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2006年05月11日 「第23回庭野平和賞贈呈式」ラバイズ・フォー・ヒューマンライツに

庭野平和財団(庭野日鑛総裁、庭野欽司郎理事長)の「第23回庭野平和賞」贈呈式が5月11日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で行われました。今回の受賞者(団体)は、イスラエルの人権擁護団体「ラバイズ・フォー・ヒューマンライツ」(RHR=「人権のためのラビたち」の意)。RHRはユダヤ教聖職者「ラビ」たちの有志によって設立されました。隣人への愛・正義・慈悲を求めるユダヤ教の教えに基づき、パレスチナ人の人権問題を中心に宗教や民族、性別による差別を解消するため、教育啓発や社会福祉、諸宗教対話などの活動に取り組んできました。ユダヤ教からの受賞は初めてとなります。贈呈式ではエリ・コーヘン駐日イスラエル大使、山北宣久・日本宗教連盟理事長=日本基督教団総会議長=はじめ200人の識者、宗教者らが見守る中、庭野総裁からRHRのラバイ・マアヤン・ターナー運営委員会議長ら代表3人に賞状と副賞の顕彰メダル、賞金2000万円(目録)が贈られました。

RHRは1988年に設立されました。前年末にイスラエルでパレスチナ人による大規模な抵抗運動「インティファーダ」が起き、それに対するイスラエル軍のパレスチナ人への弾圧行為や深刻な人権侵害が設立のきっかけとなりました。"敵"扱いされている罪なき人々の苦悩に対し、国内の多くの宗教指導者はじめ市民が無関心であることへの反発が根底にあったとされています。
以後、「すべての人間の尊厳」というユダヤ教の教えの根幹を組織の基盤に据え、パレスチナ人の人権問題を中心に、外国人労働者やエチオピア系ユダヤ人の権利の回復、女性の地位向上、社会的弱者の救済に尽力。民族や宗教、出身地、性別を問わず、あらゆる人の権利と尊厳を保障する人権規定の制定を訴えてきました。
国内に国家主義的なユダヤ教の解釈が広まる中、「真のユダヤ教の伝統とは、異邦人や貧しい人々の側に立つことだ」と主張し、正統な伝統である人道主義の教えを市民に広めることを大きな任務としています。彼らの行動は、「隣人への愛・正義・慈悲を求めるユダヤ教の教えに従うことが、そこに住むすべての人々により大きな治安と安全をもたらす」という宗教的信念から生じています。
ユダヤ教の改革派、正統派、保守派、再建派から宗派の違いを超えて130人以上のラビとラビを目指す学生たちが名を連ね、多くのイスラエル市民がボランティアとして活動に協力。現在は「教育」「非暴力フィールドワーク」「諸宗教間対話」「法的活動」の4分野を中心に活動を行っています。
当日の贈呈式では、庭野平和賞委員会のグナール・スタルセット委員長=ノルウェー国教会前オスロ主教=により選考経過が報告されたあと、庭野総裁から賞状と副賞の顕彰メダル、賞金2000万円の目録が手渡されました。
次いで、庭野総裁があいさつ。小坂憲次・文部科学大臣(結城章夫・同事務次官代読)、エル・コーヘン駐日イスラエル大使、山北宣久・日本宗教連盟理事長が祝辞を述べました。この中で、山北理事長は「平和について論じる者は少なくありません。平和を願う人も実に多くいます。しかし、現実に平和をつくり出す人は必ずしも多くないのです。『ラバイズ・フォー・ヒューマンライツ』の成し続けておられる平和をつくり出すための働きは、全世界の人々に人間の尊厳を取り戻させるものであります」と賛辞を送りました。
このあと、RHRのラバイ・マアヤン・ターナー運営委員会議長が登壇。記念講演に立ち、平和的手段によって和解と公正な社会を実現しようとする宗教的信念と行動を語りました。
なお、RHRの代表者は10日、本会を訪れ、大聖堂での「脇祖さまご命日」式典に参列後、法輪閣で庭野総裁と記念対談を行いました。

