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2016年08月02日 被爆者証言

日本原水爆被害者団体協議会事務局長 田中 煕巳

核兵器は悪魔の凶器です。このことを踏まえ、実際に悪魔の凶器が地球上にどんな惨状を生み出したのか、私の体験から説明したいと思います。
1945年8月9日、私は長崎で被爆しました。13歳でした。爆心地近くに住む叔母たちの安否を尋ねるため、翌日、山を回って爆心地に入りました。その時の惨状は本当に驚きでした。何百という黒焦げや大やけどの死体が転がっているのです。私はこれが人間の世界なのかと愕然(がくぜん)としました。
一人の叔母の家は爆心地から500メートルのところにありました。私がたどり着くと、真っ黒焦げの叔母家族の遺体が横たわっていました。これは私だけの体験ではありません。被爆した全ての人の体験です。被爆者は皆、地球上で二度と同じ惨劇が起きてはいけない、同じ苦しみを人類に味わわせてはいけない、と命ある限り訴えてきました。
原爆投下から71年経った今日、世界にはまだ1万5000発余りの核兵器、核弾頭が存在します。このことは被爆者にとって耐えがたいことです。核保有国は、平和を保つ抑止力として核兵器が必要であると主張しています。しかし、私たちは戦争をしないための努力をすることが抑止だと考えます。
そういう意味では、武器を持たないことを明確に示す日本の憲法第9条こそ、私たちの気持ちを世界に伝えてくれるものであると、大切にしてきました。しかし、昨今の日本政府の動向には大変な危惧を覚えます。
被爆者も高齢化が進み、多くが亡くなりました。私たちの目の黒いうちに核兵器をなくす道筋だけははっきりと残していきたい——。世界に向けた被爆者からの訴えとして、今年から「ヒバクシャ国際署名」をスタートしました。呼びかけ人は私を含む被爆者たちです。署名を通して、核兵器がどんなものであるかということを皆さんで話し合い、学び、核兵器をなくす意思と行動につなげていって頂ければと願っています。

(2016年8月25日記載)