2019年12月11日
退歩を学ぶ
初投稿に・・・
”人間”として私たちが進化してきた過程で
忘れてきたものはあるのだろうか。。。
(初回から重たい…笑)
すこ~し、最近見聞きする話を私の所感で書いてみようかな。
現代に生きる若者として、何が正解で何が間違っているのか、
そういう○×の世界ではない”何か”がきっとある…!
わかっていても説明できないもどかしさ!!
そんな問いを持ちながら葛藤する日々を徒然に…
【進歩と退歩の違い】
進歩:解決を外に向けること
退歩:自分の内に原因を求めること
広辞苑で意味を調べると、”退歩”は物事の状態や程度がそれまでより低くなること、悪くなることとでてくる。
四字熟語の
「退歩返照」は物事の執着をやめ、反省して自分自身の心を理解すること、と意味を変える。
「退歩」は悪くなることでも、低くなることでもなく、”基本に立ち返る”こととあらわされている。
真意はこっちのような気もした
私たちの生きる近代社会は、「進歩」、解決を外に向け、条件のせい、他人のせい、原因を他に求め、
それを改善する中で”不便”なものが”便利”になってきたのだと思う
果たしてそれは悪なのか?
私たちは本当の貧困も知らないし、戦争も体験していない。
自分のいのちが危うくなる状況でつかむ”信仰”のありがたさや重みも。
進化した世界で生きる私たちが、信仰に求めているものは、昔とは少し質が異なる気がする。
それでも、「世の中のためになりたい」「誰かの役に立ちたい」と願う心が
一つの形になった。
”基本に立ち返る”退歩の精神って…?。
自分の内に原因をもとめるとはどういうこと…?
日々、問い続ける中で、自分の中での確信を得たいと思った今日のつぶやき。
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