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2006年05月12日 「庭野平和財団シンポジウム2006」開催

「庭野平和財団シンポジウム2006」(主催・庭野平和財団)が5月12日、第23回庭野平和賞受賞者(団体)の「ラバイズ・フォー・ヒューマンライツ」(RHR=「人権のためのラビたち」)の代表者を招き、本会京都教会で行われました。宗教者や識者をはじめ会員、市民など300人が参集しました。

同シンポジウムは、1994年以降、庭野平和賞受賞者を招き、「宗教対話・協力と平和」の問題に関する特別シンポジウムとして京都で開催されてきました。2001年からは『京都発――宗教者の新たなチャレンジ』をメーンテーマとしています。
『ユダヤ教の平和思想』をサブテーマに行われた今回のシンポジウムは、冒頭、庭野欽司郎・同財団理事長があいさつに続き、RHRの運営委員会元議長で現在は財務担当運営委員のラバイ・イェヒエル・グレニマン師が基調発題を行いました。
同師は、ユダヤ教の伝統や教義を説明した上で、ユダヤ教にとって平和が中心的な概念であると強調。RHRの活動の一端に触れ「イスラームの人々、とりわけパレスチナの宗教指導者たちに向けて、ともに平和を教え、ともに平和を求める活動に参加してもらえるように呼びかけています」と諸宗教対話にも力を入れていることを紹介しました。
このあと、パネルディスカッションが行われ、パネリストとして同師をはじめ、RHRのラバイ・マアヤン・ターナー運営委員会議長とラバイ・アリク・アシャーマン理事長、「パレスチナ子どものキャンペーン」の大河内秀人常務理事=浄土宗見樹院、寿光院住職=の4人が登壇。日本キリスト教協議会の山本俊正総幹事がコーディネーターを務めました。パネリストたちは、イスラエル・パレスチナ問題に対する自身の取り組みを紹介しながら、和平の実現に向けた宗教者の役割などについて意見を述べました。

「庭野平和財団シンポジウム2006」要旨

『京都発:宗教者の新たなチャレンジ――ユダヤ教の平和思想』をメーンテーマに「庭野平和財団シンポジウム2006」が5月12日、京都教会で開催され、宗教者や識者をはじめ会員、市民ら300人が参加しました。当日は、第23回庭野平和賞受賞者(団体)の「ラバイズ・フォー・ヒューマンライツ」(RHR=「人権のためのラビたち」の意)のラバイ・イェヒエル・グレニマン財務担当運営委員の基調発題に続き、RHRのラバイ・マアヤン・ターナー運営委員会議長、ラバイ・アリク・アシャーマン理事長、「パレスチナ子どものキャンペーン」の大河内秀人常務理事=浄土宗見樹院、寿光院住職=が登壇し、パネルディスカッションが行われました。日本キリスト教協議会の山本俊正総幹事がコーディネーターを務めました。グレニマン師の基調発題をはじめ、各師の発言要旨を紹介します。

