未舗装の道路が広がった。沿道には土やレンガで造られた家屋が並ぶ。アゼルバイジャンでも特に貧しい人が暮らすナリマノフ地区モンチン村。隊員は、そこに暮らすチェチェン難民で、3年前にポッケをもらったメドニー・アベイエルさん(13)宅を訪ねた。 メドニーさんは、チェチェン共和国の首都・グロズヌイから8年前に逃げてきた。1999年から続く第二次チェチェン紛争で街のほぼ全域が破壊された。 「当時のことを覚えていますか」。メドニーさんに一人の隊員が遠慮がちに尋ねた。メドニーさんは言葉を詰まらせ、顔を覆い、肩を震わせて泣き出した。自宅近くでは、空爆や銃撃戦が毎日のように起きていたという。隊員は、8年を経た現在もメドニーさんの心に深く刻み込まれた「傷」に触れ、戦争が今も人々の心の中で続いていることを実感した。その後、折り紙や紙風船などで隊員と交流するうち、メドニーさんは次第に笑顔を取り戻した。3年前にもらったポッケのおもちゃでも同じように遊び、今も大切にしているという。 「ポッケに入っていたおもちゃやぬいぐるみで遊んでいる時間は本当に楽しくてつらい体験を忘れられます。ポッケは、私にとってとても大きな存在です」
隊員は、チェチェン難民のアブドラ・イスラモフ君(8)宅にも訪れた。アブドラ君も戦争で心に傷を負った一人だ。 アブドラ君の父は、突然自宅を襲撃してきたロシア兵に暴行され、強制連行された。連れ去られる父の足にしがみついたのが、アブドラ君にとって父との最後の記憶だ。父がいなくなった半年後、母親は病死した。孤児となったアブドラ君は祖母に引き取られ、4年前、アゼルバイジャンに逃げてきた。生活は厳しく、病院に行くことさえできないという。アブドラ君の話に、隊員は言葉を失った。〈一日も早く戦争のない世の中になってほしい〉。その願いを込め、隊員は、『LOVE&PEACE』と書かれたメッセージカードと共に、ポッケを手渡した。 内海沙有理さん(11)=久留米教会=は、「彼は小さな身体で抱えきれないほどつらい体験をしてきた。両親がいることは当たり前じゃない。生きていることが有り難いと彼から教わった」。 訪問先からの帰り道、藤本尚美さん(12)=姫路教会=は、現地スタッフの話すこんな言葉を聞いた。「子供たちにとって、ポッケの中身だけが問題じゃない。自分のことを思い、会いにきてくれて、皆と心が通じ合えることがうれしいんだ」。 今回の配布で藤本さんは、子供向けにしては地味な色の袋を目の当たりにした。そのポッケをもらった子供が気の毒になり、作った人を責める気持ちが起こった。スタッフの言葉を、母・貴代さん(42)=姫路教会青年婦人部長=に伝えた。見た目だけで判断していた自分に気づき、ポッケに込められた"相手を思う心"の大事さを改めて親子で確認し合った。「ポッケを通じて伝わる真心に変わりはないんだ。でも、だからこそ、もっと喜んでもらえるようなポッケ作りの大切さを多くの人に伝えよう」と親子で決意した。
平和な故郷に帰れることを願い、命の危険におびえながら厳しい環境の中でひたすら待ち続ける難民たち。そこで暮らす子供たちにとって、一つのポッケが果たす役割は計り知れない。 配布活動に同行した「ハイヤット」スタッフのバドゥット・チェチェンスキさん(40)は、自身も戦争で家族を亡くしたチェチェン難民の一人だ。配布先でポッケを受け取った子供たちを見てバドゥットさんは、「戦争ばかりを見て育った子供たちにとって、ポッケがどれほど心の支えになっているか......。それは配布する皆さんでも想像できないほど大きな意味を持っている」と語った。そして、最後につぶやいた。「私たちは、チェチェン人だというだけで迫害を受けた。もう誰にも戦争のようなひどい体験をしてほしくない。あんな思いをするのは、私たちだけで十分だ」。 配布終了後、解団式の席上で隊員は、アゼルバイジャンでの学びを確認し、一つの決意を固めた。「いつの日かポッケが必要なくなる世界を築くため、祈りを捧(ささ)げ続けよう」。 アゼルバイジャンに古くから伝わることわざがある。『喜びは分かち合うと大きくなり、悲しみは分かち合うと小さくなる』。隊員は、ポッケの配布活動を通し、短い時間の中で難民の子供たちと悲しみ、喜びを分かち合い、心を通わせた。
~メモ~ アゼルバイジャンは、チェチェンはじめ、アフガニスタン、イラン、イラクなどからの難民を受け入れている。特にチェチェン難民が抱える事情は深刻だ。チェチェンの独立を認めないロシアは1994年に派兵、攻撃を開始した。現在も両者の戦闘は続いている。ロシアが独立を認めない背景には、同地方がトルコやイランに近く、軍事上の緩衝地帯であること、ロシアに続くバクー油田からのパイプラインがチェチェン国内を通っていることがあげられる。 また、同国西部のナゴルノ・カラバフ自治州周辺で発生した国内避難民も大きな社会問題だ。88年、同地方の住民の約8割を占めるアルメニア人が、隣国アルメニアへの帰属変更を要求し、アゼルバイジャン人と対立。両国の戦争に発展した。94年に停戦合意がなされたが、解決には至っていない。いまだに民衆レベルの対立は根強く残り、争いが絶えない。 |
(2008.04.16記載)
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