大聖堂ライブ配信

2020年9月1日 体験説法

時務部 財務グループ次長
栁田 樹一

 

皆さま、お願いいたします。

 

平成16年に母が、24年に父が大聖堂でお説法のお役を頂きました。両親と同じこの場でお説法のお役をさせて頂けることに心から感謝申し上げます。

 

昭和48年、私は宮崎県で3人兄弟の長男として生んで頂きました。信仰4代目となる私が生まれた時、父は、「この子には開祖さまのおそばでお役に立ってもらいたい」と母に言ったそうです。母もまた、私を妊娠中にお役を通して開祖さまにお会いし、「生まれてくるこの子は開祖さまに捧げよう」と決意したそうです。そうした両親の願いのもと、教会にはベビーベッドが用意され、私は多くのサンガに可愛がられながら、信仰に対して疑問や抵抗もなく成長しました。

 

家庭の雰囲気が一変したのは、小学1年生の時、父が単身赴任をし、母と私たち子どもが祖母と同居生活を始めてからです。お役に熱心な母は、朝から晩まで家を留守にし、「帰りが遅い」と祖母から叱責されることもたびたびでした。怒った祖母が家中の鍵をかけて、母を締め出したこともあります。しかし、母も負けてはいません。夜中にトイレや風呂場の窓から家に入り、翌日には、また教会に出かけるという具合でした。

 

祖母と母が激しく言い争う毎日でした。女手一つで育ててくれた祖母に親孝行がしたい一心の父にとって、それは許せないものだったのでしょう。たまに帰ってきても、両親の間にはぎくしゃくした空気が流れ、いつしか会話すらなくなりました。

 

学校から帰り、駐車場に父の車を見つけた時は嬉しさもありましたが、またあの気まずい緊張感を味わうのかと、複雑な思いがしたものです。何より辛かったのは、目も合わせなくなった両親が私を介して会話することでした。

「お母さんに、こう言っちょけ」「知らんって答えちょって」など、互いに文句や不満をぶつけることに自分が使われるのが苦しくなりました。

 

父、母、祖母。大好きな家族が大声でいがみあう姿に身がすくみ、私は誰の味方をすることもできないまま、ただじっと嵐が過ぎ去るのを待ちました。
いつしか私は、なるべく事が大きくならなければそれでいいと、自分の苦しい気持ちに蓋をするようになりました。

 

母に「もうお役をやめてほしい」と思ったこともあります。
しかし、母が家族の幸せ、信者さんの救われを願って、ひたすらに修行しているのは、子ども心にも感じ取っていました。また、私にとっても同世代の仲間がたくさんいて、サンガの皆さんが温かく迎えてくれる教会は、楽しい場所となっていました。

 

家庭内の状況だけでいえば、「信仰なんて、しても救われないじゃないか」と反発しても不思議ではありません。でも、そう思わずにこられたのは、母の信仰姿勢に加え、よき出会いに恵まれたからです。

 

なかでも当時の矢野教会長さんは、私たち兄弟が教会に行くと、いつも「元気か」と声をかけてくれ、ときには「寂しい思いさせてすまんな。お母さんはお前たちのために一生懸命修行しているんだぞ」と教えてくれました。教会長さんの豪快な笑顔を見ると、心が明るくなりました。優しく、時に厳しく接してくださり、父と離れて暮らす私にとっては、第二の父のような存在でした。

 

もう一人、私に大きな影響を与えたのは飯澤教会長さんです。
高校卒業後、私は福岡の専門学校へ進学しました。矢野教会長さんの信仰の育ての親である飯澤教会長さんは、一学生部員の私にも目をかけてくださり、「教会の人に見つかるなよ」と、屋台やパチンコに連れて行ってくれることもありました。

 

就職を考えるようになった頃、飯澤教会長さんから奉職のお話を頂きました。地元に帰るつもりの私は何度もお断りました。すると今度は矢野教会長さんも出てきて2人がかりの説得です。学校にまで電話をかけてきたこともありました。教えに対する学びも実践も足りない私でしたが、平成6年、2人の教会長さんの大きな後押しのお陰さまで奉職のお手配を頂きました。

 

矢野教会長さんが他界されたときは、親を一人失ったような悲しみでしたが、両教会長さんの仏さま、開祖さまに対する絶対的な帰依心、そして、いつも人さまの幸せを念じ行動されるお姿は私の胸に深く刻まれています。

 

奉職して10年後、父が単身赴任を終え、約24年ぶりに実家に戻ってからは、両親の関係も少しずつ変化が表れました。
さらに退職してからの父は、積極的に教会活動に参加するようになり、電話で「ちゃんと修行していますか。まだまだ足りんぞ」とこれまで離れていた親子関係を埋めるかのようなご指導三昧です。くすぐったい思いをしつつ、気づけば父へのわだかまりは消えていました。2人の弟もそれぞれの場で修行しており、母の修行が証明されたようで嬉しく思いました。