【基調講演】

ラバイ・イェヒエル・グレニマンRHR財務担当運営委員
ユダヤの伝統で最も偉大な預言者であり教師であり、私たちが"ラベヌ(私たちの先生)"と呼んでいるモーゼは、戦争を行う前に、敵に対して平和的な解決策のあることを示すべきであると教えています。ユダヤ教聖書(旧約聖書)の後半の諸書でイザヤ、ホセアなどの預言者は戦争を忌み嫌い、地上の諸国間に平和が訪れることを約束しました。また、イスラエルの地域は古代、中世、そして現代に至るまで戦争によって大きな苦しみを味わってきました。それだけに、常にユダヤ人の救済の中心にあったのは平和への希望でした。
中世以来、無数の哲学者や教師が輩出され、彼らはユダヤ教における基本的な宗教的価値として、平和と正義を愛する重要性を強調しています。中世のユダヤ人哲学者でラビのアブラハム・バーヒイヤは著作の中で、「自らを愛するごとく汝の隣人を愛せよ」というユダヤ教のトーラー(律法)に示された戒律について、次のように記しています。
『この戒律は、その素晴らしい時代に世界中の住人たちによって認められ、支持されるだろう。そして一人ひとりが自らを愛するように仲間を愛するなら、世界から狂信や憎悪や貪欲さは消えてなくなるに違いない。それらこそ、世界の中で戦争や殺戮の原因なのだから。救世主の時代について聖書が語る理由がここにある。"彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない"(イザヤ書第2章4節)』
また、多くの人に愛されている現代アメリカのユダヤ教哲学者でありラビであるアブラハム・ジョシュア・ヘッシェルはあるインタビューにこう答えています。
『聖書の最大の懸念とは何でしょうか。答えは同胞に対する不当な扱い、すなわち流血です。預言者たちと聖書の最大の夢は何でしょうか。答えは平和です』
ユダヤ教徒にとって、つまり預言者たちやラビの伝統的価値として、平和は何よりも優先されるものです。しかし現在、多くの人々は平和の実現を現実的な可能性としてではなく、遠い将来の夢物語として先送りにしています。イスラエルの土地に関するトーラーの約束の重要性やすべてのユダヤ人が自分たちの土地へ帰るというメシア信仰の存在、さらには現在、主要なイスラーム寺院が建っているエルサレムに古代の神殿の再建を望んでいることを考えると、まさに実現困難な希望と言えるかもしれません。
しかし私は、今こそが大事な時だと考えています。今でなければいつ、それが可能になるのでしょうか。平和を手に入れるために必要なのは――もし今なお可能性があるとして――土地について妥協し、分かち合おうとする意欲です。
積極的に妥協の道を求めるユダヤ人やパレスチナ人がいることは希望の源です。宗教的な声によって示される正当性、そして平和を愛するイスラームの教師たちの声もまた、この希望を現実にする鍵を握る要素です。私たちはイスラームの人々、とりわけパレスチナの宗教指導者に向けて、共に平和を考え、共に平和を求める活動に参加してもらえるよう呼びかけています。それが自分たちの豊かな宗教から、子どもたちに与えられる最大の贈り物だと考えているからです。

【パネルディスカッション】

大河内秀人・パレスチナ子どものキャンペーン常務理事=浄土宗見樹院、寿光院住職=
「パレスチナ子どものキャンペーン」は、レバノンのパレスチナ難民キャンプの人々が大変厳しい状況に置かれた1986年に発足しました。主にパレスチナ難民の生活支援、ガザ地区でのろう学校設立と運営のサポートなどを行っています。
私が現地の活動を通して感じることは、イスラエル・パレスチナ問題が言われるところの「宗教戦争」や「民族紛争」ではないということです。実際には土地と領土の問題であり、人権が侵害されていることを重要視すべきなのです。
エルサレムは、数千年の間ユダヤ人やムスリム、キリスト教徒が共存してきた、まさに共存のシンボルだと思います。そうした事実に宗教者としての希望を見いだすことができるのではないでしょうか。
私は浄土宗の僧侶でもあります。受賞者の方々のお話を伺う中で、宗教宗派の違いを超えて通じるものがあると強く感じました。
仏教では、「人生の本質は苦しみである」ということを教えています。その上で、苦しみが取り除かれた涅槃、平和な状況をしっかりとイメージし、それに向かって正しい行いを積み上げていく「四諦」という真理があります。苦しみを心の問題として情緒的にとらえるだけでなく、現実にどのようなことにどう苦しんでいるのか、その原因を突き詰めて正しく状況を見ていくことが大切です。菩薩道として具体的に何ができ、それをどう実現していくかというところに責任を持って関わっていくことが、宗教者としての役割だと思っております。

ラバイ・マアヤン・ターナーRHR運営委員会議長
最近、イスラエルで選挙が実施されました。新政権が平和へと導いてくれることを望んでいます。
ただし、パレスチナとイスラエルの平和は政府間の安定だけが問題ではありません。私たち「ラバイズ・フォー・ヒューマンライツ」は、個人の権利に関する課題に取り組んでいます。その一つは、パレスチナ人の家がイスラエル当局によって破壊され、土地を奪われるという問題です。
イスラエルにとって「約束の地」とは本当に大事なものです。そのため、多くのユダヤ人は、神が約束された土地なのだから、われわれが所有すべきであり、ユダヤ人以外は追い出しても構わないと考えています。しかし、土地の真の所有者は神であり、われわれが正義と愛に基づいて行動している限りにおいて、土地の利用を許されているに過ぎないのです。
また、イスラエル市民の中にも経済的に貧しい生活を送っている人々が少なくなく、RHRはその支援を行っています。私たちは、人々が互いを理解する大切さを訴えています。共に手を携え、分かち合うことが平和にとって重要な役割を果たすと信じているからです。
ユダヤ人は何年にもわたり迫害の的にされてきたため、結束して自分たちを守るという考えがあります。もちろん自らを守ることは重要です。しかし、もっと全体の平和に目を向けなければなりません。まわりの人々に慈悲の手を差し伸べ、神に与えられたゴールのために努力することが必要であると思います。

