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2009年04月08日 大聖堂はじめ全国各教会で「降誕会」式典

釈尊の生誕を祝い、その意義をかみしめる「降誕会」式典が4月8日、大聖堂はじめ全国各教会で行われました。大聖堂での式典には、全国から会員約4000人が参集。法話に立った庭野日鑛会長は、一人ひとりが自らのいのちの尊さを認識して日々を生きる大切さを強調し、思いやりの心を持って布教伝道に邁進(まいしん)する重要性を説きました。全国各教会でも式典が催されたほか、包括地域の公園や商店街などに花御堂(はなみどう)を設置し、市民に灌仏(かんぶつ)を呼びかけました。

式典では、全国の青年女子部員代表16人による奉献の儀に続き、庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われました。光祥次代会長は、庭野会長の啓白文を奏上し、聖壇上に設けられた花御堂で灌仏しました。
続いて、稚児総代の2人が稚児讃歎(さんたん)文を奏上。佼成育子園の園児たちが遊戯を披露しました。
このあと、会員の代表が体験説法を行い、多くの人々の幸せを願い、布教伝道に邁進する決意を述べました。
聖壇上で灌仏したあと法話に立った庭野会長は、釈尊が人間の一生を刹那(せつな)ほどの長さと語ったという説話を紹介し、一瞬一瞬の「刹那」を精いっぱい生きる大切さを強調。その上で、「念」という字が「今」の「心」という二字で構成されることを示し、「念ずるとは、目の前の人やものごとに全力を傾注して生きていくこと」と説きました。
また、釈尊生誕の意義を解説しながら、人の役に立つ生き方に言及。教えを学ぶことは人間として最も幸せなことと語り、「慈悲の心、思いやりの心を持って教えをお伝えしましょう」と、布教伝道の心構えを示しました。
さらに、『人の生を受くるは難く、やがて死すべきものの、いま生命(いのち)あるは有り難し』という法句経の一節を紹介。いのちの尊さを認識する重要性を説き、「このいのちがいかに有り難いかを一人ひとりがしっかりと自覚すると同時に多くの人に伝え、人から喜ばれる人間となることが降誕会を通して私たちが学ぶべき点と受け取らせて頂きます」と述べました。
式典終了後、東京ブロックの少年部員124人が大聖堂から一乗宝塔まで「おねり供養」を行い、花御堂で灌仏しました。

(2009.4.17記載)