立正佼成会概要

中道ちゅうどう

釈尊が最初の説法をした時の第一声は「比丘(修行僧)たちよ、この世には近づいてならぬ二つのの極端がある。如来は、この二つの極端を捨てて、中道を悟ったのである」という言葉でした。「中道」は、古来から色々な解釈がなされていますが、それらを総合すると以下のようになります。

理念としての中道
まず、理念の観点からいえば、仮(け)にかたよらず、空(くう)にもかたよらない、絶対真理の道理を中道といいます。 すべてのものごとは、固定的・永続的には存在しないという諦(さと)りが「空諦」(くうたい)です。目の前に形を持って存在する現象「仮」に心を奪われて苦しんだり悩んだりせず、ものごとは本来「空」であると諦観する気持ちも必要ですが、世間からすっかり離れた仙人のような生き方も正しい生き方ではありません。そこで、あらゆる現象は因と縁のつながりによる仮の現れであると見ながらも、その現象を現実として肯定しなければなりません。そういうものの見方を「仮諦」(けたい)といいます。 しかし、 空諦も仮諦も、つまるところは一面的なものの見方であって、空という本質と、仮という現象を、渾然と融合させた見方をするところに、諸法の実相の捕らえどころがあるというのが、真実の諦(さと)り、すなわち「中諦」であるというのです。一体なものの両面として空と仮を見るのです。大変難しい理論です。

行法としての中道
つぎに行法の観点からいえば、苦・楽の二極論を離れた、正しい行法(八正道)を中道といいます。快楽を追う道はもちろんのこと、人間の本能をむやみに抑える苦行の道も、人格を完成する方法ではありません。そうした両極端から離れて、真理にあった、調和のとれた、そして目的にピッタリと合った行法に従え‥と釈尊は教えてくださいました。そして、その具体的な方法として示されたのが八正道です。

参考文献 : 『仏教のいのち法華経』庭野日敬