第23回庭野平和賞受賞記念講演(要旨)
ラバイ・マアヤン・ターナー運営委員会議長

「ラバイズ・フォー・ヒューマンライツ」はヘブライ語で「ショムレイ・ミシュパ」(正義の後見人)という意味で、旧約聖書の預言者イザヤによる「正義を守り、常に正しく行うものは幸いである」という言葉に由来しています。
伝承によると、ある王様が二人の忠実な助言者を呼び、それぞれに1ブッシェル(穀物計量単位、約35リットル)の小麦を与えてこう言いました。「私は長い旅に出るから、戻ってくるまで小麦を守ってほしい」。すると、一人はすぐさま、頑丈な箱を作らせ、慎重に小麦を入れて特別な黄金の鍵をかけ、鍵を肌身離さず抱えていました。一方、もう一人は小麦から種を取り出して、いくらかを蒔き、残りを小麦粉にしました。王様が戻ると、二番目の助言者は焼きたてのパンを差し出して王様を迎え、豊かに実った黄金色の畑を見せることができました。一方、一番目の助言者は王様から受け取った小麦を差し出すことしかできなかったのです。
ラビの仕事は法律や儀礼を厳格に守り、祝祭や記念行事を行い、祈りを捧げることで初めて成し得ると信じる人が数多くいます。しかし、それだけではユダヤ教を守ることはできません。それでは1ブッシェルの乾いた小麦を保存するのと同じです。
勉強の大事な点は行動の仕方を教えることにあります。ユダヤ人がユダヤ人として生きるためには、集団やコミュニティが欠かせません。人と人との触れ合いは、実りをもたらす黄金色の畑です。聖書をはじめユダヤ教の教典は、多くの場所で仲間の人間に対してどう振舞うべきかを教えています。ユダヤ教の教えは家にこもって勉強し、祈りを捧げることではなく、自らのコミュニティや国、世界全体の活動に積極的に参画することによって最もよく保たれるのです。
後見人としての私たちの職務は、行動によるものでなくてはなりません。それこそが大きな力であり、また課題でもあります。貧困に苦しむ人々、失業者、高齢者、病人にとって不利な経済政策に対してはロビー活動を行い抗議します。経済政策による悪影響を受けている社会的弱者が自らを助け、まわりの人々を助けることができるよう働きかけます。一部のユダヤ人がユダヤ教はユダヤ人だけの権利、とりわけイスラエルの土地をユダヤ人だけの権利であると考え、暴力でパレスチナの農民を脅かしている時は、パレスチナの農民に付き添って彼らの農地まで一緒に行きます。彼らに権利が与えられ、遵守されるよう法廷に訴えもします。さらに、私たちは住宅を再建し、樹木を植え直します。テロによる犠牲者を見舞い、人道的な援助に取り組み、そして議論し、再び考えるのです。私たちは共に行動し、学ぶことを通じて、ユダヤ教による正義の価値と全人類の平等を守っていかなくてはなりません。それこそが「ショムレイ・ミシュパ」が意味するものです。
神は私たちに平和を求め、それをどこまでも追求するよう命令されています。他人の喜びだけでなく、悲しみも分かち合うよう期待されています。神は私たちに環境と自分自身を変える力を与えられました。神のパートナーとして世界を修復する努力なしに、打ちひしがれた国家と世界を癒したまえと、ただ単に祈るだけではいけないのです。
ユダヤ教の伝統は、人間の命は計り知れないほど貴重であり、一人の人間の生命を救うことは世界全体の救済に匹敵すると教えています。なぜなら、聖書にあるように神によって人間が創造され、最初の人間がすべての人間の始まりだからです。その人間は神の姿に似せて創られたために、神のような魂と失われることのないきらめきを有し、人種、性別、信仰、能力の違いに関係なく、すべての子孫、つまり一人ひとりの人の中に受け継がれていることを私たちは知っています。
生命は、生命の源である神が与え給うた最も大切な贈り物です。私たちは何よりも生命を聖なるものとして大切にし、生命が富み栄える社会をつくる力となれるようこの身を捧げます。この庭野平和賞を悩み苦しむ人たち、人権侵害の犠牲者たちに捧げ、このたびの表彰が与えてくださった力を精いっぱい彼らのために使ってまいります。
そして、私たちにこの神聖な仕事をする機会と力を与えてくださった神に感謝を捧げ、祈らなくてはなりません――「ウマアセ・ヤディヌ・コネナ・アレイヌ」(われらが働きを不動のものにならしめたまえ)。

(2006.05.19記載)