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「すべては心の現れである」十如是

 お釈迦さまは、いまから二千五百年前、インドのブッダガヤで、永遠不滅(ふめつ)の真理を悟られました。この悟られた真理の根本となる教えが『縁起』『三法印(さんぽういん)』『八正道(はっしょうどう)』『六波羅蜜(ろくはらみつ)』など、根本仏教といわれるものです。

 お釈迦さまの教えは、いつでも、どこでも、誰にでも当てはまるものであり、教えを日常生活に生かしていけば、毎日を前向きに生きることができ、私たちをより幸せな人生へと導いてくれます。

人は、どのようにしたら、よりよい生き方ができるでしょうか。

十如是とは

  如是(にょぜ)とは「かくのごとく」「このように」という意味で、「十如是」とは、「如是(にょぜ)(そう)」「如是(にょぜ)(しょう)」「如是(にょぜ)(たい)」「如是(にょぜ)(りき)」「如是(にょぜ)()」「如是(にょぜ)(いん)」「如是(にょぜ)(えん)」「如是(にょぜ)()」「如是(にょぜ)(ほう)」「如是(にょぜ)本末(ほんまつ)究竟(きゅうきょう)(とう)」の十の如是を通して、宇宙のあらゆるものの本当の姿はこうだよということを示してくれている法門です。
 お釈迦さまは、この宇宙に存在しているすべてのものは、まず「相・性・体」を必ず持っていると示されました。相とは姿のこと、性とは性質のこと、体とは主体あるいは本体のことです。人で例えると、その人の表情や姿(相)、性格や心(性)、いのち・魂(体)のことで、動物や山や木や草花も同じように、この「相・性・体」を持っています。この「相・性・体」があるものには、必ず外にはたらきかける力(エネルギー)が備わっています。この力というものは外に向かっていろいろな作用(作)を起こしています。再び人で例えてみると、人間は生きている限り、行動や行為を繰り返し周りの人やものにはたらきかけています。
 そして、自分の周りには「相・性・体」のあるものが無数に存在していて、しかもお互いにはたらき合い(「力・作」)、関係し合ってさまざまな現象が起こります。その一方を「因」、もう一方を「縁」として、因と縁が関係し合うことで、さまざまな結果を生み、影響(報)を残していきます。それが「因・縁・果・報」です。
ここまで「相・性・体・力・作・因・縁・果・報」の九如是は必ず真理である一つの「法」によって動いているものであって、どんなものも、どんなことがらも一つとしてこの「法」を離れることは出来ません。「相」から「報」まですなわち始め(本)から終わり(末)までつまるところ(究竟して)「法」の通りになることは同じだ(等しい)というわけです。これが「本末究竟等」という意味です。
別の表現で表すならば、すべての現象の究極にあるもの、それは、あらゆる存在の本質は仏性だとお釈迦さまは説いてくださいました。すべてが仏の心を持っていて、存在するものがすべての仏さまの現れだという見方です。すべてのことは本来有り難く、そのままで調和しているというのが、「本末究竟等」です。

十如是の活用

 私たちの日常生活を振り返ってみると、自分の表情や態度、行動や接し方などはすべて心と密接に関係していることが分かります。
例えば、友人とケンカをし、イライラと怒っているとします。その時の表情(相)はおそらく暗く、きつい表情をしており、笑いたくても作り笑いのようなぎこちない印象を与えると思います。
 行動面(力・作)でも、つい扉を強く閉めてしまうなど、物や人にあたってしまうこともあると思います。怒っていたら、自然とそういう行動となり、心の状態は、いくら隠そうと思っていても表面に出てきてしまうのです。
 怒りの心を持つ私が(因)相手(縁)と触れ合えば、周りにいい影響を与えないばかりか、さらに人とのけんかや不調和が起きてしまうこともあります。(果・報)
反対に、優しい心を持つ私が(因)相手(縁)と触れ合えば、自分の周りに和やかで温かな関係が自然と出てくるのです。(果・報)  
つまり、私たちの心(性)によって表情や態度、行動が変わり、相手との関係性が心のごとく展開し、心の状態に相応しい結果や後々までの影響を及ぼしていくという事です。それは、私たちの心がけ次第で人生がいかようにも変化していく事を意味しています。
 けれど、いきなり心を入れ替えて、「明日から怒らないように気を付けて生きていこう」と思っても、私たちの心はそう簡単に変えることは難しいものです。また、自分の心に蓋をするように、無理に変えなくてもいいのです。出会いによってさまざまな感情が湧きおこるのが人間ですから、沸き起こる感情に善悪をつけて、嫌な感情が出た自分を反省することは大切なことです。しかし、その感情自体を否定することはかえって自分を苦しめることにもなります。
 嫌な感情が沸き起こった時には、それをよく見つめて私の心の奥底には「仲良くなりたい、優しくしたい、よりよくなりたい」という心が隠れています。それが私の仏性です。また、友人とケンカして嫌悪感を抱いている感情も、「悪いことしたな~」と思うからこそ湧く感情だとすれば、それもまた仏性です。出会いの中からさまざまな感情が湧いた際、自らの仏性に気づくことで、この世が今の状態のまま調和されており、有難く見えてくるのです。

まとめ

 自分の存在をつくりあげているものの中で、大本は性(心)です。私たちはたくさんの出会いの中で喜怒哀楽といったさまざまな感情が動きます。仮に自分の事を短気な性格と思っていたとしても、それは私の心のほんの一部分にすぎず、かえって自分自身を固定的にとらえることになります。「今の自分を変えたい、より良い自分になりたい」と思うのならば、たくさんの方と出会い、その中からたくさんの自分の心に気づくことで、自分や相手に対して固定的な見方から離れ、新たな自分、新たな世界が見えてくるのではないでしょうか。
 自らの心は出会いを通して分かる事がたくさんあります。相手の素晴らしさを見つめることで本当の自分らしさが輝きだしてくるのです。誰かと出会う時に自分の表情、態度、言葉遣いはどうであったか、そして沸き起こる感情はどうであったかと振り返り、自分の心の奥にある「優しさや」「温かさ」に気づき、私の生き方や心の出し方次第で人生はいかようにも変化していく事が実感できると思います。

  • 自分の心や行いが、自分の人生を決めていく

  • 自らの仏性に気づいて物事を見ていくと、今の状態のままが有難く、調和されていると感じられます。

 如是とは「かくのごとく」「このように」という意味で、「十如是」とは、「如是相」「如是性」「如是体」「如是力」「如是作」「如是因」「如是縁」「如是果」「如是報」「如是本末究竟等」の十の如是を通して、宇宙のあらゆるものの本当の姿はこうだよということを示してくれている法門です。