今日のことば
6/16 月曜日
体験説法が証明役
信者さんの体験説法を聞かせてもらっていると、初めのうちは、「この人は、どうなってしまうのだろうか」とハラハラさせられるような話が、しばしばあります。ところが話が進んでいくと、みなさんが見事に生まれ変わってしまうのです。
ご法の縁に触れる前は、どなたも、なによりもまず自分がいちばん大事なのですが、じつは、それでまわりが見えなくなっているのです。はたから見ていると、とんでもない逆さの見方、考え方をしていて、それに自分では気づくことができない。これを顚倒(てんどう)というのです。
この自分第一の考え方を「まず人さまが第一、自分は第二」と、ちょっと切り換えるだけで、人は見事に生まれ変わります。どの信者さんの体験説法も、それを証明してくれているのです。
「是(こ)の経は本(もと)諸仏の室宅(しったく)の中(うち)より来(きた)り、去って一切衆生(しゅじょう)の発菩提心(はつぼだいしん)に至り、諸(もろもろ)の菩薩所行(ぼさつしょぎょう)の処(ところ)に住す」と「十功徳品(じゅうくどくほん)」にありますが、私は信者さんの体験説法を聞かせてもらう時間を、なによりも大切にしています。その説法に、ご法の働きを目のあたりにさせてもらい、仏さまのお姿を拝ませてもらうのです。
庭野日敬著『開祖随感』第11巻 86~87頁より