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豊中教会の辻井さん・震災時に出会った少女を思い、詩をしたためる


阪神・淡路大震災が発生した1月17日が近づくたび、辻井さん=豊中教会=は一人の少女を思い出します。14年前、被災地で母親の亡きがらに寄り添っていた、けなげな姿。「当時6歳だった女の子は今年、成人式を迎えるはず」と辻井さんは話します。今は消息も分からない少女を思い、一編の詩をしたためました。

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辻井さんが少女に出会ったのは、神戸市住吉に設けられた臨時の遺体収容所でした。兵庫・尼崎市の葬儀社に勤める辻井さんは、地震発生後、現地に自転車で通い続けました。次々と収容所に運び込まれる遺体。現地の葬儀所や火葬場も多くが倒壊して対応が追いつかず、遺体が所狭しと並べられていきました。目を覆うばかりの惨状でした。
その中に、母親の亡きがらに覆いかぶさるようにして死に顔を見つめる髪の長い少女がいました。辻井さんはその少女に近づき、尋ねました。
「お姉ちゃん、いくつ?」「6つ」「えらいねぇ。しっかりママを守ってあげてね。ママをお空に送る(火葬する)のはもうちょっと待ってね」「うん」
涙も見せず気丈にうなずく少女の表情を、辻井さんは今でも忘れられません。母一人、娘一人のようでした。炊き出しには目もくれず一日中母親に寄り添う少女に、辻井さんは「食べなアカンよ」と言って、おにぎりと味噌(みそ)汁を食べさせました。
ある日、少女の母親を見て一人の同業者が声を上げました。「この人、神戸教会の人や」。その同業者は神戸教会の会員で、その母親を教会で見かけたことがあったといいます。だが、詳しいことは分かりませんでした。
その後、辻井さんは少女のことが気になりながらも、震災の混乱の中で多忙な4日間を過ごし、神戸を後にしました。以来、少女の消息は分かりません。「東京のおじいちゃんの所に行く」という少女の言葉だけが辻井さんの耳に残っています。「今思えば、女の子の悲しみにもっと寄り添ってあげればよかった......」と悔やみます。
趣味で詩歌をたしなむ辻井さんは、未曾有の大災害を風化させないためにも、その少女の思いをくみ、詩に託しました。「できれば、私のいのちがあるうちに、もう一度あの"女の子"に会いたい」と話します。

『一九九五・一・一七』

小雪の舞い散る街並に
窓に軒端にひらひらひら
あの日のことを思い出す
一九九五・一・一七
ママとさよならした日です
ママのところも冬ですか
あれから早くも十四年
私も大人になりました
きっといつかは会えますね
今年もたくさんたくさんの
命のあかりが灯ります
ママのとこから見えますか
心をこめたこの手紙
その日にお墓におさめます
ママのお墓におさめます

(2009.02.06記載)