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2002年01月24日 庭野会長、イタリア・アッシジでの「平和祈願の日」の集いに出席

庭野日鑛会長は1月24日(現地時間)、イタリアの聖都アッシジで開催された「アッシジ平和祈願の日」の集いに正式代表として出席しました。この集いは、米国同時多発テロ事件、アフガニスタン攻撃など国際的な緊張状況を踏まえ、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の呼びかけで実現したものです。世界12宗教の諸宗教指導者250人をはじめ、約1万人のカトリック信徒らも集いを見守りました。庭野会長は、聖フランシスコ広場で行われた式典の中で、世界の10人の諸宗教指導者の一人として、仏教徒を代表して「平和への証言」に立ち、国民間の友好促進を促すメッセージを朗読しまし諸た。また庭野会長は、前日の23日、バチカン市国内のシノドスホール(世界司教会議場)で開催されたフォーラムに出席し、『「いのちの子」として拝み合う世界を』と題してスピーチしました。

アッシジは、キリストの再来とも言われた清貧の聖者フランシスコが生まれた町として知られています。この地でローマ教皇の呼びかけによって「平和祈願の日」の集いが開かれたのは、1986年10月に次いで、16年ぶり、2回目となります。前回も庭野会長が、庭野開祖の名代として参列しています。
24日午前8時40分、ローマ教皇と世界の諸宗教指導者250人を乗せた「教皇特別列車」がバチカン市国駅を出発し、一路、アッシジへと向かいました。1943年に同駅が竣工してから、歴代教皇が専用列車で外遊したことは、過去3回しかありません。灰色と緑のツートンカラーの客車7両で編成される特別列車は、各駅で待ち受ける信徒たちの姿を車窓に、ラツィオ、ウンブリ両州の平野を走り抜け、約2時間後にはアッシジに到着しました。ローマ教皇は、この諸宗教指導者との列車の旅を「巡礼」と呼んでいます。
午前11時、アッシジの聖フランシスコ大聖堂前に仮設されたホールで、第1部の全体集会が始まりました。入場する世界の諸宗教指導者が、一人ひとり壇上に上がり、ローマ教皇と握手を交わします。雛壇には、ローマ教皇を中央に、向かって左側にキリスト教指導者、右側に庭野会長をはじめ世界の諸宗教指導者が着座しました。
冒頭、ベトナムの共産政権下で19年間投獄された経験をもつバントゥアン枢機卿が、「諸宗教者は、宗教が紛争、憎悪、暴力の動機となってはならないことを、世界に向かって明らかにすることを促されている」と呼びかけました。それを受け、12人の諸宗教指導者が、「暴力とテロによって脆弱となった世界」「世界に対する諸宗教の一致した努力」などを基本テーマにして、「平和への証言」を行いました。
このあとローマ教皇がスピーチ。「テロ、憎悪、武力戦争といった世界に漂う暗雲を除去するために、われわれ宗教者は、自身の義務を果たしていかなければならない」と参加者に訴えました。
正午からは、各会場に分かれ、宗教別の祈りが行われました。ローマ教皇は、他のキリスト教指導者と共に聖フランシスコ大聖堂で祈りを捧げました。仏教徒は同修道院で世界平和の実現を誓願しました。
引き続き、諸宗教指導者は、ローマ教皇と共に、同修道院食堂での「兄弟愛の聖餐」と呼ばれる会食に臨みました。
午後3時半から仮設ホールで行われた全体集会の第2部は、参加した諸宗教指導者が「平和に対する誓いと努力」を世界に向かって証言することが目的となりました。正教会の最高位にあるバルトロメオス1世、WCC(世界教会協議会)のコンラッド・ライザー総幹事、庭野会長ら12人の代表者が、各国語で「共同声明文」を順番に読み上げていきます。ライザー総幹事は、「われわれは暴力とテロが、純なる宗教精神に相反するという確固とした信条を説くことを誓い、神と宗教の名を使ってのいかなる暴力と戦争を弾劾し、テロの原因を除去するための努力を怠らないことを誓う」と諸宗教者全員の心情を伝えました。
庭野会長は、10番目に登壇。「諸国における連帯責任が欠けるとき、科学技術の進歩が破壊と死という恐ろしい危険を世界にもたらすことを確信し、諸国民間の友好を促進し深める全てのことを率先して奨励することを約束します」とする全世界に向けての諸宗教からの誓約を明らかにしました。
「共同声明文」の読み上げが終わると、ローマ教皇が「暴力を再び使うまい! 戦争を再び引き起こすまい! テロを再び発生させまい! 神の名によって、各宗教が正義、平和、赦し、生命と愛をもたらすように!」と訴えました。
ローマ教皇の訴えに促されるように、諸宗教指導者は、平和の灯火ランプを一人ずつ燭台の上に置き、最後に、一人ひとりローマ教皇とあいさつを交わし、アッシジでの「世界平和祈願の日」の集いは幕を閉じました。
ローマ教皇と世界の諸宗教指導者を乗せた特別列車が、肌寒く、曇り空のアッシジを後にしたのは、すでに夕刻となっていました。

