大聖堂ライブ配信

2020年9月15日 体験説法

渉外グループ 柿澤 伸光

 

皆さま、お願いいたします。

 

釈迦牟尼仏ご命日、布薩の日にお説法の大役を頂戴し、誠にありがとうございます。

釈尊ご命日ならびに、お彼岸の意義をかみしめ、ご先祖さまとご法をいただけたことに対する感謝と今後の誓願をさせていただきます。

 

まず、我が家の佼成会への入会は、昭和27年、体が丈夫ではなかった父の弟が縁で、近所の方のお導きにより祖母が入会しました。

祖母は当時の第二十支部の細谷支部長さんのもと、救われたい一心で先祖供養とお導き修行に精進しました。

 

両親も後の新宿教会の青年部活動が縁で結婚し、姉、私が生まれました。

現在は母、姉、妻、子供3人と私の7人家族で生活をしております。

 

私も妻も両親と同居の生活を望んでいました。

私たちが子供たちを叱ると、状況を察して両親が抱えてくれたり、また、妻が忙しいときには母や姉がフォローしてくれたりします。

大人数での世代を超えた関わりは、子供たちの情操教育にもなっていると感じています。

 

さて、私は小中高校とスポーツに没頭し、佼成会の活動にはほとんど参加しませんでした。しかし、大学浪人を機に当時、幼い頃からよく知っていた中村支部長さんの巧みな方便力によって宿直、式典の司会をするようになりました。

 

この辺で一端、受験勉強に専念しようと思ったところに、学生部からの手どり攻勢がありました。浪人中だからと言っても何度も来ます。入れ替わり立ち替わり。やがて、ピタッと来なくなりました。そうすると気になってきます。今日は来ないのかと。そんなタイミングでまた手どりに来るのです。今度は一緒に手どりに行こうと。私は行ってしまいました。

ただ、手どりを通して色んな人生と出会えました。それが楽しく、お陰さまで大学合格の後、学生部活動を主体的にするようになりました。その後、何とか大学も卒業し、一般企業に就職しました。手どりは仕事の営業活動にも大いに役立ちました。

 

一方、青年期において、私は父とうまくコミュニケーションを図れないことに悩んでいました。当時、村山教会長さんは、青年部に「開祖さまの生き方に触れ、自立した生き方をしよう」と教えてくださいました。自立した生き方を目指すには、何より父との関係にしっかりと向き合うことが必要だと思いました。

 

思えば、私が子供の頃、家にほとんどいない多忙な父でした。父は大変厳しく、時に恐怖を覚えるほどの迫力のある人でした。子供心にただ、普通に会話したい、自分のしたことを父に認めてもらいたいと思うのですが、どう接していいのか分からず、距離を置くようになりました。思春期になり、父に対して意見すると、よく怒鳴られました。そのやり場のない不安定な思いは、外でケンカをするなどして発散することもありました。

 

母に対しては、父に対する悪態をついて泣かせてしまうこともあり、家では父への思いを言うのはやめようと我慢するようになりました。しかし、それでいいとは思っていませんでした。父のせいにして、条件のせいにして、いろんなことから逃げているんじゃないかと思い、社会人になって当時の村上支部長さんに話を聞いていただくことがありました。

 

支部長さんは、「あなたの心境も分かった。でもね、お父さんのことをもっと知る努力をしてみたらどう?お父さんの生い立ちとか聞いたことある?」と促してくださいました。それは新鮮な発想でした。今の父との関係しか見ていなかった私ですが、今の父という結果に至った、これまでの過程・生い立ちというものは知ろうとも思っていなかったからです。早速、母に父の生い立ちを聞いてみました。

 

父は、昭和十七年神奈川県で生まれましたが、祖父はその頃、戦争で出征していました。終戦後、我が家に帰ることができた祖父は、3歳になる可愛い息子に会えるのを楽しみにしていたそうです。しかし、祖母が「ほら、父ちゃんが帰ってきたよ」と言うと、父は祖父を見て、「父ちゃんじゃないよ、兵隊さんだよ」と言ったそうです。

祖父としてみれば、ショックだったようです。しかし、物心ついた頃にお父さんが戦争に行って側にいてもらえなかった子にとってみれば、「父ちゃん」と思うには時間が必要だったのかもしれません。

 

その後、父は祖父からの愛情を十分に感じずに青年期を過ごしたようです。父は祖父に甘えることもできず、いつしか早く自立しないといけない、と十代の頃から働き始めたようです。早くから自立した生き方をしてきた父は、きっと一人息子の私をしっかりと育てたいと思っていたのでしょう。しかし、祖父からの父親としての愛情が不足していたからなのか、私に対しても父親としてどう愛情を注いだらいいのか分からなかったのかもしれません。

 

