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2002年05月09日 東京・新宿のホテルで「第19回庭野平和賞」贈呈式開催

庭野平和財団(庭野日鑛総裁、庭野欽司郎理事長)の「第19回庭野平和賞」贈呈式が5月9日午前、東京・新宿のセンチュリーハイアット東京で行われました。今回の受賞者は、メキシコで40年にわたりカトリックの司教を務めてきたサミュエル・ルイス・ガルシア師(77)。ルイス師は、メキシコをはじめとする中南米地域で人権擁護活動に携わり、特に、社会的、政治的、経済的な抑圧を受けてきたメキシコ先住民(インディオ)の地位向上、文化復興に取り組んできました。贈呈式では、カルロス・デイカサ駐日メキシコ大使はじめ識者、各宗教の代表者ら200人の出席者が見守る中、庭野総裁からルイス師に正賞として賞状、副賞として顕彰メダル、賞金2000万円が贈られました。

ルイス師は1924年、メキシコ・グアナクワト州のイラクワトに生を受けました。イタリアのローマ教皇庁立グレゴリアン大学への留学を経て、59年、35歳でメキシコ・チアパス州のサンクリストバル・デ・ラス・カサス教区司教に任命されました。
以後、40年にわたり司教を務め、現在は名誉司教。対ラテンアメリカ・キリスト教国際連帯機関「オスカル・A・ロメロ」会長、バルトロメ・デ・ラス・カサス人権センター会長、中米・平和活動諮問機関会長などの要職にもあります。
同州の先住民は、コロンブスによる大陸征服、スペイン支配時代から500年、先祖代々の土地を収奪される一方で、安い労働力として酷使され、貧困と差別に苦しんできました。
ルイス師は「第二バチカン公会議」への参加を機に、先住民の文化を抑圧してきた、これまでの西洋的で画一的な伝道のあり方を反省。現地の歴史、文化、言語などに根ざした形で福音を具体化しようと、先住民の中に入り込み、伝道、社会改革を進めていきました。
74年には、「先住民会議」を開催。先住民グループが課題を共有し、相互協力を図っていく貴重な一歩となりました。同時に、貧困に苦しむ人々のための社会活動プログラムを積極的に展開。その中で、ルイス師は、先住民が、自らの歴史、運命を他人に決定されることなく、「自分たちの歴史の主体」となっていく重要性を訴え続けました。その願いは多くの人々の心に着実に根づいていきました。
94年1月、同州で活動を続けるサパティスタ民族解放軍(EZLN)が、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効に合わせ、武装蜂起。この際、EZLNと政府間の調停役を果たしたのがルイス師でした。以後、「仲介のための全国委員会」の代表として両者の平和交渉に尽力。こうした平和と安定に果たした功績が高く評価され、今回の受賞となりました。
当日の贈呈式では、庭野欽司郎理事長より選考経過報告が行われたあと、庭野総裁からルイス師へ賞状と副賞として顕彰メダル、賞金2000万円の目録が手渡されました。
次いで、あいさつに立った庭野総裁は、先住民の置かれた過酷な状況に触れながら、社会構造の改善に取り組んできたルイス師の活動に敬意を表しました。
続いて、遠山敦子・文部科学大臣(代理)、カルロス・デイカサ駐日メキシコ大使、新田邦夫・日本宗教連盟理事長=教派神道連合会理事長、神道修成派管長=がそれぞれ祝辞に立ちました。その中で、デイカサ大使は「メキシコはインディオの共同体に深い責務を負っております。ルイス司教のご努力と忍耐によって、そのことが社会全体に認識されてまいりました。今、国民の相互理解と正義、平和に献身してこられたルイス司教の業績を目の当たりにできたことを誇りに思います」と述べました。
このあと、ルイスが登壇。記念講演を行いました。
午後からは、同ホテル内で懇親会が開かれ、アムブロゼ・ビー・デ・パオリ駐日ローマ教皇庁大使が祝辞を述べました。

庭野平和賞受賞者 サミュエル・ルイス・ガルシア師記念講演(要旨)

庭野平和賞の受賞者に選んで頂いたことに対し、私は当惑しております。しかし、こうした賞は、死や悲しみ、戦争、暴力に対し、私たちが前向きに迫り行くことを可能にします。沈黙を強いられてきた人々や刑務所に収監されている人々、いのちを守ることに精いっぱいでこの賞の真の受賞者でありながら直接に賞を受けることのできない人々に代わり、私はこの栄誉を受けさせて頂きます。
私たちが未来に託す希望は、実は貧しい人々、すなわち先住民や農民の間から生まれます。彼らは歴史を通して最も重要な変革をもたらした力でもありました。貧しい人々の存在は人間関係を判断するよりどころであり、彼らが人間として尊厳を保ち健康で暮らせることが公正な経済システムの基盤なのです。
本日の受賞を通し、私はチアパスの農村地帯やメキシコ全域の先住民、メスティーソ(混血)の農民など貧しい人々を苦しめている現実に対し、あらためて糾弾の声をあげることができました。同時にこの受賞を通し、彼らが不当に経験させられている貧困の意味を皆さまと分かち合うことも可能なのです。
私の家にパンを売りに来る先住民の若い女性、パスクアラはいつもうつむいて歩いていました。ある日、学校で字を習うことができた彼女は、顔を上げて私に近づくと、自分のノートを見せてくれました。もう劣等感に悩むこともなく、その笑顔は輝いていました。ほかの人には何気ないことであっても、パスクアラにとっては1人の人間として自分を発見する新しい出来事であり、その生活には大きな変化が起きたのでした。
経済や政治体制にとって、貧しい人々は取るに足らない消耗品とされる一方で、歴史はどのような変革も貧しい人々なしには起こり得ないことを示しています。逆説的ですが、貧しい人々は変革の主導者なのです。
私たちがこれから取り組むべき課題は、他者が自分と異なる点を認め、先住民の権利を認めることです。「多様であることの権利」が受け入れられなければ、いくら否定しても人種差別の存在は明らかです。私は、先住民や貧しい人々が、いまやメキシコだけでなくアメリカ大陸全体に対し、変化や出会いの歴史的な機会を与えているのだと信じています。まさにそれは、共に集い、対話をし、無知なる途を正し、貧困の循環を絶つための歴史的機会であります。
貧しい人々が法律の遵守を要求される一方、メキシコの巨大資本家は最低限の道徳義務さえ守っていません。国の天然資源を強大国に運び去る軽率さは、極度の窮境に耐えている人々に対する重大な犯罪であります。こうした悪習はやがて狂気へと向かい、民族間や人間同士のつながりを分断します。繰り返しますが、それが分かるのは貧しい人々のおかげです。彼らは、私たちが他者の尊厳に向き合い、異なる存在として他者を認識することを迫っています。そして私たちが世界を再建し、私たち自身が人間として再生することも強く迫っているのです。
屈辱的な出来事に直面したとき、私たちの良心を揺り動かすのは貧しい人々の姿です。彼らはまた歴史の主導者であり、創造者でもあります。貧しい人々は他人の決定に従って生きることを拒絶し、人間として自分の生きる道を定める主人公になるのです。

(2002.05.15記載)