大聖堂ライブ配信

2020年10月15日 体験説法

学術研究室室長 相ノ谷修通

 

皆さま、お願いいたします。

 

私は現在、中央学術研究所にて学術研究室長のお役をいただいている相ノ谷修通(あいのや・のぶゆき)と申します。妻と一男二女の五人家族です。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

私は昭和43年3月2日、相ノ谷家の二人兄弟の長男として産んでいただきました。祖母が昭和24年に入会、中山支部、十三支部、五十八支部で修行をさせていただき、ご法と出遇うことができました。父は教会でのお役の他、大聖堂で行われる節分会の鬼のコントで鬼のお役を30年間、母は支部長のお役を長く務めさせていただきました。

 

中学校に入学した私は、ある日、年老いた校長先生が教職員の下駄箱を掃除しているのを見かけました。おばあちゃん子で育った私は、友達を誘って下駄箱の掃除をかってでました。しかし、そのことを校長先生が朝礼で話したことをきっかけに、私への壮絶ないじめが始まったのです。

 

当時は、「三年B組金八先生」「なめ猫」「横浜銀蝿」が流行(はや)っていました。ツッパリの生徒にとって私の存在は面白いはずはありません。私自身も彼らを見下していました。なぜなら、彼らは授業の途中でも構わずに教室に乱入し、授業を壊し、笑いながら去っていくのです。

 

休み時間には教室でタバコを吸うため、私を含む数人に廊下で見張りをさせました。私は髪の毛でタバコを消されたり、トイレに閉じ込められ、水をかけられたりしました。学校に行くのが本当に辛かったのですが、一年中休むことなく働き続ける父、毎日教会に通う母を見ながら、学校に通うという自分の務めを果たさなければならないと考えていました。

 

ある日、最も辛く、最もありがたいことがありました。友達と一緒に給食を食べていると、ツッパリがやってきて私にめがけて牛乳パックを投げつけるのです。友達は離れ、私一人で給食を食べることになりました。破裂したパックから床に牛乳が散乱し、クラス中の生徒の視線は、掃除を私がすることを要求しているかの様です。

 

仕方なく、ひとりで掃除をしていると、私と同じ小学校出身の三人の女子が無言で掃除を手伝ってくれました。だれからも助けを得られない自分がみじめになり、孤独の真っただ中にいた私を救ってくれました。人を思いやる心、やさしさ、温かさを深く感じた瞬間でした。

 

ある日、学校で授業参観がありました。その日は母が来てくれたのですが、隣にはツッパリのお母さんが幼子を連れて立っています。幼子が寒さでグズると、なんと私の母は自分の着ているカーデガンをかけてあげたのです。

 

家に帰り、「息子をいじめているツッパリの親子になぜ優しくするのか」と私は問いただしました。実際に母は、あるお母さんから、「息子さんがいじめられているのを知らないのですか」と問われたそうです。母は私の気持ちを理解してくれた上で、「みんな仏性があり、理由があってツッパッているんだよ」と話してくれました。

 

いじめられている当事者である私には、到底受け入れることができませんでした。しかし、「信仰をするということは、このような考え方をするのか」という思いもよらぬ視点は衝撃的でもありました。学校に行くのが辛く、玄関でため息をついている私を励ましてくれていたのは、他でもない、母だったからです。私の辛さを誰よりも感じ取ってくれていたと思います。しかし、その母が自分の感情を超え、仏さまの教えを伝えるのです。母に裏切られたという気持ちと、今はまだ理解できないながらも、こんな考え方もあるのか、という複雑な気持ちが入り混じっていました。

 

いじめが続く現状を打開したいと思っていた私は、思い切って母に相談してみました。

すると、「自分が変われば相手が変わる」ということを教えてくれました。この考え方も理解できませんでした。学校でみんなに迷惑をかけ、私にひどいいじめをしているのはツッパリです。改めるべきは彼ら自身である。しかし、そう思ってもいじめは止みません。仕方なく、私自身もツッパリへの触れ合いを変えざるをえませんでした。仏性礼拝とまではいきませんでしたが、自分から無理にでも、積極的に声をかけていきました。すると、どうでしょう。いじめも徐々におさまり、勉強を手伝う(といっても、宿題を代わりに出すだけなのですが)間柄になりました。こうして、3年間、下駄箱掃除は続けることができました。ありがたいことでした。

 

高校を卒業後、一年間の浪人生活を経て、大学に入学しました。

大学を卒業後は、民間企業への就職を切望していました。意中の企業から内定をいただき、社会に出て活躍することを夢見ていました。夢はすぐそこにありました。しかし、家庭の中でさまざまなことが生じ、自分自身の因縁を深く見つめざるを得なくなりました。大学の友人のように自分の意思に従い、社会で活躍したいという思い、それに対し、自分には課せられた何かお役があるのではないかという思いがせめぎ合い、学林に入林しました。親を楽にしてあげたい、自分も楽になりたいという気持ち、何か大きな使命があるのではないかという気持ちの狭間で人生の進路を見出そうとしていました。