そのことを早速、支部長さんに伝えると「これまであなたに厳しく接し、時に怒ってくれたお父さんの言動は、分からないが故の不器用さであって、その奥にある心は、一生懸命あなたに向き合おうとした愛情だったんじゃないの?」という見方を示してくださいました。ジワーッと心が温かくなりました。父の私に対する振る舞いの奥にある思いが想像できました。素直に、父のことが、父の言葉や行動の奥にある思いが愛おしくなりました。

 

これまでは、条件のせいにして、なぜ父は変わらないのかと思っていましたが、父が変わるのを待つのではなく、私から関係を築いていくことを心掛けようと努力しました。とは言え、そう簡単に私も変われるものではありませんでした。業が深く、よく父の言動に引っかかっていました。支部長さんは更に、「すぐに変われないこともあるよ。できたりできなかったり、行ったり来たりしながら、業は浄化されていくんだよ」との肯定的な見方を示してくださり、また精進できました。

 

ところで父は、大聖堂聖壇におけるご本尊給仕にたずさわる聖友会の幹事長を、当時務めていました。全国に儀礼儀式作法講習の講師として出張に行くことも多かったため、「父の送迎をさせてもらおう」と思い、新宿駅までよく車で送迎をしました。

私もその頃、聖壇員のお役をいただいていましたので、車中ではお役に臨む姿勢や出張先でのエピソードなどを聞かせてもらいました。そうした共通の話題を通して、「すべてが仏性礼拝行」「縁を生かす」など、お役を通しての父の生き方や信仰観にも触れることができました。

 

このことは仕事にも生かされました。「お客さまからのクレームは、会社に対する伸びしろを教えてくださる提言として大事にしよう」「人から頼まれたら、自分の仕事を止めてまずそれをやろう」その姿勢は結果にもつながり、会社からもお客様からも信頼をいただけるようになり、今でも大事にしています。

 

ちょうどその頃、当時の鈴木教会長さんより、教団本部への奉職試験の声をかけていただきました。転職に際し悩むところもありましたが、家族とよく相談の上、試験を受けさせていただき、奉職のお手配をいただきました。人さまのために、世の中のためになることを今後は生業とすることに気概も持っていこうと心に決めました。

 

奉職し、青年本部に配属になり、翌年千葉支教区にて青年教務員のお役をいただいた時のことです。母から連絡が入り、高校時代の親友が事故で急死したと告げられました。

頭が真っ白になりました。実は前日に、連絡をとったばかりでした。私が仙台から東京に帰るところ、彼は東京から仙台に出張で向かっており、だったら仙台で一杯やりたかったなぁというメールのやり取りをしていました。冷静になろうとして、とにかく同級生に連絡をし、状況を伝えるのですが、涙が止まらずただただ苦しかったのを覚えています。

 

その後、彼のお母さんが心配になり、連絡をしました。

実は、彼が亡くなる数年前に、彼のお父さんも病気で亡くなっていました。そして、彼は一人息子でした。残されたお母さんはさぞ辛かったろうと思います。お母さんは、誰と話しても切なくなると言って泣いていましたが、葬儀では助けてほしいと言っていただき、受付周りは高校時代の友達と全てやらせていただきました。

 

その後も、月命日には彼の墓参りとお母さんのところに挨拶に寄りました。

私は彼との思い出話をよくさせてもらいました。するとお母さんは毎回、泣きます。

こうして徐々に、息子の死を受け入れていかれたのだろうと思います。私は是非、ご法の縁に触れていただきたいと思っていたところ、父にも「お導きさせてもらうといいね」と後押しをいただき、母と一緒にお導きをさせていただきました。お母さんは二つ返事で了解してくださいました。「柿澤さんがやってらっしゃる信仰ですもの、是非、佼成会のこと教えて」と言っていただきました。以来、『佼成』を読むのを楽しみにしてくださっています。

 

いつも彼のことを語り、またお母さんの力になりたい、というこの根元にある「人のお役に立たせていただきたい」という思いを発揮できるのは祖母や父がつないでくださったご法のお陰であり、その信仰が私の中にも受け継がれていることを実感しました。

 

今回の説法のことで、降矢教会長さんにお言葉をいただきました。

「お父さんの信仰は半端なものではない。開祖さまの証明役として、細谷教会長さんからいただいたご指導のもとに生き切ったお父さんの信仰をしっかり継いでほしい」と言っていただきました。

 

命を懸けてこのご法をつかみ、伝えてきた祖母や父の思いをしっかりと受け継ぎ、コロナ感染のような大きな困難と変化の中でも、自灯明・法灯明で常に前向きに即是道場の精神で菩薩道に精進していくことをお誓いし、本日の説法のお役にかえさせていただきます。

 

皆さま、ありがとうございました。

 

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