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2002年04月07日 4月7日、長沼基之特別顧問が逝去

42年にわたり本会の理事長職を務め、教団の実務に中心的な役割を果たしてきた長沼基之特別顧問が、4月7日午後4時40分、心不全のため、入院加療中の佼成病院(東京・中野区)で逝去しました。満78歳でした。長沼特別顧問は、庭野日敬開祖、長沼妙佼脇祖、庭野日鑛会長を側面から支えると共に、新宗連(新日本宗教団体連合会)、WCRP(世界宗教者平和会議)、庭野平和財団でも要職を歴任。平成5年、理事長職を退任したのちも特別顧問として幅広い立場から教団の発展に尽力していました。訃報に触れ、同日、庭野会長夫妻、山野井克典理事長は、長沼特別顧問の自宅を訪れ、山野井理事長の導師で枕経をあげました。通夜、葬儀・告別式は、長沼家の遺族によって執り行われ、庭野会長はじめ教団代表が参列します。また本会としては、6月23日(日)午前11時より、「お別れの会」を大聖堂で行う予定です。

『私は長沼特別顧問さんに、全幅の信頼を寄せてまいりました。互いに安心しきって、今日までコンビを組んできたわけであります。私にとって、最高のパートナーでありました』――庭野開祖は、長沼特別顧問の理事長職退任(平成5年)に寄せて、こう語っています。
長沼特別顧問は、大正12年、埼玉県北埼玉郡志多見村に12人きょうだいの二男として誕生。昭和11年に上京し、長沼脇祖が経営する「埼玉屋」に奉公しました。その後、徴兵によって中国で軍役に従事し、同21年復員。本会では、同23年本部支部長、同24年執事、同27年には、教団の実務責任者にあたる理事長に就任しました。以来、42年にわたり理事長職を務め、庭野開祖の「最高のパートナー」であり続けました。
この間、折に触れ、全国の教会を訪問して会員や幹部を指導。海外布教にも取り組み、ブラジル、ニューヨークなどで海外会員との対話に努めました。
一方、国内外の宗教協力活動にも積極的に関わりました。実務の面から各教団幹部と交流を重ね、これまで新宗連理事、WCRP日本委員会理事、同財務委員会財務顧問、同国際役員などを歴任しました。佼成学園理事、庭野平和財団理事長の要職にもありました。
平成5年、理事長職を退任以降も、特別顧問として幅広い立場から教団を支え、平成10年の教団創立60周年記念団参では、延べ10回にわたり講話に立ったほか、各本部式典などにも出席。今年に入ってからも、京都教会で開催された「第19回庭野平和賞」記者発表会(2月22日)に庭野平和財団理事長として臨み、受賞者を紹介したほか、3月1日には大聖堂(布薩の日式典)でも会員に向けて受賞者発表をしていました。
長沼特別顧問は、平成5年、理事長退任のあいさつの中で、次のように草創期からの思い出を振り返っています。
「戦後の混乱期、旧本部周辺を耕し農場にしたこと。文部省に通いつめての会規づくり。新宗連の結成。育子園、佼成病院、佼成学園の創設。大聖堂、普門館の落慶。開祖さまのお供でブラジルへ初めて海外渡航したこと。こうした歴史の積み重ねの中で、平成3年11月15日、法燈継承式が厳かに執り行われましたことは、私にとりまして、もっとも大きな感激でした。開祖さまが拓かれた道を会長先生が受け継がれ、法燈が継承されたことを、私は何よりもありがたく、言い尽くせぬ喜びで胸がいっぱいになるのを覚えました」
そして、一首の歌で退任あいさつを締めくくっています。
『長旅を 恩師のおとも 法(のり)の道 友の支えに 得たる宝を』
「求道」「精進」を"座右の銘"とし、その実直な人柄が多くの会員からも慕われた長沼特別顧問。その歩みは、まさに立正佼成会の歴史そのものでもありました。

(2002.04.12記載)