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2001年11月07日 アフガニスタンの現状――JEN木山事務局長に聞く

米英両軍の空爆により、これまで以上の危機に直面しているアフガニスタン難民に対し、立正佼成会も加盟する「特定非営利活動法人JEN」(以下JEN)は毛布配布などの「越冬支援」を決定しました。「今回の戦争で直接被害に遭わなくても、特に冬は連日、餓死凍死していく人がいます。もともと支援が必要だった人たちが、戦争によってさらに厳しい状況に置かれているのです」。木山啓子事務局長は人道支援の緊急性を強調します。JENは、空爆前からアフガニスタン難民への支援を決め、調査を続けてきました。2回目の調査でパキスタンから帰国した木山事務局長に、難民の状況、今後の支援について聞きました。(当インタビューは2001年11月に行われたものです。当時と現在とでは、状況に変化が生じている場合がございます。ご了承下さい。)

ここ数ヵ月、「アフガニスタン」という言葉を耳にしない日がないほど、テレビや新聞などでアフガニスタンの情勢が伝えられています。しかし、この国の難民問題は今に始まったことではありません。20年以上続いている内戦と近年の大干ばつ。370万人の難民と96万人の国内避難民(UNHCR調べ)が厳しい生活を強いられているなか、英米両軍による空爆が始まりました。攻撃を恐れて周辺諸国に逃げる一般市民が増加し、さらに状況が悪化したと言えます。現在、パキスタンに流入している難民の数は、国境が閉鎖しているにもかかわらず1日に1000人から2000人単位と言われています。
JENは、米国同時多発テロが起きる直前に、アフガニスタンのカブール、マザリシャリフ、サリプールの3カ所を訪れ、国内避難民のニーズ調査を行いました。その後、テロ事件の影響でJENの活動の基盤をアフガニスタンからパキスタンへ移行、10月5日に、パキスタン入りし、奇しくもその2日後、空爆が始まりました。アフガニスタン国内やパキスタンでの難民の状況は悪化しているにもかかわらず、プロジェクトを進めることができないもどかしさでいっぱいです。現地に駐在する日本のNGO(非政府組織)「燈台」のスタッフによると、昨年暮れくらいまで難民たちは、お茶に砂糖と少量の油を入れ、それをナンと呼ばれるパンにつけて食べていたのが、現在はお茶や砂糖や油が絶え、お湯にとうがらしを入れ、ナンにつけて食べている状態だといいます。水も食糧もない状況に加え、11月になると厳しい寒さが到来し、凍死する人が急増することが予想されます。越冬のための支援が緊急に必要になってきます。私たちはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)や政府、現地のNGOとの連携を図り、毛布や衣類の配布など「越冬支援」に重点を置くことを決めました。パキスタンの首都イスラマバードに事務所を設置し、日本人スタッフ2人と現地スタッフ1人が常駐、準備は着々と進んでいます。
しかし、治安の悪さから、難民の方々のもとに到達することができません。私たちがプロジェクトの拠点と考えている北西辺境州では、政府の統治が及ばないため、支援物資が盗まれたり、一部のイスラム過激グループによる攻撃も予想され、外国人である私たちはキャンプに近寄ることができない状況です。危険な状況の中でも、現地の人に頼んで勝手にテントを設置して、「さあいらっしゃい」というのは簡単です。しかし、食事の問題から医療、子どもたちの教育に至るまで、生きている人たちを対象としているわけですから無責任なことはできません。やはり政府や国連機関との連携を図りながら、実際に何度も現地に足を運んでプロジェクトを進めていくことが望まれます。
先日、現地にいる日本人スタッフが、アフガニスタンからイスラマバードに逃げてきた10人の家族と接触しました。隣の家が空爆によって破壊され、一家20人が亡くなり、
身の危険を感じて逃げてきたといいます。幼い子どもは、ショックから失語症になってしまったそうです。1日も早く有効な支援をしたい。空爆がおさまり、治安がよくなることを願っています。
前回の調査の際、私たちをサポートしてくれたのはタリバンの青年でした。タリバンターバンを巻き、1日5回の「コーラン」の祈りは欠かしません。その青年が、ある難民キャンプを訪れた時、あまりにもひどい状況を目の当たりにし、目を潤ませて言いました。「自分も幼いころ、難民生活を送っていた」と。つらい思いを重ねてきたのでしょう。
「タリバン」と言うと、今はまるで鬼か悪魔のように言われていますが、一部の過激な人たちの行動が表面化してしまっているような気がします。また、テレビの映像でパキスタン国内での「反米デモ」の様子が流されると、いかにも国内全体、イスラム社会全体が大変なことになっているような印象を受けますが、デモは時間も場所も限られているので、その他の地域は比較的穏やかなのです。現地のホテルでテレビのニュースを見ながら「このように伝えられているんだ」と、妙に冷静になったものです。現地語の報道はわかりませんが、少なくとも英語と日本語の報道は画一化されているように思います。
 先ほど述べたように、「タリバン」に対する報道は一部の過激な人たちの行動から、国際社会に「タリバンは撲滅するべきだ」という風潮をかきたてているように思います。しかし、米国の攻撃の対象となっている「タリバン」にも、「タリバン」の家族にも罪のない女性や子どもたち、普通の人たちがたくさんいます。タリバンも同じ人間であり、アフガニスタンは、あの人たちの国でもあるのです。「タリバンにも支援を」などと言っているのではありません。私自身、活動を行う中で、「みんな等しく尊い命を持っている」ということを忘れずに支援をしていきたいと思っているのです。今回のプロジェクトに関しても、イスラム教の人々の文化、風習など、現地の人の思いを踏みにじらないように、進めていくつもりです。
今は連日のごとくマスコミがアフガニスタンについて報道し、関心を持たずにはいられない状況にあります。しかし、半年もすれば「アフガニスタンどうなった?」「タリバンはどうしているの?」ということになりかねない。状況が改善されたわけではないのに人々の関心は次の新しい出来事に移っていく。支援も途絶えていくことでしょう。
アフガニスタンはもう20年以上も問題を抱えている国であり、1年や2年で改善される問題だったらとっくに改善されているはずです。今回の戦争で、さらに解決の道が遠ざかっていったと言えます。
私の脳裏には、国連の飛行機から見た一面の砂漠地帯が焼きついています。摂氏42度の暑さの中で、私の腕にすがり助けを求めてきた中年女性の悲痛な表情が浮かびます。
アフガニスタンの難民問題が今後も続いていくことを頭に置きつつ、今のJENの役割として、目の前の支援活動に力を注いでいきたいと思います。