ラバイ・アリク・アシャーマンRHR理事長
「ラバイズ・フォー・ヒューマンライツ」は、常に人権問題に関わった活動を行っています。これは、すべての人間が神に似せて創られたのであるから、どんな人であっても違いはなく神の子である、という考えに基づいたものです
以前、私がデモに参加した時、近隣でパレスチナの13歳の少年がイスラエルの兵士に捕らえられ、暴行を受けていました。私が止めに入ると、兵士は私や少年を人間の盾として車に縛りました。少年は恐怖で震えていました。少年は釈放されましたが、心に深い傷を負ったに違いありません。
後に、他の人権擁護団体が少年に話を聞くと、「何も覚えていない。けれど、ユダヤ人の男の人が僕を助けてくれて、『怖がらなくていいんだよ』と言ってくれた」と言ったそうです。
私はイスラエルの兵士に殴られ、パレスチナ人に車を奪われました。常にそういった危険にさらされますが、何度も繰り返しパレスチナ人のところへ戻っていきます。少年の言葉が私に希望を与えてくれたからです。
もし、子供たちの目の前でその両親が傷つけられ、家を破壊されたならば、彼らはテロリストになり、復讐を誓うでしょう。それを避けるために、イスラエル人がパレスチナ人と肩を並べて一緒に壊された家を再建し、テロに深い憂慮を持っていることを理解してもらわなければなりません。こういう行動を起こすことで、パレスチナ人の子供たちも違った形で"世界"を見ていってくれると信じています。また、ユダヤ人の子供たちも、真にユダヤ教の教えに基づいた成長を遂げていってほしいと願っています。
【質疑応答】
シンポジウムの後半は、会場からの質問にパネリストたちが答える形式で進められました。国際社会の喫緊の課題であるイスラエル・パレスチナ問題への参加者の関心は高く、質問はユダヤ教の教義からイスラエル政府の政策についてなど多岐に及びました。
同問題の平和的解決をユダヤ教の排他性、「選民意識」が阻害しているのではないかと指摘する質問には、アシャーマン師が応答しました。「そのことは論争の的になっている」と述べた上で、「ユダヤ教自体にはそのような考えはない。すべての人が神から選ばれ、それぞれの使命を持っていることを教えている」と正しい解釈を説明しました。またユダヤ人の不遇の歴史に触れながら、「最悪の結果となったホロコーストもついこの間のこと。そのため、中には、他者から自らを守ろうと極端な考え方を持つユダヤ人もいる」と語りました。
イスラエル政府が建設を進めるパレスチナ人居住区との分離壁や、周辺国で暮らす同難民の帰還問題についても質問が寄せられました。アシャーマン師は分離壁について反対の考えを示し、「我々は公平でありたい。他の人たちに対して圧制をしてはいけない」と発言しました。大河内師は両師の意見を尊重しながら、問題の構造を正しくとらえる大切さを強調しました。イスラエル、パレスチナの双方に平和的理念に基づいた市民団体などが存在し、協力し合っていることを紹介。「そうした仲間を増やすことが大事」と述べました。併せて両者の共存に向け、中・長期的なビジョンの必要性、国際社会の継続した支援の重要性などを解説しました。
コーディネーターの山本氏は「イスラエル・パレスチナの問題は半世紀にわたる争いの中で、心理的な壁を作ってしまったのではないか」と発言。まとめとして、本シンポジウムのメーンテーマ『宗教者の新たなチャレンジ』に触れ、「人々の心の壁を取り除き、連帯につながるような働きかけをすることが宗教者の重要な役割」と述べました。

(2006.05.19記載)