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2006年04月24日 「第2回仏教とキリスト教シンポジウム」討議要旨

『仏教のダルマ・慈悲と、キリスト教の愛・アガペ』をテーマにした『第2回仏教とキリスト教シンポジウム』が、4月24日から27日まで大阪教会、比叡山延暦寺を会場に開催されました。シンポジウムでは、仏教の慈悲、キリスト教の愛を基調に、6つのセッションを通してそれぞれの宗教の教義や信仰者としての生き方、社会とのかかわりなどについて討議を重ねました。

セッション1
『キリスト教・仏教における和――個と全体』

小林隆彰・天台宗国際平和宗教協力協会顧問(小林祖承・天台宗総務部長代読)、カラン・スリッパー・英国聖公会司祭の2人が発表しました。
小林師は、個の悟り、個の救済から生まれたものが仏教であり、個々の心が平和になるための宗教であると説明しました。その上で
個と全体は切り離して考えられず、自己が体得した和の精神を他に伝え、和の社会、すなわち仏国土をこの世に顕現していこうとするのが仏教であると強調し、「すべてのものは平等に特長を発揮して、相互に扶助しつつ生きていることに気づき、慈愛の心で生活することが大切」と述べました。
スリッパー師は、「人は個人では生きられず人間の関係の中にあってこそ存在できる。人は社会に奉仕するために、社会は個人に奉仕するためにそれぞれ存在する」との見解を示し、こうした関係は、神、イエス・キリスト、精霊という3つのペルソナ(位格)が互いに自分を与え合い一致するという「三位一体の原則」にかなっていると説明しました。さらに、「自分を無にして他者のために生きることが最大の自己実現につながる。なぜなら、人は皆唯一の存在であり、その人だけが持つ価値は、他者に与える過程で浮き彫りになるものだから。大切なのは、互いに仕え合うこと」と語りました。
これを受けて行われたディスカッションでは、調和の世界を実現するために愛や慈悲を実践に移す大切さが確認されたほか、参加者から「自分の不完全さを見つめ、欲望を抑え、個人を乗り越えたところに神仏の世界も実現する」といった意見が出されました。

セッション2
『キリスト教・仏教における他者』

「法華経における他者の問題」について発表した篠崎友伸・本会学林学長は、自己の覚り(救い)とは、死すべき有限な自己が永遠のいのちに目覚めることであり、その覚りの世界は、自己と他者の関係を一元的あるいは二元対立的にとらえる見方から離れた、諸法がそのまま実相である世界と説明しました。また、仏眼によって六道の衆生を見た釈尊が、苦海に没した衆生に慈悲心を起こした体験を紹介し、「仏の覚りと一切衆生への慈悲心は分かちがたく結びついている」と指摘。「法華経では、本当の覚りは他者の覚りと共にある。自己の覚りへの過程は他者への慈悲、そして、他者の救済を祈る主体へと変身する過程にあると思う」と述べました。
続いて、ジェラール・ロッセ・フリブール宗教学院教授が発表しました。ロッセ教授は、「人間は神にかたどって創造された」という旧約聖書の冒頭部分を紹介し、この真理は他者が自分と同じ尊厳を持つことを伝えるものと解説。「人間は本来的に他者との関係性の中で生きるものであり、人間は皆、交わりによる一致に招かれるという創造主の神聖な計画の中にいる」と述べました。さらに、イエスが語る「隣人」とは、国や宗教が同じだとか、また善人だからということで決まるのでなく、自分が手を差し伸べる相手がすべて隣人になると説明し、「イエスはすべての他者を自分の隣人にするように招いている」と述べました。
これを受け、参加者からは、「神を信じるなら隣人を愛さずにいられない」「他者と分かち合うことで自分もより豊かになる」「愛は与えることでより美しくなる」などの意見が出ました。

セッション3
『信仰と社会生活』

竹内日祥・日蓮宗妙見閣寺代表役員、セルジョ・ロンディナーラ・ローマ教皇庁立サレジオ大学教授(同グレゴリアン大学教授)が発表しました。
竹内師は、現代社会を支配する近代思想は人類に恩恵を与える一方、重大な危機をもたらしたと指摘しました。中でも、社会的な連帯や規範が失われ個人の欲望に歯止めが効かなくなる「アノミー現象」を取り上げ、その原因は、家族をまとめ、子供に文化、伝統、規範を教えるという「父性」の権威が失墜したことにあると言明しました。続けて、「父親が真の父性を発揮するためには、自分の中にある罪深い自己を信頼できる自己へと回帰させなければならない。神仏を受け入れられたときに人は初めて自己を心から信頼でき、人をも信じることができる」と結論づけました。
一方、ロンディナーラ教授は、人類の深刻な危機として環境問題に焦点を当てました。同教授は、自然の尊重と人間の創造力は対立関係にあるとの認識を示したあと、神の「創造」について論述。神は愛ゆえに自分以外の「他者」をつくり、その中に神自身を与えたとした上で、「自然も神の愛を表す場であり神の賜物である」と述べました。また、人間には神と同じように愛をもって自然を大切に扱う使命があると指摘。環境問題で重要なのは「持続可能性」の概念であることを示し、「環境」「経済」「社会」の分野で普遍的兄弟愛によって富を分配することで環境危機を避けることができると述べました。
討議では、社会生活に宗教精神を取り入れる大切さなどが焦点となりました。

