遥かなる東へ

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【第7回】ガンダーラを往く(2)

プトカラの遺跡

 

三蔵法師玄奘の辿った道

 前回に続いて、ガンダーラの旅である。七世紀の求法僧・三蔵法師玄奘(六〇二~六六四)が、旅を続けている。

 

 仏典は、パキスタンにさかのぼってゆく。まず、ラホールだろう。あの、やせさらばえたブッダ修行中の苦行像が、博物館で待ち受けてくださった。ここまで徹底されて悟り得たブッダの法を軽々しく扱ったら、本当に仏罰が当たるに違いない。

 

 さて、ガンダーラ文化の一つ、スワート河流域を訪ねてみよう。ここは玄奘のころ、烏仗那(ウジヤーナ)国と呼ばれていた。『大唐西域記』(水谷真成訳)には「仏法を尊重し、大乗を信仰する。シュバヴァストウ河(現在のスワート河のこと)を差し挟んで、もと一千四百の伽藍があったが、多くはすでに荒廃している。昔は僧徒が一万八千人いたが、今は次第に減少した」とある。現在は遺跡が残るのみだ。

 

 紀元前四世紀、スワート渓谷にアレキサンダー大王が攻め込んできた。大王は、この地に、およそ三カ月滞在している。ここの山河の風光に魅入られてしまったと伝えられているが、周囲の森の中を、ゆったりと流れるスワート河は、今でも旅人の心を魅了させてくれる。

 

 玄奘や法顕、そしてアレキサンダー大王も歩いた古道を通ってゆくと、小さな丘がある。以前は、ただの山道であったが、今は階段も舗装されている。しかし、物売りの少年があちこちに待っていて、やがて一つのグループを形成し、丘の遺跡にくっついて上り出すのは、今も変わらない。

 

 ここが、タフティ・バハイの遺跡である。紀元前一世紀から六世紀にかけて栄えた、クシャン朝の大寺院の跡である。ここから展望するスワートの高原の広大さ。高度一〇〇〇メートルの森と水の別天地であった。

 

 シャンガルダールの大塔も見逃せない。ブッダの遺骨を持ち帰ったウタラセーナ王が建てたもので、高さ二七・四メートルに及ぶ。カレガイの磨崖仏はお顔の部分が破壊されて痛々しい。プトカラの遺跡は、紀元前三~五世紀にかけて多くの修行僧が住んでいたスワート最大の寺院だったそうだ。もちろん、玄奘も訪ねている。

 

 さて、スワート地方から北上して、チラス、ギルギット、フンザのルートをたどれば、前号に記した「法顕のコース」である。ギルギットでは、カイガルの磨崖仏の仏跡も残る。しかし、世界第九位のナンガバルバッド(八一二五メートル)の雪山が夕陽に染まる美しさは神秘そのものだ。フンザに上ると、ラカポシ(七七八八メートル)やデュラン(七二五七メートル)の名峰に合える。そのままさらに上ると、中国とパキスタンの国境、クンジュラブ峠(四九四三メートル)に達する。筆者も、本紙記者やカメラマンと通過したことがある。

 

 スワート河地域から西行して、カイバル峠を越えて現在のアフガニスタンに入るルートは玄奘の道だ。しかし、アフガニスタンは内戦のさなかで、カイバル峠も越せず、バーミヤンの大石仏も拝むことが許されない。

 

 さらに北上すると、サマルカンド、タラスなどの中央アジアの“仏典草原ルート”が東へ東へとつながっている。仏典ルートはロマンの旅だ。

 

文・松原 哲明
写真・福島 一嘉

フンザのラカポシ峰シャンガルダールの大塔シャンガルダールから約一・五キロの所にあるカレガイの磨崖仏ギルギットの郊外にあるカイガルの磨崖仏