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2004年12月03日 ゆめポッケ配布先決定

今年の「ゆめポッケ・キッズキャンペーン」(6月1日~8月31日、主管・青年本部、外務部)で全国から寄せられたポッケの配布先がこのほど同運動推進委員会から発表されました。5万2958個のポッケは英国・北アイルランド、レバノン、パレスチナ(ガザ地区、ヨルダン川西岸地区)、アフガニスタン、スリランカのほか、新たな配布先としてアゼルバイジャンにおくられます。今後、現地との調整など準備が整えられ次第、各地に発送されます。

「ゆめポッケ・キッズキャンペーン」は小・中学生による平和活動の一環として、1999年に開始しました。紛争や対立などによって心に深い傷を負った世界の子供たちにおもちゃや文房具をおくる同キャンペーンは今年で6年目を迎えました。
米国同時多発テロに端を発した米英軍によるアフガニスタン攻撃、イラク戦争、イスラエルとパレスチナの武力闘争など国際情勢の悪化に伴い、多数の子供たちが犠牲となりました。現在も紛争地の子供を取り巻く環境は厳しく、激変する世界情勢に鑑み、同推進委員会は配布先の検討を重ねてきました。同キャンペーンがスタートして以来、対象としてきた旧ユーゴスラビア地域への配布を終了。英国・北アイルランド、レバノン、パレスチナ、アフガニスタン、スリランカへの配布を継続し、今年は新たな配布先としてアゼルバイジャンが加わりました。同国内では、チェチェン紛争で難民となった大勢の人々が厳しい生活を強いられています。戦禍によって心に深い傷を抱えたチェチェンの子供たちに、現地NGO(非政府機関)のハイヤットを通じてポッケが手渡される予定です。
なお今年のゆめポッケは教区ごとに次の地域(受け入れ団体)におくられます。
▼アゼルバイジャン(ハイヤット)北関東教区
▼アフガニスタン(ジェン)北海道、神奈川、北九州教区
▼英国・北アイルランド(コリメーラ共同体)奥羽、南九州教区
▼スリランカ(サルボダヤ)中国教区
▼パレスチナ・ガザ地区(国連パレスチナ難民救済事業機関=UNRWA)甲信、中部、近畿教区
▼パレスチナ・ヨルダン川西岸地区(UNRWA)千葉、静岡、北陸教区
▼レバノン(UNRWA、社会福祉と職業訓練のための全国協会)東京、多摩、東北、新潟、埼玉、四国教区

チェチェンの子どもを支援する会 鍋元トミヨ代表インタビュー

「ゆめポッケ」の新たな配布国として今年からアゼルバイジャン共和国が加わりました。配布対象となるのは、ロシアとの激しい戦争によって、チェチェンからアゼルバイジャンに逃れてきた難民の子供たちです。厳しい生活を送る子供たちの現状について、国内の協力団体「チェチェンの子どもを支援する会」の鍋元トミヨ代表に聞きました。

――チェチェン難民の生まれた背景を教えてください
アゼルバイジャンは、カスピ海の西側、ロシアの南隣に位置しています。かつて旧ソ連を構成していた15共和国の一つで、1991年、ソ連崩壊に伴い独立しました。この国にチェチェンから大量の難民が流れ込んできたのは、第二次チェチェン戦争の初期(1999~2000年)でした。
ソ連が崩壊した91年、チェチェンも独立を宣言しました。しかし3年後の94年には独立を認めないロシアの軍事侵攻が始まりました。96年に終結したものの、再び99年に戦争が始まり、多くの民間人が犠牲となりました。家々は山村に至るまで爆撃を受け、人々は着の身着のままで第三国に逃れました。アゼルバイジャンには現在、約1万人が生活しています。

――人々はどのような生活を送っているのでしょうか
アゼルバイジャンに逃れた「チェチェン難民」の大多数は、実際には「難民」として認定されていません。不法に入国した「移民」とされており、公的な支援はほとんど受けられない状況です。国自体の失業率が高く、当然チェチェン人に仕事はありません。かろうじて国連からの生活保護を受けて生活していますが、大半を家賃に費やし、貧しい生活を続けています。食事はパンやじゃがいもだけのことが多く、栄養状態も非常に悪化しています。

――子供たちの現状はどうですか
非常に厳しい状況に置かれています。特に教育面は深刻です。アゼルバイジャンに流れてきた当初、子供たちは公立学校に入ることができました。しかし、2000年春、突然、チェチェン人の排斥が始まり、「チェチェン人は今すぐ席を立って学校から出て行きなさい」と追い出されてしまったのです。3年後に国連の働きかけで入学が許可されたものの、この間、子供たちは学校に通っていないため授業についていける学力はありません。チェチェン人はもともと教育水準が高い民族で、子供たちも「勉強したい」という意欲を強く持っています。学力不足で入学できなかった子供はチェチェン人自主運営の寺子屋などで補習を受けています。私たちの会はこのような寺子屋に日本の市民からの支援を届けています。
子供たちに将来の夢を聞くと「医者」「教師」「ジャーナリスト」などと答えます。虐げられてきたチェチェン人の役に立ちたいと願っているのでしょう。

――「ゆめポッケ」に何を期待されていますか
チェチェンの子供が私たちの団体に寄せてくれた手紙に次のようなことが書かれています。『他の民族が私たちのために心配してくれていることが分かるだけでとてもうれしく感じます』。チェチェンの子供たちは、この10年間、国際社会から見捨てられてきたので他の民族との間に孤立感を感じているのですが、日本のことはよく知っています。日露戦争をはじめ、サッカーワールドカップでロシアに勝った国、IT最先端の国......。日本の子供たちからプレゼントが届いたらどんなに喜ぶことでしょう。
「ゆめポッケ」とはロシア語で「メショーチク(小さな袋)メチティ(ゆめ)」。小さなポッケがチェチェン難民に生きる希望と幸せを与えてくれることを願っています。

【チェチェンの子どもを支援する会ホームページ】
http://www7.plala.or.jp/deti-chechni/

(2004.12.03記載)