今日のことば
12/6 土曜日
思惑を離れる
私は、新井助信(あらいすけのぶ)先生によって法華経と出遇(あ)うことができて、それから毎日、朝夕のご供養をするようになったのですが、初めのうちは、障子を閉めて蚊(か)の鳴くような小さな声でお経をあげていたものでした。
また、新井支部に顔を出すたびに幹部さんから、「牛乳屋のおやじ、説法をしろ」と言われて困ってしまいました。いまでこそ説法は私の楽しみですが、当時は、「さて、何を話せばいいんだろうか、困ったことになった」と大いにとまどいました。仕方なく、子どもの病気で入会したこと、そしてご指導どおりに実行したらこうなりましたと、ばかのひとつ覚えのように、ただ正直に話しておりました。
精進とは正しいことを繰り返すことなのですが、私は朝夕のご供養にしても、説法にしても、その当時も現在も変わることなく淡々と繰り返し続けてきているのです。
私たちは「おもわくがはずれた」などとよく言いますが、「おもわく」は「思惑」と書きます。もともとは仏教の言葉で、がんこな迷いにもとづく性癖を言います。自分の思惑を離れて、言われるままに実行することが、いちばん大事なのです。
庭野日敬著『開祖随感』第6巻 212~213頁より