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2016年01月07日 大聖堂で「御親教」式典 繰り返し習熟する「温習」を

年頭に当たり、庭野日鑛会長から指導を受け、会員それぞれが一年の誓願を新たにする「御親教」式典が1月7日、大聖堂はじめ全国各教会で行われました。「御親教」に立った庭野会長は、『燈明』『温習(おんしゅう)』の二幅の書き初めを披露。自らを灯明とし法を灯明とするとともに、過去の学びや自身の救われを振り返りながら習熟していく大切さを説きました。また、菩薩行の重要性に言及し、「人を先にして、己を後にする」ことが仏の教えにかなう実践であると述べました。大聖堂には会員約3400人が参集。正面玄関では、七草粥(ななくさがゆ)が振る舞われました。なお、式典の模様は、インターネットを通じて国内の教会、拠点に配信されました。

大聖堂の式典では、東京西支教区の青年女子部員16人による奉献の儀に続き、庭野光祥次代会長導師による読経供養が行われました。
このあと川端健之理事長が「年頭挨拶(あいさつ)」に立ち、平成8年3月22日付の佼成新聞に掲載された「開祖随感」の内容を紹介。『信仰する人の一番の幸せは仏さまがすべてご照覧だと信じきるところにあります。(中略)それが信じられると、仏さまのお答えが望みどおりでなくても、頂いた結果を仏さまのお答えとして、自分のどこがどう違っていたか反省できます。反省すれば同じ過ちを繰り返すことはありません。時を経て初めて「これがご守護だったのだ」と思い知るときがくるのです。悲しみや絶望を通してこそつかめる宝物があるのです』の一節に触れ、「佼成会の会員である私たちは、仏さまはすべてをご照覧だと信じることが大事」と述べました。
また、今年は庭野日敬開祖の生誕から110年、会歌『教えあおげば』の発表と青梅練成道場の完成から50年を迎えることなどに言及。「竹が節目で新たな枝を伸ばすように、私たちもそれぞれチャレンジをしてまいりましょう」と会員を激励しました。
次いで全国の会員を代表し、浦和教会少年部長(43)が「決意の言葉」。スーパーを経営する厳格な父に反発し、夫婦げんかの絶えなかった家庭に居場所を見いだせずに過ごした青年期を述懐しました。その上で、結婚して間もないころの父との死別を通して、自分が父を理解しようとしていなかったことをサンゲし、一見厳しくも、いつも自分を見守ってくれた父の優しさに気づいた体験を発表。感謝の言葉があふれる教会を目指し、「明るく、さわやかな布教を心がけていきたい」と決意を述べました。
「御親教」に立った庭野会長は、「人を先にして、己を後にする」ことが、仏の教えにかなう菩薩行であると強調。具体的な実践として、社会の義務を優先し、個人の娯楽を後にする姿勢が大切であると説きました。これを子供に当てはめると、宿題が終わらないうちはテレビを見ないというような習慣を身につけることが、人間の成長に大きな影響を及ぼすと指摘。「菩薩行を実践する上では、とにかくこうしたことをしっかり『温習』する、おさらいする、復習することが大事ではないかと思います」と語りました。
また、「年頭新たに一善事を発願(ほつがん)すべし」「年頭新たに一佳書を読み始むべし」との言葉を紹介。新年に際し、自身が善いと思ったことを前向きな気持ちで発願するとともに、心身を清めてくれるような書物に出合い、古ぼけた自分を新たにしていくことが大切と力説しました。
最後に、「何によって悟れたのか、あるいは何によって救われたのかを、繰り返し、繰り返し、習熟するというのが、この『温習』ということです。自分がどういうことで救われてきたのかを、今年ははっきりと温習して、復習をして、おさらいをして、新たな出発点にさせて頂きたいと思い、この『温習』という文字を(書き初めに)選ばせて頂いたわけであります」と述べ、今年一年の精進の心構えを示しました。

(2016年1月14日記載)