大聖堂ライブ配信

2020年9月10日 脇祖さま報恩会

会長 庭野日鑛

 

皆さま、おはようございます。

 

脇祖さまの報恩会にあたりまして、只今は、「ゆりかごから墓場まで佼成会」という杉並教会長・千葉さんのお説法を頂きました。また、お説法の間に写真が出てまいりました。懐かしい脇祖さま、岩船さん(岩船かよさん=元第五支部長)、そうした方々の写真も見せて頂いて、本当に懐かしく、その頃のことを思い出しておりました。

 

お説法にもありましたように、千葉さんは、佼成会の草創の頃の幹部の方々といろいろな因縁があったわけです。本当に文字通り、「ゆりかごから墓場まで」という内容でございました。私も(杉並区立)和田小学校には、たった4カ月ですけれども、入学しましたから、(千葉さんは)私の後輩ということになります。

 

お父さまもよく存じております。この大聖堂が落慶した昭和39年、仏跡参拝(ダルマ・パーラ生誕100年祭記念インド仏蹟参拝団)ののち、ハワイからアメリカ(ロサンゼルス)に渡りましたが、確かハワイに千葉さんもおられたように思います。そんなことを思い出しておりました。私たち仏跡参拝の人たちとは別に、先にハワイに行かれて、私たちが到着するのを待っていてくださったのです。

千葉さんのお父さまは、当時、本部では渉外に務めておられて、外部の方々から、いろいろと難しい問題の電話などがあった時の応対も担当されていたと伺っております。本当に素晴らしい方でございました。

 

千葉さんの体験説法にもありましたように、物事は、人によっていろいろな受け取り方ができると思います。ちょうどいま、コロナ禍にあり、いろいろな問題が発生しています。そうした中、「窮すれば通ず」という言葉があります。問題に直面して、行き詰まり、困り果てると、かえって活路が開けてくる、という意味の言葉として、日本でも使われています。この言葉は、本来、中国の『易経(えききょう)』に出てくる「窮すれば変ず、変ずれば通ず」という言葉であり、最初の「窮すれば」と、最後の「通ず」をくっつけ、あとは省略して、「窮すれば通ず」という言葉になったわけです。

 

いま目の前に、乗り越えなければならない障壁、難題があるとすると、私たちは、それを何とか解決しようといたします。つらい現実から逃れようと、さまざまな手を尽くすわけであります。ところが現実には、思うようにならなかったり、一層こじれたりすることが多いわけです。

 

そうした時に大事になるのが、「窮すれば変ず」ということであります。これは文語体、昔の言葉で表現されていますから、いまの言葉で表現すれば、「変ず」とは、「変える」あるいは「変わる」ということになります。今までの考え方や価値観、やり方などを変える。そして柔軟に新しいものを取り入れていく。そのためには、まず一番頑固な自分自身が変わること――それが、「窮すれば変ず」の肝心なところであるわけであります。

 

私たちは、問題が起こると、自分ではなく、相手や環境のほうを変えようとしがちです。しかし、それでは根本的な解決には至らない。いつまでも火種がくすぶり続けます。困り果てた末に、「もしかしたら、自分にも原因があるのではないか」と、ふと気づく。そこから新しい展開が生まれ、次第に活路が開けていくのであります。

 

「大変」という言葉がありますが、これは「大きく変わる」と読むことができます。窮地に陥り、苦しい時は、自分が大きく変わっていく貴重な機会であるということであります。

 

先ほども申しましたように、日本だけでなく、世界中がコロナ禍にあり、本当に大変な時期を迎えています。これまでに経験したことのない課題に直面しているわけであります。「窮すれば変ず、変ずれば通ず」――この言葉が、いまほど大切な時はないのではないかと思い、今日は、この言葉をお話し申し上げた次第であります。

 

また中国の儒教の論語には、「吾(われ)日に吾が身を三省(さんせい)す」という言葉があります。この「三」という字は、単なる数字の三という意味ではなく、しばしば、いろいろなことが反省させられるということであります。

 

この「省」という字には、「省(はぶ)く」という意味もあります。ややこしいこと、無駄なことがあれば、それを省くという意味合いです。私たちは日ごろ、無駄なことを結構抱えていたり、その無駄なことを心配したりしていますから、この「吾日に吾が身を三省す」は、私たちが日常生活の中で本当に大切にしていかなければならない言葉ではないかと思います。

仏教の教えではありませんが、日本でも有名な儒教の言葉でございます。こうした「省(かえり)みる」「省く」ということを、日ごろ、常に自らに当てはめて精進をさせて頂きたいものであります。

 

「省く」の「省」という字は、文科省とか財務省など、政府機関にも使われております。国民生活には、難しいことがたくさんあるわけですが、しっかりと国民の意見を吸い上げ、それを大事にして、なるべく手続きなどを省略して、無駄なことを省いて、簡単にしていくという意味が込められているのが、「〇〇省」の「省」ということです。

先ほどの「三省」の「省」は、「せい」とも読めますし、「しょう」とも読めますが、本当に私たちの国も、個人も、みんなが大切にしていかなければならない言葉であります。

 

さらに「明白簡易(めいはくかんい)」という言葉があります。以前、私は、『易簡(いかん)』という言葉を書初めにしましたが、それを反対にすると「簡易」となります。「明白簡易」とは、明らかで疑う余地のないこと、その物事を簡単にしていくことです。そうすれば、何事にも余裕が出てきますから、あまりややこしいことに捉われることなく、次々と仕事が進んでいくようになります。私たちは、普段から「明白簡易」ということを心がけつつ、前進していくことが大切であると思います。

 

私は、脇祖さまを本当におばあちゃんと思っておりましたけれども、年齢としては私のほうが、はるかに上に行ってしまいました。もう82歳であります。脇祖さまは、69歳で亡くなられました。そして、亡くなられてから、63年経ったわけです。先ほどの千葉教会長さんは、10月になると、63歳ということです。本当に長い年月が経ちました。今日、改めてまた脇祖さまのことを思い出して、「コーチャン、コーチャン(本名「浩一」の愛称)」と呼ばれていた頃のことなども思い出されて、とても懐かしい気持ちになりました。

 

今日は、脇祖さまの報恩会にあたり、讃歎文を奏上いたしました。讃歎文は、私の名前で出されていますけれども、導師の光祥が奏上してくれました。その中に、本当に脇祖さまのことが込められていると思います。

先ほど、司会者からも話がありましたように、脇祖さまは、優しい方でありましたけれども、また厳しい方でもありました。それは、会員の方々のために、時には優しく、時には厳しく、という使い分けを、よくなさいました。今日、私たちは、そうした脇祖さまの報恩会を催させて頂いたのであります。

 

先だっての5日、佼成学園の創立記念日がありました。生徒は、全くここには集まりませんでしたが、各学園のそれぞれの教室で、オンラインで私の話を聞いてくれたということです。

今日の報恩会も、目の前にはどなたもおられません。それぞれの教会で、あるいは個々にご覧になっているのではないかと思います。今年は、コロナ禍にあって、こうした行事の形になったわけです。来年、どういうふうに変わっていくか分かりませんが、せめて今年のうちにコロナ禍が解消できたらと願っているところであります。

そうした中にあっても、皆さまと共々に精進をさせて頂きたいと思います。以上のことを申し上げまして、私の話を終えます。ありがとうございました。