News Archive

2005年11月03日 「開祖庭野日敬生家落成式典」挙行

「開祖庭野日敬生家落成式典」が11月3日、新潟県十日町市菅沼のご生家建立地で盛大に行われました。新潟県知事・泉田裕彦氏、地元来賓、本会から庭野日鑛会長、佳重夫人はじめ山野井克典理事長、教団役職者、新潟教区の教会長、会員代表らあわせて約250人が参集しました。ご生家復元は、「開祖生誕100年記念事業」の一環。式典では、庭野会長を導師に読経供養が行われ、秀島康郎・生誕地道場長(十日町教会長)が建設経過を報告。施工業者に感謝状が贈られたあと、庭野会長が法話を述べました。続いて、泉田知事が祝辞を、山野井理事長が謝辞をそれぞれ述べました。


ご生家復元が理事会に承認されました。

庭野開祖のご生家復元は、「開祖生誕100年記念事業」の一つである「ご生家復元と生誕地での人づくりプログラム開始」の一環として行われたもの。平成14年3月、教団理事会の諮問機関として「開祖さま顕彰のための人づくりプロジェクト・菅沼地域整備検討部会」が発足し、研究・開発が進められました。
庭野開祖を直接知らない世代、後世の会員に庭野開祖の人柄をより知ってもらうため、庭野開祖が実際に過ごした時代の菅沼を忠実に再現する必要性が確認され、平成15年2月、ご生家復元が理事会に承認されました。
施工業者には、カールベンクス&アソシエイト(有)を選定。代表取締役を務めるカール・ベンクス氏は新潟県在住のドイツ人で、日本の古民家に造詣が深く、同県魚沼地方に多く見られる「中門造り」の専門家でもあります。平成15年10月、菅沼地区代々の区長に引き継がれてきた「区長箪笥」の中から庭野開祖在往時の登記簿が発見され、建て坪32坪、2階建てというご生家の間取りが明らかになりました。
また、東頚城郡松之山町(現・十日町市松之山町)の山間地で、登記簿に記されたご生家と同規模で造作の類似した築200年の古民家が発見され、解体して建材とされました。さらに今年3月、これまでご生家と称してきた旧庭野欣三邸を北北東へ18メートル移動した際、井戸の跡が発見されました。井戸の位置に合わせて建築したことによって、建物の位置も忠実に復元されました。
一連の経過と並び、全国の会員2000人以上が、屋根に使う葦(よし)約17トンを青梅練成道場の敷地内などで刈り取り、また、1本1本に菩薩行実践の決意や世界平和の願いを書き込みました。地鎮式が今年4月に、上棟式が7月に行われ、10月31日に「ご本尊安置式」が行われました。
式典では、読経供養のあと、秀島道場長が建設経過を報告。ご生家復元は、1.携わる人 2.プラン・図面 3.建築資材――がそろって初めて可能になるとして、3点それぞれの経緯を説明し、「神仏の尊いおはからいと、数え切れないほど多くの皆さまのお力によって落成を迎えることができました」と話しました。
続いて、庭野会長が法話に立ち、落成に際して「私たち会員全員が喜んでいるところです」と、来賓、関係者にあらためて謝意を表しました。さらに、小学校時代から10年間を菅沼で過ごし、その中で田植えや稲刈りをした経験に触れながら、「生家では今後、訪れた会員、特に青少年が、庭野開祖の経験された生活を体験し、自然の恵みに触れ、開祖のことを偲んで頂きたい。生家復元が、青少年の育成につながることを大いに期待しております」と述べました。
祝辞を述べた泉田知事は、新潟県中越地震に対して国内外から支援をもらう中で、テレビでマイクを向けられる県民が感謝の気持ちを表したことに触れ、「感謝の気持ちを育む原点がこの地にあり、開祖さまの気持ちの中にもあったのではないか」と話しました。
さらに、アメリカを襲ったハリケーンやパキスタン地震への支援とともに、県内の一日も早い復興を表明。「感謝の気持ちを、また、争いをなくし平和な社会をつくる心を、生誕地をあずかる立場として後世に伝え、広げる努力をしたい」と使命感を吐露しました。
最後に、山野井理事長が謝辞を述べたあと、庭野会長の手によりナンテンが記念植樹されました。

(2005.11.11記載)