大聖堂ライブ配信

2020年6月4日 開祖さまご命日

教務部長 熊野隆規

 

インターネットで、ご供養に参加いただきました皆様、おはようございます。本日は、開祖さまのご命日ですので、場所は各々ですが、まごころのご供養をさせていただきましたことに、深く感謝をいたします。

皆さん、ご存じのように、緊急事態宣言は解除されましたが、佼成会は「早めの自粛に遅めの再開」ということで、6月15日までは完全閉鎖を続けさせていただきます。しばらくの間は、集まることはやめて、一人ひとりの修行をさせていただくことになっています。集まっていたころが、とても懐かしく、早く集まりたいお気持ちになっておられる方も多いと思いますが、いましばらくは辛抱をお願いいたします。

 

集団を離れて一人でいると、個人の力は小さいようにも思えますが、本来、成仏は周りのご縁をいただきながらも、一人ひとりでするものです。そして、常に仏さまと自分という立ち位置を見失わず、自分の持ち場で、コツコツと精進することは、限りない力を養います。今月6月号の『佼成』のご法話も「怠け心に負けない」というテーマで、法華経の安楽行品の心で、迷わずコツコツと精進することの大切さを、お説きくださっています。

そこで今日は、こんなお話を紹介いたします。

 

お釈迦さまの教えに、こんな、たとえ話があります。
ヒマラヤのふもとのある森で、山火事が起こりました。森に住む動物たちは、火を恐れ、逃げまどいました。
ところが、一羽のオウムが、谷川で水の中をくぐっては山火事の上空に飛んで行き、羽についた水をパタパタと振り落とすことをやめませんでした。
大きな動物たちは「そんなことで、火を消せるわけがない」と言って笑いましたが、そのオウムは「私たちを育ててくれた森であり、私たちが住んでいる森です。無駄でも、こうせずには、いられないのです」と言って、いつまでもいつまでも、火を消す努力を続けました。

そして、そのオウムの姿に心を打たれた天上界の帝釈天が、大雨を降らせてくれて、山火事はみごとに消えたのでした。

 

このお話は、今月発刊されます、開祖さまの『平成法話集』第二巻『我(われ)汝(なんじ)を軽(かろ)しめず』の中に掲載されているものです。第一巻の「菩提の萌(め)を発(おこ)さしむ」に次いで、6月18日からAmazonや楽天などのインターネットサイトから購入ができ、お電話でも申し込むことができますので、ご自宅に直接届けられることとなります。また、書店での注文販売や電子書籍としても手にすることができます。

会長先生が仰ってますように、一人の時間が増えたこの時にこそ、良書、良き書物に触れることは大事なことです。全編、開祖さまが隣にいて、ご指導くださっているような気持ちがしてくる、不思議なご著書です。どうぞ、お求めいただきお読みください。

 

さて、このお話の中にもありましたが、一見、ちっぽけで無駄に見えるような行いも、コツコツとそれを繰り返す姿を、周りの人は静かに見ています。そして、そのまごころが本物であれば、助けてあげたいという人が自然に現れ、ついには神仏にまで響くことになるのだと思います。

 

ものごとをなし得るには、三つの要素が必要であるとよく言われます。
それは第一に「自分の努力」、第二に「周りの協力」、第三に「神仏のご加護」です。

 

人さまも、神さま・仏さまも、常に、ある人を探しています。それは、己を磨きつつ、世の中を素晴らしく導く、気持ちのいい、スカッとした人間を探しています。この人なら、世の中をきっと良くしてくれるのではないか、という人間を探し続けています。そして、いつもそれを応援したいと思ってくださっています。「仏さまはご照覧」ということだと思います。そのお眼鏡にかなう生き方をしているかどうかは、己にしかわかりません。仏さまと自分のみが知る世界です。たとえ小さくても、まごころからコツコツとやっていることは、とても地味ですが、着実な歩みです。現在のこのコロナウイルス感染が終息するまでは、格好の自力を養うときです。

 

私たちは会長先生から「いま・ここ・われ」と、ご指導をいただいています。野に咲く花のように、置かれたところで精いっぱい咲くことが大切です。植物は、種が落ちるところを選べません。お手配として、落ちたところで芽を出し、葉を茂らし、花を咲かせ、実をつけます。どんなところでも、文句を言わずに、ひたむきに、黙って命を使います。無条件の主体性とでもいうのでしょうか。だから、見る者に感動を与えます。かつてニュースで話題になった交差点のコンクリートの隙間に落ちた種が成長し、たくましく大根の実をつけた「ド根性大根」の映像は、黙っていながら、私たちに多くのことを語り掛けてくれました。

 

どうか、良い教えに触れ、良い師匠や仲間に出会った私たちです。置かれたところは違えども、「いま成すべきこと」「ここで成すこと」「われが成すこと」をじっくりと見つめ、あまり周りをキョロキョロせずに、仏さまの方を向いて、堂々と生きてまいりたいと存じます。

 

今日は、たいへん静かな大聖堂からお届けをいたしました。いつの日か、また多くの皆さんとここで、密な状態で「ご法談義」ができる日を心待ちにしたいと思います。

本日は、ご清聴まことにありがとうございました。

 

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