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2006年09月29日 レバノンは今~パレスチナ子どものキャンペーン田中事務局長インタビュー

イスラエル軍とレバノンの武装組織ヒズボラとの戦闘が停戦してまもなく50日が経ちます。33日間続いたイスラエルのレバノン空爆により、1200人以上の市民が命を落とし、いまだ数千人が避難生活を強いられていると言われています。立正佼成会一食平和基金が緊急支援を行った「パレスチナ子どものキャンぺーン」(東京・目白)は、空爆直後から現地のNGO(非政府機関)と連携し、従来のパレスチナ難民支援と並行してレバノン市民のための緊急支援を展開している。同団体の田中好子事務局長に、現地の状況や支援の詳細について聞きました。

――7月12日の空爆開始当初、現地からどのような情報が伝えられましたか

空爆はレバノンの北から南まで広範囲にわたっています。首都ベイルートの現地NGOを通じて悲惨な状況が明らかになりました。空港、橋、道路が破壊され、そのため、多くの人々が逃げ惑い、爆撃にさらされました。パンやミルクの工場、学校や会社も被害を受け、街は瓦礫の山と化し、遺体が埋もれたままだと伝えられています。戦闘中は、戦闘機が昼夜を問わず上空を飛んでいたため、人々は爆弾がいつ落ちるかと恐怖感を抱きながら過ごしていました。1982年のレバノン戦争より悲惨だとスタッフは話していました。

――パレスチナ難民キャンプにも避難民が押し寄せていると聞いています

私たちが支援を行っている11の難民キャンプに約5000世帯が避難してきました。ただでさえ狭い難民キャンプの中で、パレスチナ人とレバノン人が譲り合って暮らしています。キャンプ内の学校やセンターも、避難民で埋め尽くされています。

――どのような支援活動を行っているのですか

初動の活動として3500世帯に食糧配布を行いました。米、砂糖、油、小麦粉、豆、マカロニのほか、ゴマで作ったお菓子も配布しました。現在は、子供たちにミルクを提供しています。子供たちの多くは、逃げてくる途中、遺体や瓦礫を目の当たりにした上、先行き不透明な生活にストレスを抱えています。ミルクを与えて気持ちをリラックスさせ、絵を描いたり、歌を歌ったりしてストレスの解消に努めています。こうしたプロジェクトをレバノンの避難民に限らずパレスチナ難民にも行っています。立正佼成会一食平和基金からのご支援は、この活動に充てさせて頂いています。

――8月14日に国連安全保障理事会の停戦決議が発効しました。停戦後のレバノンの状況は

空爆はおさまりましたが、街は壊滅的な打撃を受けており、瓦礫にはその後も遺体が放置された状態でした。また不発弾が随所に転がっており、避難先から自宅に戻る途中で被害に遭う人も少なくありません。また日本では報道されていませんが、発電所が空爆された影響で、地中海に大量の重油が流れ出しています。停電によって病院の医療機器が稼動せず、人工透析が受けられなかったり、保育器が使用できなくなるなどの影響で200人以上が亡くなっています。レバノンは1990年の戦争終結以降、地道に復興の道をたどり、ようやく再建にたどりつきました。今回の戦闘によって、振り出しに戻ってしまったという無力感が人々に広がっています。社会的に傷を負ったレバノンには、国際社会の力が必要だと思います。

――レバノンは、「ゆめポッケ」の配布国でもあり、毎年、会員が現地を訪れています

「ゆめポッケ」は、子供たちや現地の人々に希望を与えています。自分の未来がどうなるかわからない状況の中で「誰かが私を思ってくれている」という実感がとても大事なのです。皆さんが作ったポッケが届いている先で、戦闘が起きたということに思いを馳せて頂きたいと思います。そしてつながりのある国に対して「自分には何もできない」などと思わずに、小さくてもできることを探してほしい。停戦したとはいえ、中東情勢は不安定な状態にあり、またいつ再燃するかわかりません。停戦が継続するように、いつまでもレバノンを見続けてください。私たちもパレスチナ難民、レバノン市民のニーズに沿った活動を継続してまいります。

(2006.09.29記載)