アフガニスタンについて

中央アジアに位置し、古くからアジア大陸の交通の要衝とされていた。面積は約65万平方km、人口約2600万人(2000年推定)。6000メートル級の高山を含むヒンズークシ山脈が北東から南西へ貫いており、国土の75パーセントが山岳地帯で、南部には砂漠が広がる。首都カブールの標高は1800メートル。国土の大部分は乾燥した大陸性高原気候で、寒暖の差が激しく、年間を通じ降水量が少ない。半数強を占めるパシュトゥン人のほか、タジク、ハザラ、ウズベクなど20以上の民族で構成される多民族国家。農業国で、人口の8割以上が農業と牧畜(遊牧を含む)に従事していた。宗教は99パーセイントがイスラム教。
19世紀にイギリスとロシアの覇権争いに巻き込まれ、バラクザイ王朝下の1880年に英国保護領となる。しかし、1919年の第3次アフガン戦争で独立。73年、無血クーデターで王族を追放し、共和制に移行。78年、軍部クーデターにより親ソ連政権が成立。翌79年、ソ連が軍事介入し、89年にソ連軍が撤退するまで、反ソ連民族抵抗運動として、ゲリラ戦が展開された。この後、主導権をめぐるゲリラ各派の対立・抗争が激化。96年にイスラム原理主義勢力のタリバンが首都カブールを占領し政権を樹立した後も、タリバンと北部同盟の間で抗争が続いている。
20年以上に及ぶ戦闘、さらには数年来の大干ばつにより市民生活は大きな打撃を受けている。2001年1月の難民数(推定)は約370万人(内訳はパキスタンに200万人、イランに150万人、ロシアに10万人など)、国内避難民は96万人(UNHCR調べ)。実際には国外に脱出できない貧しい人々が多く、現在すでに500万人を超える国内避難民が存在すると言われる。食料不足のため、1日に50人の女性が出産で命を落とし、5歳まで生きられない子どもは25パーセントにも上る。子どもの半数が栄養不良に苦しむ。マイナス15℃から25℃にも冷え込む冬を前に、テント、毛布、セーターなど防寒用品の不足も緊急の問題となっている。

(2001.11.07 記載)