今日のことば
3/24 火曜日
自分が信じれば
人が自分を信用してくれない、とぼやく人を見ていると、自分も相手を信用していないのです。自分がそうしてもらいたいことは、なにごとによらず、まず自分から先に、それをやらなくてはなりません。人に信用してもらいたいのであれば、自分が相手を信用してしまう。
子どもは正直ですから、自分を信頼してくれる親や先生がそばにいると安心して勉強に集中するけれども、「この子は、目を離すと怠けてしまう」「厳しく監視していないと、じき悪さをする」といった不信の目で見ていると、いくら監視し、押さえつけようとしても、押さえつけられるものではありません。
それと同じで、信仰も自分が信じていないで人に信じなさい信じなさいと言っても、人は信じるものではないのです。自分が信じきっていると、その人のすることなすことが法門にぴたりとかなってきて、その姿を見て人が安心してついてきてくれるようになるのです。
「未(いま)だ発心(ほっしん)せざる者をして菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)さしめ」られるかどうか、自分の信にかかっているのです。
庭野日敬著『開祖随感』第8巻 86~87頁より