 

いざ、学林での生活が始まってみると、後悔が始まりました。やはり企業に行くべきだった。学林の寮から見える新宿の夜景を見ながら、後悔する日々でした。その頃の私は心が転倒(てんどう)し、信仰している親を恨み、無言電話をかけることもありました。

 

ところが、無言電話に怒ることもなく、さわやかに電話口に出る親の声を聴き、涙が出てきました。無言電話の主が、私だと知っていたのかもしれません。私への想いの深さに気づき、こころの底から申し訳ないと思いました。今にして思えば、当時の私の本心は、親に救って欲しくて電話をしていたのかもしれません。本当に愚かな私です。み仏さま、ご先祖さま、両親から頂いた「いのち」の尊さ、活(い)かし方が解(わか)らず、迷いの中で苦悩していたのです。

 

しかし、学林での学びが深まるにつれ、自分もお役に立ちたいという気持ちが芽生えてきました。開祖さま、脇祖さま、先達の方がひとつひとつ実現されてきた歩みを知るにつれ、私もその一端を担いたいとの思いから、多くの方々のお導きをいただき、アメリカの南カリフォルニア大学大学院への留学のお手配をいただきました。妻、ロスアンゼルス教会のサンガの皆さまに支えられ、勉学に励むことができ、博士号を取得させていただくことができました。

 

最後に、今回のコロナ禍で私が体験したことをお話しさせていただきます。

 

コロナウイルスが世界で蔓延する前、私はお役でイタリアに行かせていただく予定でした。イタリアで感染者が出始めていましたが、会議の開催の可能性が最後まで模索されていました。出発の直前になって中止の連絡があり、その後、イタリアで医療崩壊が起き、多くの方が亡くなりました。ニュースを見るたびに、「もし今、イタリアにいて感染していたら、ホテルや病院に受け入れてもらえず、自分はイタリアで亡くなっていたのではないか」と考えるようになり、不安で怖くなってきました。

職場が自宅に近く、毎日、電話番のお役として一人、職場にいたことも私の不安を掻き立てました。やがて、国内でも緊急事態宣言が発出され、経済活動、社会活動がストップし、街から人がいなくなりました。本部からも人がめっきり少なくなっていきました。教会もストップする中で、これから佼成会はどうなってしまうのだろう。人と人とが直にふれあい、サンガの温かさのなかにご法が花咲いていた佼成会は、もう、戻ってこないのだろうか。私の人生はこれからどうなっていくのだろう。子供の教育は大丈夫だろか。私はこの先、家族を守れるのだろうか。次々に頭に浮かび上がる妄想に振り回され、生きる活力を失い、ついに、心身ともに体調を崩してしまいました。

 

ひどく落ち込んでいる私を救ってくれたのは、最も近い存在の妻でした。「このままでは、あなたは本当に、立ち直れなくなってしまう。しっかりしてほしい、子どもたちもみんな、あなたのことを心配している」。

 

妻は、近くの公園、大聖堂、本部発祥の地周辺のごみ拾いへと誘ってくれました。

「将来への不安から体調を崩している自分と比べ、なんと、立派な人なのだろう」と、心の底から尊敬の念が湧きました。妻は当時の私を「この世の終わりのように、マイナスのオーラを周りに振りまいている」と表現するほどでした。しかし、無心に清掃することは、徐々に、とらわれの心を救ってくれました。

 

清掃奉仕を続ける一方で、私は開祖さま、会長先生のご著書に救いを求めていました。そして、自分のことばかり考える心が苦の原因だとわかりました。

 

以前、学林で大学生、高校生、看護学生をお預かりしていた時、学林に入ってよかった、ご法と出遇えてよかった、と思ってもらえるよう、全力を尽くしていたことを思い出しました。人さまの幸せを念じ、行動する。これこそが幸せの源だということを改めて、思い起させていただきました。

 

体調を崩した時、現在の職場の仲間も私の不安な心をたくさん聞き、支えてくれました。家族の支え、周りの支えがあってこそ、危機を乗り越え、新しい自分を創造することができたのだと思います。時代の変化・周りの変化に左右されない本当の幸せがあることを気づかせていただきました。

 

体調を崩すことは辛い経験ではありましたが、そのおかげさまで、多くの学びをいただきました。これからは、自らの因縁使命を果たすべく、日々、精進させていただきます。

 

皆さま、本日は誠にありがとうございました。

 

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