今日のことば
12/10 水曜日
法雨を注ぐ
迷い、悲しんで、自分は不幸な人間だと嘆いている人たちのことを、仏さまは「枯槁(ここう)の衆生」と呼んでおられます。枯槁という言葉を辞書で見ますと、「しぼみ枯れること、やせ衰えること」と説明されています。
石ころだらけだったり、栄養のない荒れた土地に生えている植物は、せっかく芽を出し、やっと丈を伸ばしても、地味が乏しく栄養も与えられないために、やがて立ち枯れてしまいます。
人間も同じように、この苦の娑婆(しゃば)に生を享(う)けて出てきても、心の糧(かて)というか、仏さまの慈悲の教えといううるおいがなかったならば、いくら自分の力だけであがいても、荒れ地の植物のように立ち枯れの哀れな人生になってしまいます。
仏さまは、そうした枯槁の衆生を哀れんで、「私はそうした人たちのために、枯れ木に水を与えてよみがえらせるように、心にうるおいを与える法を説くのだ」とおっしゃってくださっています。
その法雨を甘露(かんろ)として人びとのために注ぎたいものです。
庭野日敬著『開祖随感』第6巻 250~251頁より