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一食支援の現場から=ジェン・スリランカプロジェクト視察レポート


「光り輝く島」の意味を持つスリランカ。島の周囲は黄金色に輝く砂浜が広がり、中央部の高原地帯は豊かな自然に覆われています。同国は、2004年末、大災害に見舞われました。インドネシア・スマトラ島沖地震・津波。島の南東部沿岸は高さ約20㍍の津波で壊滅的な被害を受け、全土で約3万人の人命が奪われました。本会も加盟する特定非営利活動法人ジェン(JEN)は、発生直後から救援活動を開始。昨年まで被災者の自立と復興を願い、支援活動を続けてきました。また、昨秋からは東部で発生した内戦で避難した住民への支援事業を展開しています。今夏、本会一食(いちじき)平和基金事務局スタッフと共に同国を訪れ、同基金で支援するプロジェクトの模様を視察しました。支援の様子と人々の今を紹介します。

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農業インストラクターの説明に聞き入る受益者たち(パンチャンケルニー・サウス村)


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「ジェンの支援を受けて元気になりました」と話すロシャンさん(妻、二女とケア村の自宅で)

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受益者宅の家庭菜園には、ジェンへの感謝の気持ちを表すため、「JEN」のステッカーを張った立て札が立てられていた(パンチャンケルニー・サウス村)

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ナーガリンガムさん兄弟は、「漁業を通して村を発展させたい」と夢を語った(パンチャンケルニー・サウス村)

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ジャングルを開墾して建設されたケア村

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野菜栽培を学び、自立へと歩み始めたポルトガル村の村人たち

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政府軍による掃討作戦の戦闘で破壊された校舎(パンチャンケルニー・サウス村)


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村人たちはジェンの配布した野菜の苗木を手に、復興への希望を抱く(パンチャンケルニー村)

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野菜栽培ブロジェクトの受益者宅には、パパイヤ、バナナなどが実っていた(ケア村)

南部の港町、ハンバントタ。海岸線から内陸に約3㌔進むと最初の視察地ケア村の集落が見えてきた。同村は、津波の被害を受けた沿岸部の市街地に住んでいた人々のために、ジャングルを切り開いて用意された再定住地域だ。
ジェンは同村で昨年5月から7月まで、人々の復興と自立に向けて野菜栽培や栄養指導、カウンセリング、子供の課外活動などのプロジェクトを行ってきた。
スタッフのクラシリ・ビジェーティラカさん(58)は、「村の人は、再定住した当時は津波の影響でストレスを抱え、人生に絶望していました。ジェンのプロジェクトに参加することで少しずつ精神的な問題は緩和され、もう一回生活を再建できる自信を取り戻してきました」と語る。
受益者委員会代表を務めるニール・ロシャンさん(39)宅を訪ねた。玄関を入ると壁に飾られた写真が目に留まった。ピンクのドレスを着たかわいらしい少女。津波で亡くなった愛娘・シャンカラちゃん(7)だという。「娘は妻と家にいて津波に遭いました。妻は助かりましたが、娘は離れた茂みの中で見つかりました」と当時の状況を話してくれた。「一時は悲しみの中で全く希望を失っていましたが、ジェンのカウンセリングを受けて少しずつ元気を取り戻しました。野菜の栽培方法を学んだことも役に立っています。ジェンの支援は本当に心に響くものでした」とロシャンさん。その表情には穏やかな笑みが浮かんでいた。
このあと、同じく再定住村のポルトガル村へ。名前はポルトガル政府が住宅の建設資金を支援したことに由来する。ジェンは昨秋、同村でも野菜栽培や栄養指導、カウンセリングなどを行った。
村では、幼児を連れた若い母親を中心に30人ほどが迎えてくれた。野菜栽培プロジェクトの参加者たちだ。それまでは農業経験のなかった彼女たちが「収穫した野菜を売って収入を得られるようになった」「村の仲間と一緒に仕事をして津波の恐怖を忘れることができた」と口をそろえる。パパイア、バナナ、トマト......。各家庭の小さな畑にはたくさんの果物や野菜が実をつけていた。ウィマラ・カーマさん(49)は、「植物を育てることを通して命の強さを知りました。津波のダメージから回復していく自分たちの生命力と重なり合い、心の癒やしにつながりました」と語った。
東部のバティカロア県は津波で大きな被害に見舞われた地域だ。復興に向け歩んでいた昨年1月には政府軍によるタミル・イーラム・解放の虎(LTTE)の掃討作戦の戦場となり、県内に住む15万人が避難民となった。スリランカは今も北部地方で内戦状態が続き、各地で散発的にテロが発生している。
 政府の安全宣言後、住民は帰還してきたが、同県にあるパンチャンケルニー・サウス村には今も戦闘の傷跡が残る。爆破されて、屋根のない小学校の校舎、壁の無数の弾痕......。
 小学校から100㍍ほど離れた広場では、帰還民支援事業として5月から始めた野菜栽培プロジェクトの一つ、有機肥料作りの講義が行われ、50人の村人が集まっていた。「今日は身の回りにあるものを利用して肥料を作ります。まず、牛糞5キロを湿らせ、ハーブ5キロと一緒に容器に入れて混ぜます。次に......」。農業インストラクターの実演を交えた説明に向けられる視線は真剣だ。
 講義後、ペルマル・シルバ・クマールさん(25)が言った。「多くのNGO(非政府機関)が物資を届けてくれました。ジェンはそれだけでなく、私たちに技術を教え、助言をくれました。未来につながる支援がうれしい」。
 野菜栽培プロジェクトの会場から300㍍ほど離れた家の庭先に男性たちの姿があった。集まって魚網を修理していたという。ジェンの魚網作り訓練を受けた漁師たちだ。同訓練により、作業を通じて津波や内戦で負った心の傷が和らげられ、津波発生以前は購入したり、修理を依頼したりしていた魚網を自分で作り、補修することで出費を抑えられるようになった。津波で船と魚網を失った村人たちは、ジェンから支給された2隻のボートと自分たちで製作した魚網を使ってマグロやロブスターなどの漁を再開した。日本人スタッフ・山中嶋美智さん(29)が、「男性は生業(なりわい)である漁師に復帰して気持ちが前向きになれたようです。今では魚網の修理法を仲間に教える姿も見られます」と教えてくれた。
 ナーガリンガム・ティルナーさん(36)、カルナーカラムさん(22)兄弟。漁師一筋の"海の男"だ。2人は口々に言った。「仲間に技術を伝えることで、その人がさらに次の人に伝えてもらえたらうれしい」「みんなで協力して村の漁業を発展させたい」。2人の心にリーダーとしての自覚と誇りが芽生えていた。
 村の漁業協同組合長を務めるセラタンビ・ジュガナードンさん(30)は、「支援のお陰で希望が見えてきました。その陰に『一食を捧げる運動』をしてくださった人の存在があることを知りました。私たちもその精神にならい、人の役に立っていきたいと思います」と謝意を表した。

