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「一食支援の現場から」スーダン現地リポート


アフリカ大陸最大の国土を有するスーダン。22年間におよぶアラブ系住民(北部)と黒人系(南部)の内戦で、約200万人の人命が犠牲になりました。紛争中、60万人がウガンダやケニアなどの近隣諸国に逃れ、400万人以上が国内避難民として厳しい生活を強いられてきました。2005年、CPA(南北包括和平合意)が結ばれ、長く続いた紛争が終結。各地に避難していた人々の大量帰還が始まりました。立正佼成会一食(いちじき)平和基金は特定非営利活動法人「ジェン(JEN)」と合同で、07年4月から同国南部で「帰還民再定住支援プログラム」を開始しました。今春、同基金事務局スタッフによる現地視察に同行。現地の様子とプロジェクトの状況、成果などをリポートします。

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支援によって井戸が掘られ、手動のポンプが設置された。安全な水を確保できるようになり、村人たちの健康状態も改善した(テレケカ郡)


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さびた戦車の手前には地雷撤去を示す棒が立つ。ラニャ郡には、22年間に及ぶ内戦の傷跡が今も残る


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故郷に帰還した子供たち。本会一食平和基金とジェンが合同で行う支援は子供たちの未来につながっている


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内戦終結後、地元の学校で授業が再開された。木陰で授業を受ける子供たちの表情は喜びに満ちていた(ディモワン小学校)


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「きれいに使うよ」と生徒たち。完成したばかりのトイレを一生懸命に掃除する(ディモワン小学校)

壊滅的な社会基盤

泥沼のようにぬかるんだ道が続く。四輪駆動車は雨上がりの泥道を茶色の水しぶきをあげながら走行し、同国南部の中心都市、中央エクアトリア州の州都ジュバから北へ90キロ、ジェンと本会一食平和基金が合同で支援を行うテレケカ郡へ向かった。

「テレケカは南部スーダンの中でもジュバからのアクセスが悪く、最近までは雨期になるとボートで川を渡って行き来しなければなりませんでした。長年の紛争の影響による社会基盤の不整備が、支援を行う上で大きな課題となっています」。プログラムオフィサーを務めるジェンの若野綾子さんは言う。

同国は19世紀以降、イギリスとエジプトによる共同統治下に置かれ、独立前年の1955年、土地や自治権をめぐる南北間の内戦が勃発(ぼっぱつ)した。その後、一時は停戦状態を迎えたものの、83年から北部の政府軍と南部の反政府勢力SPLM/A(スーダン人民解放運動/軍)の紛争が激化。05年のCPA締結まで、22年間に及ぶ戦闘が続いた。

和平合意後、400万人以上の難民・国内避難民の故郷への帰還が始まった。一方、帰還地域の家屋や学校は戦争によって破壊され、治安は悪化。飲料水や生活用水の確保、医療や保健、教育機関などの社会基盤は壊滅的な状況に陥っていた。特に深刻だったのは水環境。井戸は少なく、人々がナイル川の水を飲料水として使用するため、帰還民の間で2万件を超えるコレラの感染が確認され、1000人近い人命が病気によって奪われた。

こうした状況を受け、現地に入ったジェンは、水を原因に病気が広がる環境を根源から改善する必要性を検討。帰還地域である同州の農村部で、小学校の井戸とトイレの建設、教師や生徒たちへの衛生教育を盛り込んだ支援事業を開始した。

同基金スタッフを乗せた四輪駆動車はジュバを出発してから4時間後、支援対象のセントステファン小学校に到着した。

500人の生徒たちが安心して水を飲むことができる井戸もトイレもなかった同校に、昨年5月、支援によってトイレが完成。井戸は今年の2月から使用できるようになった。

ジェンが行った衛生調査によると、テレケカ郡は衛生環境が特に悪かった地域の一つ。不衛生な水をそのまま飲む、トイレがないため草むらで排せつをする際にヘビやサソリなどの野生生物に攻撃されるなどの原因により死に至ったケースも少なくない。プロジェクトでは、ジェンの現地スタッフが人形劇や歌を用いて、「川の水はそのまま飲んではいけない」「食べる前に手を洗う」「排せつはトイレでする」といった衛生の基礎知識を伝えた。子供たちは楽しみながら知識を身につけ、次第に病気への罹患(りかん)は減っていった。



惨禍超え広がる希望

このあと訪れた南部のラニャ郡は、内戦中、北部の政府軍とSPLM/Aの激しい戦闘が繰り広げられた地域だ。政府軍による掃討攻撃で多くの農民が巻き添えとなり、生き残った人々は隣国のウガンダやジュバなどでの避難生活を余儀なくされた。

今も戦闘の傷跡が数多く残る。ジュバからラニャ郡のディモワン小学校へ向かう途中、草原の中にさびた戦車が放置され、地雷の埋設地域と撤去地域を示す木の棒が点在していた。

