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2016年09月02日 基調発題要旨

日本聖公会首座主教
日本宗教連盟理事長
植松 誠師

私は大学を卒業後、アメリカ・オクラホマ州の大学院に留学しました。大学院のある小さな町には教会があり、毎週日曜日に通いました。その教会に日本人が来たのは初めてで、私を歓迎しない冷ややかな雰囲気を感じました。その理由は、信徒代表が、第二次世界大戦中に日本軍に捕らえられた経験のある元空軍将校だったからです。
彼は1942年4月、B25爆撃機に搭乗し、空母から飛び立ちました。日本で爆弾を落とし、そのまま中国に飛び、日本軍が占領していない場所に不時着する計画でした。
しかし、日本軍の占領地域に着陸してしまい、乗組員8人は捕らえられ、拷問の後に3人は銃殺刑、1人は虐待と栄養失調のために亡くなりました。彼を含む4人は生き延びましたが、終戦までの3年間、捕虜収容所でひどい虐待を受けたそうです。
この体験がもとで彼は日本人が大嫌い、日本も大嫌いになり、そのことを教会の信徒たちは知っていたのでした。ですから、信徒たちは私と付き合いたいと思っても、彼に気兼ねして、なかなかそうはできなかったのです。
それでも、時が経つにつれ、私は多くの信徒と仲良くなりました。しかし、彼とは4年間、あいさつを交わすだけの関係でした。私は、仕方のないことだと思いました。彼には気の毒ではあるけれど、戦後生まれの私には、少しの責任もないと思っていたからです。
やがて、日本にいた婚約者を呼び寄せ、現地で結婚式を挙げることになりました。両家の両親が来られなかったこともあり、「花嫁の腕をとって歩いてもいいだろうか」と彼は私に言ったのです。私は耳を疑いました。
結婚式当日、妻の腕をとって歩く彼は大泣きしていました。その姿に、皆も涙を流していました。式が終わり、彼は私を抱きしめ言いました。「誠、今日、戦争が終わったよ」。それ以来、彼はアメリカでの私たちの親代わりになりました。
式が終わり、私は彼の涙の意味を考え続けました。その教会では、牧師が毎週、「汝(なんじ)の敵を愛せよ」とイエス・キリストの御言葉(みことば)を説教します。信徒の模範である信徒代表の立場にある彼ですが、私を赦(ゆる)せない、愛せずに4年間、苦しんでいたのでした。平和やいのちの尊さを分かっていながらも、現実に平和を妨げている自分の煩悩との間で、彼は葛藤していたのです。
この出来事によって、私は彼の長年の深い葛藤とそこからの解放ということに対し、私自身の問題として直面せざるを得ない状況に立たされたのでした。その後、この体験から私は聖職者になりたいと思い、牧師になるため神学校に通い始めました。
私は現在、パレスチナ問題に深い関心を寄せています。苦難にあえぐパレスチナの人々と知り合い、友人となった時、彼らの苦しみを見て見ぬふりができなくなりました。
同じように、中国、韓国との平和構築においても、私たちは議論の重要性は認めながらも、人との関係性を築くことからまず始めたいと思うのです。私たち宗教者は、喜びや悲しみ、希望と失望を尊いものとしてそのまま受け取り、相互理解を図る中で相手を尊い人として感謝し、祝福し合う人に変えられていくのではないでしょうか。

(2016年9月 8日記載)