◇  ◇  ◇

翌25日、ローマ教皇は、バチカンの心臓部に匹敵する使徒宮殿での昼食会に、世界の諸宗教指導者40人を招待、庭野会長も参加しました。ローマ教皇の諸宗教対話・協力に向ける熱意と誠意を象徴する出来事と受け取られています。
またローマ教皇は27日、バチカンでの正午の祈りの機会にアッシジでの集いを振り返り、「皆と一緒に、平和と愛の文明建設に向けての、もう一つの一里塚を打ち立てることができた」と述べました。

バチカンでのフォーラムで庭野会長がスピーチ

庭野日鑛会長インタビュー

庭野日鑛会長は1月24日、イタリア・アッシジで開催された「平和祈願の日」の集い(バチカン教皇庁主催)に正式代表として出席しました。米国同時多発テロ事件、アフガニスタン攻撃などの国際的な緊張状況を踏まえ、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の呼びかけで実現したものです。1986年の第1回の集いに次いで、再度アッシジを訪れた庭野会長に、集いの印象などをインタビューしました。

--今回のアッシジでの集いは、アメリカでのテロ事件、アフガニスタンへの武力攻撃などを踏まえ、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、16年ぶりに開催を呼びかけられたものです。参加された率直な印象をお聞かせください。

法王さまが、呼びかけられたからこそ、あれだけ大勢の宗教者が世界各国からお集まりになったのだ思います。何よりも、法王さまのご尽力、働きが大きかったのではないでしょうか。
そして、アメリカでの同時多発テロ事件、アフガニスタン攻撃などで、世界情勢が一気に悪化していますから、世界の諸宗教者も、なおさら法王さまの呼びかけを真摯に受け止め、アッシジに参集されたのだと思います。
諸宗教者が、一堂に会して祈りを捧げるということは、やはり一つの「儀式」です。しかし、そこには平和を願う世界の宗教者の心が結集されています。また「儀式」を行うことによって、それぞれが平和実現に向けた誓いを新たにすることができます。
アッシジは、清貧の聖者フランシスコが生誕された地です。この巡礼の地、聖フランシスコ教会のある地を、集いの舞台にされたということは、われわれ仏教徒が考える以上に、カトリックの世界で重要な意味を持つのだと思います。聖フランシスコの精神、いわばアッシジの精神が、現代に生きている表れとも言えるでしょう。
そうした宗教的に深い意味を持つアッシジの地で集いが開かれ、世界に平和のメッセージをアピールできたことは、大きな意味があったと思います。

--宗教界の中には、ごく一部ですが、自衛という視点から、アフガニスタンへの武力行使を容認するという考えもあります。この点はどのようにお考えですか。

宗教者という純粋な立場に立つと、やはりそれはどうかなと思います。それぞれの国には、それぞれのナショナリズムがありますから、どうしてもそうした考え方が出てきてしまいます。しかし、宗教者の場合は、常に宗教の智慧に基づいていくべきだと思います。
法句経に『まことに、怨みは怨みによっては消ゆることなし。怨みは怨みなきによってのみ消ゆるものなり』という教えがあるように、ゆるしていくということがない限り、争いは無限に続いてしまいます。
人間の「やられたらやりかえす」という本能的な感情を、完全になくすことは容易ではありません。しかしそれを一つ超えていく。神とか仏の言葉の意味を深くかみしめていく。自分の感情だけにとらわれないで、宗教の智慧によって心を転換していくことが大事だと思います。そこから「ゆるし」ということが生まれてくるのです。

--「心の転換」とは、具体的にはどのようなことですか。

私は、それが仏教で言うところの「無常観」だと思うのです。以前も紹介しましたが、一休禅師は、ドクロを二つ描いて、こう認められています。
『けんかしないで暮らそじゃないか 末は互いにこの姿』。
これが一つの「無常観」だと思います。生きていることは、本当に有り難く、不思議で、もったいないことなんだ。だから生きている間は、けんかしないで、平和に暮らそうじゃないか、と。このことが大きな心の転換なのだと思います。それは同時に、真理を悟る、認識することにつながっているのです。

--アッシジでの集いでは、世界の諸宗教者が、暴力や戦争のない世界の実現を訴えました。それを実現するために、今後、宗教者がもっとも心していかなければならない点は、どこにあるとお考えですか。

政治の世界というのは、現実面での対応を優先しますから、考え方の大きな転換を図って、相手をゆるしていこうというところまで、なかなかいけないと思います。その「ゆるし」を可能にするのは、やはり宗教の智慧です。
宗教の世界でも、各宗の相異によって、「神の子」「仏の子」と表現が異っています。ですから、そこを一つ超えていく意味で、みな「いのちの子」というような共通的な表現の工夫が大切だと思うのです。
宗教の相異点を挙げていくのではなくて、みな「いのちの子」なのだから一つなんだ、という共通点を見いだしていく。そして、互いに協力していくことを忘れてはならないと思います。

--最後に、立正佼成会会員の役割についてご指導ください。

これはもう、「一切衆生を救うの心を発す」こと、すなわち「発願」して、仏さまの教えを人さまにお伝えしていく「布教伝道」ということにつきると思います。開祖さまも常におっしゃられていたことですし、遡れば釈尊もそうなされたわけです。佼成会の会員綱領の言葉で言えば「菩薩行に挺身する」ということ。これは、私たち仏教徒にとって、いつの世にも忘れてはならない、一番大事なことです。

(2002.02.07 記載)