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2002年06月23日 「故長沼基之特別顧問 お別れの会」、全国会員が感謝の真心を捧げる

立正佼成会理事長などの要職を歴任し、4月7日に78年の生涯を閉じた長沼基之特別顧問を偲ぶ「故長沼基之特別顧問
お別れの会」が6月23日、大聖堂で執り行われました。式典には遺族・親族をはじめ、全国の教会長、教会役員(支部長、六部長)、教団役職者、事業体役職者、退任役職者、外部来賓など合わせて8253人が参列し、哀悼の誠を捧げました。この模様は全国の教会にも衛星中継されました。

長沼特別顧問は1923年、埼玉県北埼玉郡志多見村に12人きょうだいの2男として生まれました。1948年本部支部長、1949年執事、1952年には教団の実務責任者にあたる理事長に就任。以来、42年間にわたり本会の理事長職を務め、庭野日敬開祖、長沼妙佼脇祖、庭野日鑛会長を支え続けました。
一方、新宗連(新日本宗教団体連合会)やWCRP(世界宗教者平和会議)などでも重要な役職に就き、国内外の宗教協力活動に積極的にかかわってきました。また、佼成学園や庭野平和財団でも要職を歴任しました。
1993年に理事長職を退任したあとも、特別顧問として陰に陽に教団の発展に尽力してきました。今年3月1日、大聖堂での「布薩の日」式典で、第19回庭野平和賞受賞者を発表したのが、会員の前での最後の姿となりました。
「お別れの会」は、こうした長沼特別顧問の功績を讃え、感謝の真心を捧げることを目的として実施されました。

午前11時、荘厳なパイプオルガンの調べとともに緞帳が上がりました。聖壇中央には、長沼特別顧問の遺影と戒名『』が祀られています。
開式の辞に続いて、報恩感謝の誠を捧げる「献供の儀」。各教区代表の女性教会役員20人が、香や灯明、花のほか、長沼特別顧問の好物だった日本酒やおはぎ、果物などを供えました。
庭野会長導師による読経供養に続き、追悼回向文の奏上、導師献花が行われました。庭野会長は時折、声をつまらせながら追悼回向文を読み上げ、故人の生涯を讃えました。
映像作品『求道人生--長沼特別顧問の歩み』の上映に続いて、「お別れの辞」。来賓を代表して宮本丈靖・妙智會教団会長が、教団の代表として山野井克典理事長が、会員代表が、それぞれ長沼特別顧問との触れ合いを振り返り、遺徳を偲びました。
献花では、、庭野佳重会長夫人ら教団代表者をはじめ、遺族・親族、来賓、教区長、教会役員など代表合わせて24人が、遺影の前の献花台にカーネーションを供えました。
最後に、庭野会長がお言葉を述べました。冒頭、本会の活動に参加しはじめたころのかかわりに触れ、「何も分からない私を、いつも側で細かく手を取ってくださいました。なかでも、人前に出ることが嫌いだった私を、『かつて私もそうであった』とやさしく教えてくださったことは、本当にありがたい限りでした」と感謝の思いを表しました。
さらに、「開祖さまは1年365日、本部を参拝される人でありましたから、特別顧問さんも開祖を支える理事長役として、365日本部にお勤めされました。亡くなられるまで、仕事一筋に生きた方でした」と長年の労をねぎらいました。
閉式後、参列者は献花を行い、報恩感謝の誠を捧げました。

