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2006年02月08日 中央学術研究所が『ジャイナ教についての実地調査』報告会を開催

『ジャイナ教についての実地調査――釈尊の生活と教団組織を知るために』と題した中央学術研究所の調査報告会が2月8日午後、事務庁舎で行われました。教団役職者ら25人が出席。中島克久所員が発表に立ちました。

調査は同研究所が平成6年から進めている「原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究」(研究代表者=森章司・東洋大学教授)の一環として行われました。中島所員は、東洋大学の岩井昌悟講師と共に昨年9月7日から10月5日まで、インドを訪れ、ジャイナ教のディガンバラ(空衣、裸形)派の出家生活者とそのサンガを調査しました。
ジャイナ教は仏教とほぼ同時代にマハーヴィーラによって完成されました。仏典にはニガンタ・ナータプッタの名前で記され、「六師外道」と言われる自由思想家の一人とされます。殺生を戒め、出家者は無所有を守るために身に一糸もまとわないなどの修行形態を重んじました。ジャイナ教はやがて分派しますが、調査対象となった空衣派の出家者は今も成立当初の教えを厳格に守り、「裸形であること」「手を鉢にすること」といった生活様式を続けています。一方、1年を大別して「遊行」期と「雨安居」期の生活スタイルをとることなどは、南方上座部仏教と同様です。
報告の中で中島所員は、もともと雨安居の制度や布薩の行事が当時の他宗教の習慣であったものを仏教が取り入れたものであると指摘。「おそらく最初期の釈尊教団は、ジャイナ教をはじめとする当時の諸宗教の出家者と共通する生活様式を持っていたと考えられる。ジャイナ教を調査することは、文献に記されていない最初期の釈尊の生活や教団の有りようを知る上で貴重な材料になる」と調査の目的を示しました。
今回の調査で、特に印象深かった点として、50人の出家者のために地方から集まった100家族もの在家信者が施食の権利を得ようと競い合っている光景をあげ、「釈尊とその弟子が多くの信者から施食を受ける場面を想起させられた」とも語りました。
一方で相違点にも言及。手を鉢にし、裸形である空衣派の出家者の生活様式に対し、釈尊が成道後の最初の施食に際し、「もろもろの如来は手では受け取らない」とされていること、仏教では「裸形」を禁止し、「水浴時ですら衣を脱がない」などの習慣を説明しました。
こうした事柄を踏まえ、中島所員は「初期の釈尊教団は、同じ沙門主義より生まれた他宗教との差別化を図っていく過程にあった」とし、「その生活様式をしだいに差別化していくことで、仏教が仏教になった」と説明しました。また「仏教が異端(外道)として周縁に遠ざけたものを見える状態にしておくことも、釈尊と弟子たちとその教団を生き生きと描く上で重要」と結びました。

(2006.02.17記載)