 最後の視察地、パンチャンケルニー村に到着すると、子供たちの歓声が聞こえてきた。広さ25畳ほどの小屋で100人以上の子供が歌ったり、ゲームをしたりと思い思いに遊んでいる。「子供たちはスポーツやゲームを通してストレスを発散したり、仲間との 絆 を強めたりしています」と山中嶋さん。子供の課外活動は毎回放課後2、3時間行われる。津波や内戦の後遺症で精神的に不安定な子供を見つけたときは、ソーシャルワーカーなどがケアに当たるという。
 課外活動を行っている向かい側では、子供たちの親が心理学専門家による集団カウンセリングを受けていた。「目を閉じて、巡礼旅行に行くことを想像してください」。心理学専門家に促され、30人の参加者が黙想する。10分後、「津波や戦争のない世界になるように祈りました」「今の平和が続いてほしい」とそれぞれが感じたことを発表した。
 「活動に参加するまでは放課後はずっと家にいました。でも、今は友達もたくさんできて楽しいです。お母さんも家庭菜園を始めてから笑顔で幸せそう」。課外活動を終え、ポンナム・プリドラさん(13)が顔をほころばせる。母親のパールバディさん(48)も「この活動に参加してから娘は以前より前向きで活動的になりました」と話した。
 そんなプリドラさんの夢は学校の先生になること。「先生になるために一生懸命勉強します。そして、日本で一食を抜いて献金してくれた友達がいることを覚えておいて、みんなに伝えます」。その表情は明るく、希望にあふれていた。
 村人たちはジェンのプロジェクトを通じて心の傷を癒やし、学んだ技術を生かして復興と自立への歩みを確実に進めている。事業終了後もジェンのスタッフが各村を訪れ、村人への助言などを行う。視察を終え、川本くみこ・一食平和基金事務局長は、「ジェンの活動を通し、一食の浄財がスリランカの復興や人々の希望につながり、大きな成果をあげていることを確認できました。今後もジェンと協力し、世界の平和に貢献していきたい」と語った。

メモ
【ジェン(JEN)】
日本初の連合NGO(非政府機関)「日本緊急救援NGOグループ(Japan Emergency NGOs)」として1994年に設立され、一貫して「心のケアと自立の支援」をモットーに、世界各地で紛争、自然災害の犠牲となった人々への支援活動を行う。2000年にはNPО法人格を取得。団体名を「特定非営利活動法人ジェン(JEN)」に改称。JHP・学校をつくる会、立正佼成会で構成する。本会一食平和基金は、スリランカを含む同団体のさまざまなプロジェクトに生かされている。

(2008.10.02記載)