「お別れの辞」宮本丈靖妙智會教団会長

去る四月七日、私が長沼先生の訃報に接しましたのは、教団行事である釈尊御降誕祭のため、千葉聖地に行っておりましたときでした。
一瞬、例えようのない悲しみと淋しさが私を襲いました。
教団の行事を終えて、待つのももどかしく、十二日、堀の内斎場の先生のもとに参じました。
雨が静かに降る日でした。
皆さまが庭野会長先生導師のもと、一生懸命お経をあげておられました。
私も心を込めて参拝させて頂きました。
長沼基之先生。
法名諦生院法縁基徳信士
先生のご尽力で多くの方々が堅く深い結びの縁を頂きました。先生のご法名に御生前のお徳とお人柄をこめられております。
礎を築かれた先生のご法名を、日々、お唱えさせて頂いております。
五十年にわたる先生とのご縁は、戦後の、まだ混乱の中でした。母、会主(宮本ミツ会主)と、長沼妙佼脇祖さまのお住まい、今のお山にお訪ねしました。脇祖さまは、先生と私に靴下を下さいました。「二人とも若いんだから、しっかり歩きなさい」と、理事長同士、励まし合って、しっかり精進するように、とのお心に感謝し合ったことなど、なつかしい想い出が次々とこみ上げてきます。
脇祖さま、そして庭野開祖さま、ご家族の皆さまと、母、会主、私どもは、親戚のように親しくさせて頂いておりましたが、先生と私は兄弟のように理事長同士、いろいろと相談してやって参りました。
私が新宗連(新日本宗教団体連合会)政治委員長の時、先生は財務委員長で、共に修行して参りました。もっともっと、新宗連の輪を広げよう、そして、WCRP(世界宗教者平和会議)の出来た時も、同じように話し合ったものでした。
亡くなられて今、私は淋しくてなりません。
先生は三年前、私の八十二才の誕生日に、教団においで下さいました。
お祝詞の最後に、「ありがとう基金」の活動をお喜びになって「法華経の教えのもとに、世界平和の為に頑張って下さい」「念願してやみません」とおっしゃられました。その時の励ましのお言葉をいつも思い起こして、私の支えとしております。
このたび5月十日、国連で宗教者を代表して提言させて頂きましたが、先生に「こういうことをやってきました」と報告したかったです。ですが、今、きっと「宮本さん、よく頑張ったね」と、あのやさしい笑顔で先生がおっしゃって下さっていること、分かります。同志としてお互いに、教団の今日までの半世紀の道のりをいろいろと励まし合って参りました。
諸行無常と申しますか、声を聞こえない、姿も見ることが出来ない、この淋しさ、いろいろ思い起こすと、私はとてもつらく、悲しく、話すことができません。
長沼先生、ありがとうございました。
お別れの言葉といたします。

「お別れの辞」山野井克典立正佼成会理事長

本日、ここに「故長沼基之特別顧問 お別れの会」を執り行うに際し、教団を代表して謹んで哀悼の辞を捧げさせていただきます。

長沼特別顧問さんは「執事さん」と呼ばれた時代から四十数年にわたる長い年月、教団理事長の大役をお務めくださいました。
その間、多大なご苦労がおありだったと思います。しかし、「大役を無事に果たすことができるのは、ひとえに神仏のご加護を賜り、開祖さま、脇祖さまから頂戴した教えのおかげさま、また、教団内外の多くの皆さまのご協力をいただくおかげさま」と、「すべておかげさま」という気持ちを常に貫いておられました。そのお姿に、私たち後輩は、真心と誠意、勇気と誇りをもってお役を果たす大切さをかみしめています。

「謙虚さ」ということも、長沼特別顧問さんを思い起こすときの大事な言葉です。
長沼特別顧問さんの「謙虚さ」は、単なる礼儀作法やマナーとしてのものではなく、佼成会の教えと信仰に裏打ちされた生活実践の中からにじみ出るものでした。
人さまの前に出ることが苦手だった特別顧問さんは、ある日、脇祖さまから「おまえには謙虚さが少しもないね。一見下がっているようだけれど、それは引っ込み増上慢というんだよ」と厳しいご指導をいただき、しばし震えが止まらなかったとうかがいます。以来、特別顧問さんは、表面的に形の上だけで下がるのではなく、信仰者として、前向きに、積極的に下がることが本来の謙虚さであることを肝に銘じられ、「本当の謙虚さ」を日々、実践されたのでした。

草創期において、本部修養道場のトイレを率先して清掃されたのも、その表れと思わせていただきます。「喜んで陰役をし、陰徳を積める人は、どこにいても人さまのお役に立つことができる本当の信仰者です」と話され、陰役の大切さを身をもってお示しくださいました。
教団の運営においては、「会員さんのためになり、社会に貢献できる活動」を目指し、「創造性を発揮して、いつも新鮮、新しく」をモットーとされていました。

