創立者・会長

会長 庭野日鑛

会長 庭野日鑛 にわの にちこう

庭野日鑛(にわのにちこう)会長は、1938(昭和13)年3月20日、東京都中野区に生まれました。立正大学仏教学部卒業、同大学院修了後、本会に入職。布教本部長、学林学長を歴任しました。1991(平成3)年11月15日、法燈継承式で庭野日敬開祖から会長位を継承し、第二代会長に就任。法華経を基盤とした庭野開祖の教えをもとに、常に仏教の大道を正しく歩む教団でありたい、との願いを胸に布教伝道の日々を送っています。

また、現在は(公財)世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会会長をはじめ、同国際委員会名誉会長、アジア宗教者平和会議(ACRP)名誉会長、(公財)庭野平和財団名誉会長、(公財)新日本宗教団体連合会(新宗連)顧問などを務め、国内外で宗教協力活動を推進しています。著書に『心のなかの散歩道』『すべてはわが師』『明日に向かう』『ブッダロードを行く~西安からウルムチへ』『心田を耕す』『こころの眼を開く』など。

次代会長 庭野光祥

次代会長 庭野光祥 にわの こうしょう

庭野光祥(にわのこうしょう)次代会長は、東京都杉並区に生まれ、祖父の庭野日敬開祖、父の庭野日鑛会長のもとで育ちました。学習院大学法学部を卒業後、本会に入職し、幹部養成機関である学林本科に学び、1994(平成6)年に次代会長に指名されました。

現在は、教団主要行事で読経供養の導師、会員に向けて講話や指導等を行いつつ、法華経をもとにした本会の救いのあり方を研鑽し、次代会長としての修行を続けています。国内外の宗教間対話・協力活動にも力を注ぎつつ、上智大学大学院実践宗教学研究科にて宗教の公共性について研究し、2021(令和3)年3月に博士前期課程を修了。

現在、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)国際共同議長、(公財)同日本委員会理事、(公財)新日本宗教団体連合会(新宗連)常務理事、アブドッラー国王宗教・文化間対話のための国際センター(KAICIID)理事などを務めています。著書は『開祖さまに倣いて』『笑顔は天の花』など。

開祖 庭野日敬

開祖 庭野日敬 にわの にっきょう

庭野日敬(にわのにっきょう)開祖は、1906(明治39)年11月15日、新潟県中魚沼郡十日町大字菅沼(現在の十日町市菅沼)に生まれました。

人に尽くすことを喜びとし、人望の厚かった祖父・重太郎や、「なるべく暇がなくて、給料の安い、骨の折れる所へ奉公するように」と諭す実直な父・重吉らの教えを受け、16歳の夏に上京。その後、漬物店、牛乳店などを生業とする一方、恩師である新井助信師や長沼政(のちの長沼妙佼脇祖)との出会いを経て、立正佼成会を創立したのは1938(昭和13)年3月5日、31歳のときでした。「人を救い、世を立て直す」。その願いと使命感を胸に、以来、一心に法華経に帰依し、慈悲の実践に徹しました。

また「真の平和は宗教心の涵養(かんよう)による以外にはない」との信念から、「国民皆信仰」「明るい社会づくり運動」を提唱すると共に、世界の平和境建設をめざして宗教者同士が手を携える必要性を訴え、国内外で積極的に宗教協力活動を展開。世界宗教者平和会議(WCRP)やアジア宗教者平和会議(ACRP)の創設・運営に力を尽くしました。さらに、過去3回行われた「国連軍縮特別総会」では、世界の為政者に非武装による平和を重ねて呼びかけるなど、世界平和の構築に情熱を傾注しました。

これらの活動が認められ、1979(昭和54)年には宗教界のノーベル賞といわれる「テンプルトン賞」(テンプルトン財団)を受賞。このほか、アルバート・シュバイツァー博士の生誕100年を記念して創設された「ユニクェスト・シュバイツァー賞」、ローマ教皇庁の「大聖グレゴリウス勲章」、キリスト教・ユダヤ教国際協議会の「インターフェイス・メダリオン(宗教対話促進賞)」など、数多くの賞を受けています。

1991(平成3)年11月15日に法燈継承式が挙行され、長男・日鑛に会長位を委譲したのちも、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世と共にバチカンでの第6回世界宗教者平和会議(WCRPⅥ)に出席するなど、生涯、平和への変わらぬ熱意を抱き続けました。
1999(平成11)年10月4日、92歳で入寂。

「宇宙の真理はただ一つであり、各宗教はその真理の多様な表現にほかならない。人々もまた、心の奥底にはだれもが仏性を宿し、世界の大調和を希求している。本来、皆、一つの乗り物の同乗者なのだから、共々に自己の閉鎖性、独善性を打ち破り、拝みあい、認め合い、分かち合い、協力し合おう――」。法華経を貫く「一乗」の精神を自らの願いとし、世界平和と人類救済にすべてを捧げたその生涯を称え、庭野日鑛会長は法号「開祖日敬一乗大師」をおくりました。また、2000(平成12)年10月1日、庭野開祖を顕彰する「一乗宝塔」が、法輪閣庭園に建立されました。

庭野開祖には、『新釈法華三部経』(全10巻)『仏教のいのち法華経』『法華経の新しい解釈』『脚下照顧』(正・続)『瀉瓶無遺』『人生、心がけ』『開祖随感』『この道』などの著書があります。

庭野日敬平成法話集 特設サイトはこちら

脇祖 長沼妙佼

脇祖 長沼妙佼 ながぬま みょうこう

長沼妙佼(ながぬまみょうこう)脇祖(本名・長沼 政)は、1889(明治22)年12月25日、埼玉県北埼玉郡志多見村(現在の加須市志多見)に生まれました。幼いときに母親を亡くし、「艱難(かんなん)、汝を玉にす」の言葉を支えに苦難に耐え抜きましたが、その後も、子どもの病死や離婚、重い病などの苦労が続きました。

しかし、「私たちはご先祖のお陰さまでいのちを頂き、家族や大勢の人に支えられ、仏さまに生かされています。そのことに感謝して正しい行いをすれば、必ず幸せになれます」という庭野日敬開祖の言葉で『法華経』の教えに導かれると、それまでの悲運を感謝の心で受けとめ、ひたすら人さまの幸せを念じて信仰一筋の道を歩みました。そして、立正佼成会創立以降は、『法華経』の教え、庭野日敬開祖の指導を身をもって示して法の証明役に徹するとともに、副会長として本会の基礎を築きました。

「法華経の教えのごとく行ずれば、どんな境遇の人も必ず救われる」という信念から、時には厳しい指導によって会員を導きましたが、すべての人をわが子のように慈しむ慈悲のふれあいによって、「慈母」と慕われました。

1957(昭和32)年9月10日、67歳で遷化しましたが、立正佼成会の発展に大きく貢献し、多くの人々の幸せのために身を尽くした慈悲の生涯を讃え、2000(平成12)年、庭野日鑛会長から「脇祖妙佼慈道菩薩」の法号がおくられました。

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