「今も地雷はどこに埋まっているか分かりません」とジェン・ジュバ事務所の山田絵美所長。中学校を再建するため、学校の敷地内に入ったNGO(非政府機関)の職員2人が地雷によって命を落とした悲しい事件もあったという。

北部、南部双方の兵士たちは戦局を有利に進めようと、場所を選ばず、競い合うように地雷を埋めた。「まさか学校にまで埋まっているなんて」。誰もが衝撃を受けた事件だった。

ディモワン小学校では、生徒たちが3グループに分かれ、木陰で授業を受けていた。低学年の英語の授業。教師の質問に生徒たちは元気に手をあげる。その表情には満面の笑みが浮かび、勉強のできる喜びにあふれていた。

授業が終わると、5人の生徒が完成したばかりのトイレに集まってきた。この日はジェンのスタッフから生徒たちにトイレの清掃指導が行われた。

「まず、ほうきで周りを掃く。それからバケツの水をまいてデッキブラシで磨くんだ」。マーティン・セビット・マクピ・ジェームズさん(45)が実際に掃除すると、生徒たちは真剣なまなざしでのぞき込む。ほうきとデッキブラシを渡された生徒たちは、マーティンさんをまねて、一生懸命にデッキブラシでトイレを磨いた。

5年生のサイモン・タバーン君は、「僕たちのトイレができて本当にうれしい。これから自分たちで掃除して、きれいに使い続けます」と笑顔で語った。

ジェンは、支援事業を行う際、住民をメンバーに施設管理委員会を設置する。与えられる支援という意識でなく、住民自身が井戸やトイレの維持や管理のあり方を決定し、問題が起きたときに自力で改善する意思を持ってもらうためだ。

同校のエドワード・ボンゴ副校長は、「帰還しても厳しい生活を強いられているのは事実です。しかし、ジェンの支援によって村人たちの心に活気が出てきています」と語る。

同校では校舎の再建が進められていたが、作業が一時中断されていた。しかしその後、学校に井戸ができたことによって、作業がスムーズになり、建築が再開された。また、校舎の再建によって、給食を提供するプログラムの対象校にも選ばれた。こうした喜びの広がりが住民たちに希望を与えている。

「こんなにうれしいことはありません。ジェンや日本の皆さんの支援に感謝します」と、エドワード副校長は謝意を表した。



自立の歩み着実に

授業が終わり、生徒の一人、ベドゥウェル・ロジョン君(9)の家を訪問した。草むらを縫って進んでいくと、広い敷地の中に、土壁とわらぶき屋根でできた「トゥクル」と呼ばれる家屋が円を描くように5軒並んでいた。母親のナニサ・ゴーロさん(48)が屋外でキャッサバの葉を調理し、夕食の準備をしていた。

ナニサさん一家は8人家族。内戦中は、家族と共に国内を転々と逃げ回っていた。父親は和平協定が結ばれた年、病気で亡くなった。「薬が手に入らなかった」とナニサさんは悲しい表情を浮かべた。内戦中、兵士の攻撃によって犠牲になった村人もいるが、病気の治療が受けられずに亡くなった人も多い。

悲しみはいまだ癒えない。しかし、「一つの場所に住んでいられることが幸せ」とナニサさん。家族で安心して暮らせることに希望を見いだしている。

衛生教育を受けてからのベドゥウェル君の変化について、ナニサさんは「今までは私が手を洗うように言っていたのです。それが、教育を受けてからは『コップを洗ったほうがいいよ』『お皿は洗った?』『フライパンも洗おう』と教えてくれます。私も家の中をきれいにしようと心がけています」と話した。安全な水が手に入るようになったことで、家族が健康になったという。

ベドゥウェル君は「ヘルスワーカーになりたい」という夢を持っている。理由は「みんなが健康になれるから」だ。

プロジェクトを通じて自立への歩みを着実に進めているテレケカやラニャの人々。内戦の悲劇を抱えながらも、一つひとつの取り組みが子供たちの夢と希望につながっている。



スーダン概要

アフリカ大陸の北東部に位置し、国土面積は約250万平方キロメートル(日本の約7倍)。国民の70%がイスラームを信仰。ほかにキリスト教とアニミズムの信仰が存在する。イギリスとエジプト両国の統治時代を経て1956年に独立した。両国の統治時代、アラブ系人口の多い北部と黒人系の多い南部との交流が禁止されていたこともあり、南北の間で対立意識が強く、独立前年の55年、北部の政治や経済、文化的な支配拡大に反発した南部勢力との間で内戦が勃発。一時停戦が合意されたものの、当時の北部政権が協定を守らなかったことから内戦が再発し、05年まで続いた。その後、南部で暫定政府が樹立され、11年には南部独立の是非を問う国民投票が予定されている。

(2009.06.19記載)