話し手:西日本教区(青年担当) 福井 康太さん
(ジャータカ物語より)
ガンジス河のほとりにウドゥンバラ(注1)の森がありました。その森には、数千羽のオウムが住んでいました。
オウムの王は欲がなく、木を枯らさない程度に木の芽や葉をついばみ、河の水を飲んで満足していました。
この様子を見た帝釈天(注2)は感心し、オウムの王を試してみようと、神通力で森の木をすっかり枯らしてみました。
ところがオウムたちは森を去るどころか、木くずを食べ、河の水を飲んで飢えをしのいでいるのです。
そこで帝釈天は、白鳥に姿を変えると、森に降り立ち、オウムの王に問いかけました。
「果実が実る時、鳥は集まり、その実を食べる。木が枯れ食べ物がなくなれば、そこを飛び立つ。鳥とは、そういうもの。なのに、なぜ、お前たちは去ろうとしないのだ?」
オウムの王が答えました。
「それは、感謝の気持ちがあるからです。
私たちは、この森によって今日までいのちを永らえることができました。
ある時は木の実や葉を食べ、ある時はこずえで休み、そして語り合いながら、共に過ごしてきました。
本当の友だちとは、苦しい時も楽しい時も、悲しい時もうれしい時も、お互いに助け合い、
分かち合いながら生きていくものです。
木が枯れたからといって、どうしてこの森を去ることができましょうか」
その言葉に、白鳥は大変感激し、友情の素晴らしさを教えてもらったお礼に、贈り物がしたいと告げました。
オウムの王は願い出ました。
「ぜひ、この森を生き返らせてください。それ以外のものは何も望みません」
すると白鳥は、帝釈天の姿に戻り、ガンジス河の水をくんで森の木々に降り注ぎました。
枯れ木はみるみる生気を取り戻し、たちまち枝が生え、葉が茂り、赤い果実が実っていったのです。
オウムたちの喜ぶ姿を見て、帝釈天はしみじみとつぶやきました。
「生き物は、皆こうありたいものだ」
注1 インドの想像上の植物
注2 仏さまの教えを護る神