信条とするところを「求道」と「精進」の二つに定めておられたことも、お人柄を表していたと思います。
「求道」はだれからも学ぶということ、「精進」は、善いと思ったことはすぐに実践し、継続するという点で、いずれも開祖さまのお姿を象徴されていました。そして、日常の平凡な事柄の中にも「求道」と「精進」の本質を見いだして人知れぬ努力を重ねておられました。
また、新聞やテレビから世の中の日々の動きを学び、さまざまな事象や仏教書などで仏教の理解を深めておられたことも、「求道」と「精進」の実践であったと拝察いたします。努力の人であったことも、多くの人の知るところです。

小学校を卒業してすぐに、脇祖さまが営む「埼玉屋」に奉公されてからは、毎日、新聞をよく読み、脇祖さまがとっておられた雑誌を精読して、いろいろな知識を身につけたとうかがいます。書道と囲碁とゴルフを趣味とされましたが、中でも書道は五十歳の頃、通信教育を申し込んで、こつこつと学ばれました。
宗教者にとって大事なことは、戒めを持ち続けることと教えていただきますが、長沼特別顧問さんは終始一貫戒めを保ち続け、ゆっくりと一歩ずつ踏みしめて歩むことの大切さを示してくださいました。

私は、教団理事長職を拝命するに際して、逡巡しているときに「大丈夫。一生懸命にやっていれば、助けてくれる人が現れるものだよ」と、特別顧問さんが開祖さまからいただいたご指導をお分けくださり、励ましてくださったことを思い起こします。
そして、小柄なお体で皆さんの先頭に立たれて、きびきびと率先して歩かれていたお姿、三月に入院される直前まで、公務を終えられて法輪閣からご自宅への道を一歩一歩踏みしめて帰られるお姿が浮かんでまいります。

立正佼成会の歴史と共に歩まれた一人の信仰者としての長沼特別顧問さんの生き方が、私たちの精進の大きな支えとなり、目標となり、いろいろなことを学ばせていただけると信じます。
私も長沼特別顧問さんに教えていただいたごとく、一歩一歩着実な歩みをして参りたいと思います。
私たち会員は、開祖さま、脇祖さまの教えを実践してこられた長沼特別顧問さんのお姿を顧み、精進することをお誓いして、お別れの言葉とさせていただきます。
長沼特別顧問さん、永い間、本当にありがとうございました。

長沼基之特別顧問のあゆみと年譜

長沼特別顧問のあゆみ

昭和27年、立正交成会理事長に就任。以来、42年間にわたり実務の責任者として会を支えた(昭和27年2月3日 旧本部=写真中央が長沼特別顧問=)

昭和31年9月12日、長沼妙佼脇祖とともに神奈川県鎌倉市にある竜口寺の「お会式」を見学。愛用のカメラでその模様を撮影した

昭和33年6月8日、庭野開祖の初の海外視察に同行し、「ブラジル日本移民50年祭」に出席。この旅が海外布教のあり方、大聖堂の設計に大きな影響を与えた

教会道場や地域道場、法座所などを精力的に訪ね歩き、現場の会員たちを激励した(昭和58年4月30日、釜石教会宮古法座所)

「第1回庭野平和賞」の受賞者、ヘルダー・P・カマラ師に同行し、ニューヨークで開催された対話集会や講演会などに出席。庭野平和財団理事長の立場から、世界の宗教者の平和活動を支え続けた(昭和58年4月)

ポーランドで開催された「世界諸宗教者平和を祈る集い」(主催・聖エジディオ共同体、ポーランド・カトリック教会)に出席。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に謁見した(平成元年9月2日)

お山(長沼妙佼脇祖旧私邸)で行われた学林特別講義で講師を務める。約60人の学林生を前に、本会創立の目的や歩み、長沼妙佼脇祖の人柄などを語った(平成2年6月18日)

ハンブルグで行われた「第27回IARF(国際自由宗教連盟)世界大会」に、本会使節団名誉団長として出席。6万人が命を奪われたといわれるナチ強制収容所で、一人ひざまづき犠牲者の御霊を供養した(平成2年7月)

『立正佼成会、きのう・きょう・あした』をテーマに庭野開祖と対談。「最高のパートナー」として会を導いてきた二人の話は、布教活動の思い出や会員育成への情熱など多岐にわたった(平成6年6月6日、東京・奥多摩の「水香園」で)