 

私も所属する杉並教会で男子部長、青年育成担当とお役を頂き、多くの仲間と共に修行させて頂きました。手どり、法座、阿波踊り、お会式など忙しく活動する中、教師資格拝受のお手配を頂いた時のことです。

 

事前勉強会で書写行をし、ご指導を頂く機会がありました。コメントには「まだ教師を頂く修行ができておりません。両親のお徳によってすべてにご守護を頂戴している事に感謝すること」と書いてありました。

 

私自身、何となく感じていた部分をハッキリと指摘され、図星だと思いました。楽しく活動はしていても、それは親からもらった信仰の延長で、心のどこかで、信仰を掴むには、もっと大変な修行をしないといけない。自分にはそんな体験もない、と自信を持てずにいたのです。

 

また、幼い頃から物事に波風が立たないように振る舞い、自分の正直な気持ちや負の感情に目を背けてきた私です。部員さんが苦に直面したときは、親身になって話を聞いてきたつもりですが、いざ自分のこととなると、このように受け止めればいいのかなと頭だけで理解し、苦を直視してきませんでした。せっかく現象を頂いても受け流してばかりで、そこから信仰的に何かをつかもうと踏み出す勇気がなかったのです。

 

このままではいけない。
自分の言葉で信仰の功徳を伝えられるようになりたいと思い、この頃から少しずつ自分と向き合うようになりました。

 

見えてきたのは、争いが起きないように相手に合わせて「いい人」でいようとする自分、自身の感情に鈍感になって本当の気持ちが分からなくなっている自分、信仰を掴みたいと思っていても何となく幸せで努力のできない自分、と足りないところばかりでした。

 

そんなとき、妻に「あなたのいいところは、物事にあまりとらわれず、苦もなく人を優先できるところだよ。私はそれがすごいと思う。自然と人に優しくできるのは、自分もたくさん優しくされてきたからじゃない?」と言われ、ハッとしました。

 

足りないものばかりにとらわれていた自分が、初めてすでに頂いていた功徳に目を向けた瞬間でした。何の苦労もなく信仰に出遇えたこと、その教えを無条件で信じられること、人の気持ちを大事にしたいと思えること、ぼんやりしているとも言えますが、大らかなところ。これまで当たり前だと思っていたもののなかに、宝物がたくさんありました。子ども時代の辛かった経験も、思い通りにいかない時にぐっと耐える力を育ててくれました。

すべては私を救おうとする仏さまの慈悲だったのだと、有り難さがこみあげました。そして、自分の見方が変わると、こんなにも心が軽くなるのかと嬉しくなりました。

 

自分の信念や求道心で切り開いてきた道ではありませんが、今、私がこうして仏さまの道を歩んでいられるのは、それだけ多くの人が私を念じ、関わってきてくださったことの証です。そのように思い至ったとき、心に浮かんだのは、どんなに辛いときでも「開祖さまが伝えてくださったこの教えだけは絶対に間違いないのよ」と法を手放さなかった母の姿です。

 

母は、自分の生き方をとおして「この教えをつかんで幸せになってほしい」と私に伝え続けていたのだと、その深い愛情に気づき、涙が溢れました。初めて「お母さんの子に生んでもらってよかった。ありがとう」と伝えることができました。

 

これまで、苦労や体験の先に見えると思っていた仏さまの慈悲は、実はすでに自分の周りに満ち溢れていました。日常のなかに、また苦しい場面のなかにも、絶対にある仏さまの慈悲を信じ、光を当てていけるようになるのが今の私の目標です。そして、これまで両親や恩師をはじめ、本当に多くのサンガが私を導いてくださったように、今度は私が、人さまのよき縁となれるよう慈悲の心で、一つ一つの出会いを大事にしていきたいと思います。

 

現在、財務グループでお役を頂いて4年目になります。私を含め9名と少人数ですが、優秀なスタッフに支えられ、共に修行させていただく毎日です。全国の教会の総務部長さんや会計さんとご縁を頂けたことで、皆さんが、お布施をされた会員さん一人一人に対して、どれほど大きな願いをもって触れていらっしゃるのかを肌で感じることができました。また、信仰者として、どんな現象からも謙虚に受けとめ、学び、心を耕すお姿を見るたびに、自分の甘さを感じ、私もそうありたいと教えていただいています。

 

本年は会長先生より信行方針のなかで『「即是道場」の精神をもって、そのご恩に報いてまいりたいと思います』とご指導いただきました。いまこの場所、この時を大切に、目の前のことに最善を尽くし、一歩一歩ですが、すべての現象は私を導いてくれる仏さまのはからいと受けとめ、信仰を継いだものとしてしっかりと歩んでいくことをお誓いし、説法のお役とさせていただきます。

 

皆さま、ありがとうございました。