今日のことば

2/17 火曜日

自分を見せてくれる鏡

読んだり聞いたりしただけで、それがみんな自分のものになるのなら苦労はありません。ところが、いくら聞いても右の耳から左の耳へ抜けて、なにひとつ本当に自分のものになっていないのに、分かったつもりになっていることが多いのです。

たとえば、子どもの音楽の練習をはたで聞いていると、ここを直したらいい、そこに気をつければいいと思うのですが、本人は、音がはずれているのがまったく聞こえず、得意になってやっているわけです。

「あの人は、自分のことを棚に上げて、よくもあんな立派なことが言えたものだ」と、あきれてしまうような人がよくいますが、これも当人は、自分が言っているとおりにやっているつもりなのです。その自分に気づかずにいるから、だんだん苦しみにはまり込んでしまうわけです。

お辞儀ひとつにしても、ここまで頭を下げるんですよと実際に教えてもらわないと、ちょっと首を曲げてうなずいただけで、最敬礼したつもりになっているのです。

お互いさま、お隣さん同士で自分が気づけない姿を教え合い、直していこうというのが、正定聚(しょうじょうじゅ)の仲間の磨き合いです。

庭野日敬著『開祖随感』第7巻 224~225頁より
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