News Archive

2015年05月25日 新宗連・新宗連青年会の第7回沖縄慰霊平和使節団 本会から光祥次代会長が参加

新宗連(新日本宗教団体連合会)と新宗連青年会(新日本宗教青年会連盟)による「第7回沖縄慰霊平和使節団」(団長=保積秀胤理事長・大和教団教主)が5月25日から28日まで行われ、立正佼成会を含む12教団49人が沖縄を訪れました。本会から新宗連理事を務める庭野光祥次代会長、同会計委員長の中村憲一郎総務局長が参加しました。

第二次世界大戦末期、沖縄では国内唯一の地上戦が行われ、10万人以上の住民が犠牲となりました。新宗連青年会は2008年から、6月23日の「沖縄慰霊の日」に合わせて使節団を派遣、平和を祈念してきました。戦後70年に当たる今年は、戦争犠牲者への慰霊を通じていのちの尊さを学ぶとともに、絶対非戦と世界の恒久平和実現への誓いを新たにすることを目的に、新宗連と同青年会が合同で使節団を派遣しました。
一行は26日、糸満市摩文仁の平和祈念公園を訪れ、「平和祈念堂」で世界平和祈願式典を厳修しました。式典では、本会沖縄教会平和推進室メンバーのYさんが戦争体験を語ったあと、新宗連名誉会長の深田充啓円応教教主をはじめ代表4人が献花、光祥次代会長と新宗連常務理事の石倉寿一大慧會教団次代会長が献鶴。続いて、教団別礼拝では各教団の儀礼儀式に沿って祈りが捧げられました。最後に同使節団の実行委員長を務める岩渕明大・新宗連青年会委員長(松緑神道大和山)が平和に向けたメッセージを読み上げました。
このあと、「魂魄(こんぱく)之塔」「白梅之塔」を訪れました。「白梅之塔」では、光祥次代会長が参加者を代表して献花を行ったあと、沖縄戦を体験した本会の会員が慰霊塔にまつわる戦禍を解説。また、Yさんが、県立第二高等女学校看護隊の一員として、戦死した姉の思い出を語りました。その後、一行は慰霊塔の奥にある女生徒たちが自決したガマ(自然洞窟)に入り、当時の過酷な状況に思いを馳(は)せました。
那覇市内に戻った一行は、「対馬丸記念館」を参観。また、夜には「沖縄宗教者の会」(本会沖縄教会も加盟)のメンバーと交流しました。
翌27日には、米軍上陸の地である読谷村の海岸を見渡せる公園で、「絆会ガイド」のメンバーから、村の歴史や住民が巻き込まれた地上戦の様子などを聞きました。このあと、村に散乱した犠牲者の遺骨を集めて納骨した「梯梧(でいご)之塔」や、住民が集団死した「チビチリガマ」を訪れました。午後には、村人の約半数が犠牲となった西原村に建つ「西原の塔」で慰霊の誠を捧げました。この中で、光祥次代会長が「結びの言葉」に立ち、「実際に自分の目で見て、聞いて、改めて戦争の愚かさを実感した。人間は暴力性と善なる心の両方を持ち合わせている。そのことをしっかりと意識し、平和に向けた行動、非戦の誓いを深めていきたい」と語りました。
最終日の解団式では、海軍司令官として沖縄戦を指揮した大田実中将の娘であるパーフェクト リバティー教団の板垣愛子教校長が講話。信仰者として平和を願い、祈り続ける大切さを訴えました。

(2015年6月 4日記載)