大聖堂ライブ配信

2020年7月1日 朔日参り

次代会長 庭野光祥

 

皆さま、お願い致します。

 

今日は、朔日参り、布薩の日の導師のお役、ありがとうございました。

前回、私が皆さまの前で、聖壇でのお役をさせて頂いたのは、4月1日の夜遅くに行われた世界宗教者平和会議・国際事務局主催の「諸宗教の祈り」でした。

 

「諸宗教の祈り」では、新型コロナウィルスに感染された方々の病気平癒や感染の収束、医療従事者やエッセンシャルワーカーと言われる方々(生活を営む上で欠かせない仕事に従事する人々)への感謝はもちろんですが、私が特に大切にしたかったのは、今の混乱した世の中で、私たち信仰者はどのように生きていくのか、ということです。

 

「壮年(ダーナ)総会」でもお話ししましたが、本部で在宅勤務が始まった頃、職員の有志の方々と、ノーベル賞作家アルベール・カミュの『ペスト』を読み始めました。ペストという感染症の流行によって閉鎖された町で生きる多様な人々を描いた小説です。

 

あらゆる対策が失敗し、ペストの感染が拡大。死者が増え続ける極限状態の中で、後手に回り続ける行政の対応、ペストなんて大したことないと現実逃避する人、絶望する人、ペストは天罰だという宗教者、そんな中でも自分の職務を忠実に果たそうとする人やペストと懸命に闘う人など、さまざまな人が描かれていて、まるで今の世の中を見ているようです。

 

読み進めるうちに、ここで描かれている「ペスト」というのは、単に感染症のことだけではなく、戦争や大災害、病気などの、どうにも避けがたい苦しみや、罪のない人の死、世の中にはびこる不正といった「不条理」、つまり〈なぜ自分がこんな目に合わなくてはならないのか?〉と思うような「納得のいかない苦しみ」のすべてを表しているのだと思いました。

 

人生というのは、このような自分の力では避けることのできない「不条理」に満ちています。それがお釈迦さまの悟られた「一切皆苦」ということなのだと思います。そして、恐ろしいことに、ペスト、つまり「不条理」は感染します。

 

外出自粛が広がり、ストレスが溜まったり、人に会えなくなったりして、精神的なバランスを崩す人が増えたと言いますが、実は自宅待機の期間、自殺者が減ったという報告を聞きました。人と人が共に生きていくのが人間だと思っていたのに、もしかしたら今の時代は、人と出会うこと自体が暴力になりかねない、そんな時代なのかもしれません。

 

社会で認められず、無視されたり、ばかにされたり、つらい思いをしたりした人が、時にその苦しみの捌(は)け口を何の関係もない他人へ向けることがあります。それがいじめやハラスメントで、時に無差別殺人にまで発展してしまうこともあります。このような暴力を起こす人も、実はその人自身がいわれなき暴力、つまりペストの感染者で、その悲しみ、苦しみを周囲に撒(ま)き散らし、感染を広げているのかもしれません。

 

立正佼成会には、「因縁を切る」という言葉があります。

 

たとえば、ある家系には、男の子が育たないという因縁がある。その因縁を切るために修行する、というような言い方をしますが、この「因縁を切る」というのは、もうこれ以上「苦しみ、悲しみを感染させない」、つまり「ペストを撒き散らさない」ということと同じかもしれないと思いました。

 

自分のような悲しみ、苦しみを、もう子供や孫にはさせない。他の人には味わわせない。これが「因縁を切る」ということ。

 

そう思うと、私たちがマスクをつけて外出し、手洗いや消毒をするのも、「コロナを人にうつさない」という意味で、「因縁を切る」ことなのだと思います。

 

私たちの生きている世界は、すべて因と縁でできていますから、本当は完全に「因縁を切る」ことはできないのかもしれません。でも、マイナスの方向に回っていた歯車を、ここで、私のところで終わらせる、ということなら、できるかもしれません。それが「因縁を切る」ということであり、そして、可能であれば、それをプラスの向きに変える。それが菩薩行なのだと思います。

 

以前、ある会員さんから「オレオレ詐欺」にあったという話を聞きました。

 

息子から電話があり、何か困ったことがあって、100万円用意して欲しいと言われ、すっかり息子だと信じ込んで「あら、あなた、うちにそんなお金がないこと知ってるでしょ?」と言ってしまったと、恥ずかしそうに話してくれました。

 

そこにもう一人の息子から電話があったので、「ちょっと待ってて、かけ直すから」と言って一度切り、すぐにかけ直すと、最初に電話をかけてきたはずの息子は、「そんな電話していない」とのこと。おかしいと思っていると、また電話がかかってきたので、「あなた、息子じゃないわね?」と問い詰めたそうです。

 

すると、「うるせぇ、クソババア」と悪態をつきながら、電話を切ろうとするので、思わず、「あなた、こんなことしてちゃだめよ! 一生懸命生きるのよ! 真面目に生きれば必ずいいことがあるから! 応援しているからね!」と声をかけたそうです。一瞬、沈黙があって、そのまま電話は切れました。

 

その「オレオレ詐欺」をした人が、そのあとどうなったのかは分かりません。でもきっと、見ず知らずの人から、それも騙(だま)そうとしてバレた相手から、あんな言葉をかけられるとは、思ってもみなかったと思います。温かい言葉をかけてもらった経験がなかったからこそ、人を騙すようなことをしたのかもしれません。会員さんの言葉の温かさが、ほんの少しでも心に届いていますようにと願わずにはいられません。

 

その会員さんは、騙されそうになった上に罵(ののし)られるという、いわれのない暴力を受けたわけですが、それに自分も感染したり、周りに撒き散らしたりすることなく、自分のところでマイナスの因縁を切りました。そして、ただ因縁を切るだけでなく、自分を騙そうとした相手に、その人を想う温かい言葉をかけるという、プラスの因縁に切り替えたのです。

 

新型コロナウィルスの感染は、まだ収まったとは言えませんが、たとえコロナが収まったとしても、私たちの人生の中には、いじめや暴力、不機嫌、不信や裏切り、差別など、さまざまな目に見えない心の「感染症」が存在しています。そういう出来事や人に出会ったときに、それを撒き散らすことなく、自分のところで因縁を切る。そして、できればプラスに変えていくような、そんな生き方がしたい。口のマスクだけでなく、必要があれば心にもマスクをして感染を広げない。そして、そのマスクの下から温かい言葉がかけられる私でありたい。

 

それが、4月1日の「諸宗教の祈り」の中に込めた私の想いであり、「社会が感染の恐怖に支配されている時、暗闇の中で光る燈(ともしび)のように、明るい笑顔でいることができますように」「自分の心が不安に占領されそうな時にこそ、温かい言葉がかけられる私でありますように」という祈りの言葉になったのだと思います。

 

コロナ禍の中、不安に押しつぶされそうな方も、きっとたくさんいらっしゃるかと思います。どうか私たち佼成会のサンガが、そんな方々の支えとなりますように。これからも感染を抑え、大変な時期を一緒に乗り越えていきたいと思います。

 

各地で大雨が降り、また警報が出ています。どうぞ十分に警戒してお過ごしくださいますように。そして、今日から始まる7月が、皆さまにとって有意義なひと月となりますようにお祈り申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。

 

皆さま、ご清聴、誠にありがとうございました。