セッション4
『社会生活におけるモラルの復興――アガペ・ダルマと現代』

宮本けいし・妙智會教団理事長が発表しました。モラルとは人間としてのあるべき生き方、振る舞い方であると定義づけたあと、その生き方、振る舞い方は人や社会との相互依存関係の中で考えられるものと説明。伝教大師最澄が示した「忘己利他」の教えを紹介し、己を忘れて他を利する慈悲の精神こそ「人間が人間としていかに生きていくか」の根源であると述べました。
その上で、モラルを守るために法規制を強化しようとする動きは逆にモラルの低下を招くとの危惧を示し、外的要因ではなく内的に自分自身を変える大切さを強調。その実践徳目として仏教の「八正道」を示しました。
続いて発表したジュディ・ポビルス・フォコラーレ運動ソフィア文化研究会副代表は、家庭の大切さ、いのちの尊重、正直さ、公正さなど宗教的伝統の中でたたえられてきた美徳が低下している現状を憂いた上で、「キリスト教のアガペ(愛)は、積極的、普遍的で、見返りを求めない無償の愛であり、あらゆるモラルを包含する」と語りました。
さらに、モラルの低下で特徴的に見られるのは精神的な冷たさであるとし、「自分を無にし、人に心を向けて生きる時、空虚な心は愛で満たされます。人を愛することで新たなレベルのモラルが自分の内に生まれ、アガペの愛の実りとして、より人間らしい世界が築かれるのです」と述べました。
ディスカッションでは、「外から与えられたものでなく、自分の内から発したモラルこそ実効性がある」「生きとし生けるものにはすべて仏性があり価値ある存在であるとの認識がモラルの基底にあるものではないか」といった意見が出ました。

セッション5
『信仰と苦』

チュラロンコン仏教大学のプラマハ・ブンチャイ学長と、ナタリア・ダラピッコラ・フォコラーレ運動諸宗教対話センター共同所長(同センターのクリスティーナ・リー氏代読)が発表を行いました。
ブンチャイ学長は冒頭、「苦しみを取り除く道は、私たちを真の幸福へと導く」と述べ、苦の克服こそが仏教の説く幸福と定義した。その上で、苦しみを消滅させ、さまざまな困難や悪条件から解放されるために、人間の正しい生き方を示した「八正道」を実践すると共に、物事は絶えず変化して移り変わるという無常観を認識し、苦しみもまた永続するものではないと受け止めることが大切と語りました。
また、仏教では、苦しみに服従するのではなく、苦の原因や解決への手段を探求するよう説かれていると述べ、「苦が滅却した状態に至ることが仏教の最大の目的」と語りました。
一方のダラピッコラ共同所長は、キアラ・ルービック・フォコラーレ運動会長の言葉を引用しながら、キリスト教による苦しみのとらえ方を説明。「苦しみは、常に聖なる尊いもの、神様にとって大切なもの」と述べ、たとえ苦を受容することが感情的に困難であっても、「すべての苦しみは、(十字架上で)見捨てられたイエスの姿にほかならない」と悟り、イエスを愛すように苦を愛し、望むことが大切と強調しました。
さらに、「神様は、苦しみを愛に変えてくださる」と述べた上で、予期せぬものも含め、すべての苦を受け入れていく行為こそが、キリストへの愛につながると説明しました。

セッション6
『現代における諸宗教対話の役割』

安田暎胤・薬師寺管主とフォコラーレ運動諸宗教対話センターのポール・ルマリエ氏が、諸宗教対話の役割について語りました。
安田師は、「すべての宗教は心の安らぎを求め、平和を願うもの」と述べ、まずは宗教指導者が平和の実現に向け、他の宗教に対して寛大に接する範を示すことが不可欠と主張しました。その一方で宗教指導者には、自分が所属する宗教に対して強いこだわりがあり、信仰の深さゆえにかえって視野が狭くなり、排他的になる危険性もあると指摘。「互いに相手の立場や思想、信仰を尊重してこそ平和が訪れる」と述べました。
また、仏教では誰にでも自己中心的な煩悩を抑え、他のために生きようとする仏性があるとし、「世界平和に向け正しい心づくりから始めなければならない」と述べ、宗教的情操に基づいた教育が宗教対話で果たす重要性を強調しました。
ルマリエ氏は冒頭、対話は対立でなく、共に発展しようとする人間の尊厳に対する深い尊重の態度と定義。対話では、一つの共通したテーマに関する体験を分かち合い、語り合うことが重要と指摘しました。また対話を進める中で、「宗教者が同じ"人類家族の一員"であると認識することで、連帯が生まれるのです」と語りました。
さらに、自己の欲や都合を優先するのではなく、相手に目を向け、寄り添おうとする愛が相互理解を促進させ、諸宗教対話において大きな役割を果たすと述べました。
ディスカッションでは、自己の欲望や煩悩が抑制され、消滅した状態にある〝無の精神〟で対話に臨むことが、宗教協力につながるとの認識で一致しました。

(2006.05.19記載)