今日のことば
1/15 木曜日
歓喜の輪
教会長さんが法座主のときは、人が大勢集まって聞き耳を立てて聞くのに、自分が法座主のときは聞いてもらえない、と嘆かれる方がいました。
仏法は法則を説いているのですから、みなさんが説いても会長の私が説いても、そう違いはないのです。むしろ私より説法のうまい人がいくらでもいます。ただ、説く人に本当の慈悲があるかどうかによって、人が寄ってくるかこないかの違いが出てしまうのですね。
その慈悲というのは、「この人にどうしても幸せになってもらわなくちゃならない」という願いのほとばしりです。聞き分けのない人であればあるほど、病気の子どもから親が離れられないように、相手の言いたいことのありったけを聞いてあげる。するとその人が、「幸せになれるいいところがあるから一緒にまいりましょう」と人さまを誘ってくださって、自分が案内してきた人が喜んでくれると自分もうれしくてたまらなくなってくるわけです。これが歓喜の人の輪の広がりです。
その輪が回り始めると、次から次へと法座の輪に人が吸い込まれてくるようになるのですね。
庭野日敬著『開祖随感』第7巻 72~73頁より